紅玉宮妃(予定)の後宮奮闘記~後宮下女ですがわたしの皇子様を皇帝にします~
福留しゅん
序章 後宮下女
第1話「わたしの皇子様が皇帝になるって素敵ですよね」
「ねえ雪慧。僕はどうすればいいかな?」
「暁明様のお心のままに」
「それはもういいから。雪慧の正直な思いを聞かせてよ」
「いや、わたしとしては面倒事に巻き込まれるのは勘弁願いたいんですけれど?」
皇帝陛下の崩御し、一つの時代が終わった。
春華国は百年を超す歴史のある大国だ。ここ最近は周辺の国家からの侵略も無く、飢饉も起こらず、政治も安定。文化が花開き都は活気に満ち溢れていた。歴史にも残る太平の世と言って良いと思う。
次の皇帝となるのは文武両方に優れていると名高い皇太子殿下と決まっていたし、この太平の世が永遠に続くと誰もが信じていた。
そう、安泰だった筈だったんだ。
皇太子殿下が皇位を継承する前に亡くならなければね。
「それにしても暁明様ったら大胆なんですね」
「言っておくけれど僕は皇太子である金剛兄を殺してないからね。真相を分かってて言ってるよね?」
「ですよね。暁明様ったら当事者になって忙しくなるなんて死ぬほど嫌がりそうですし」
「全く、誰の仕業か知らないけど余計な真似をしてくれちゃってさ」
公には皇太子殿下は病に倒れたと伝えられたが実際はそうではない。あの方はとある人物に毒を盛られて殺されたのが真相だ。
実行犯が捕らえられたか、とか、どのような処罰が行われたか、はわたしの管轄外だし、そもそも重要なのはそこではない。
今、春華国は大いに揺れまくっているのよね。
後継者争いのせいで。
目下次の皇帝の座に近いとされるのが武に優れた第二皇子殿下、文に優れた第三皇子殿下、そして最も力のある諸侯王に嫁いだ第一皇女殿下辺りか。
皇帝陛下には他にも多くの皇子、皇女がいて、自ら名乗り出たり誰かに担ぎ上げられたりしているのが現状だ。
その原因は皇帝陛下が崩御した際に後継者を指名しなかったせいなのだから全く笑えない。
特に先の三人は多くの有力者の抱え込みに成功している。このまま話がまとまらなければ武力衝突に発展する可能性だってある。
国の二分するどころじゃない。そうなったら最後、新しい戦乱の幕開けだ。
「そもそも皇太子殿下って本当に殺されたんですかね? 単に腐ったものをつまみ食いして当たっただけだったりして」
「雪慧じゃないんだし……。毒見の確認を掻い潜って毒を盛られたのは間違いないってさ。ここ最近おかし……あまり調子が良くなかったのは周知の事実だったし」
「へー。安心して美味しいものを口に出来ないなんて皇族ってかわいそうなんですね」
「そこまで僕達をぼろくそに言えるのは雪慧ぐらいだよ」
で、辰雪慧ことわたしが今いるのは、皇帝陛下の妃を始めとする内官達が住まう後宮だ。
何を隠そうこのわたしは現時点でここで働いていたりする。
まあ、皇帝陛下のお目通りとは無縁。雑用を押し付けられるだけの下女中なんだけれどさ。
何で後宮で働いているって? それなりに賃金が良いからよね。
丁度お金に困ってたところで目に飛び込んできた立て看板に釣られて応募したのが運の尽き。着飾るしか能の無い方々にこき使われる毎日を送っているってわけ。
「じゃあわたしはそろそろ暇を頂いて故郷に帰りましょっかね」
「ちょっと、こんなに宮廷が荒れてる中に僕を置いていくの?」
「報酬分は働きますけどそれ以上の義理はありませんからね」
「薄情だなあ雪慧は」
そして、わたしと気さくに喋っているこのお方は何を隠そう、第五皇子であらせられる黄暁明殿下だ。
残念ながらこの方、母親こそ正一品の妃なのだが皇位継承順位だと上から五番目だったか六番目だったかで低……くはないがかなり微妙。昔から皇位は継がないって宣言してるし、誰が次の皇帝となっても全身全霊を込めて盛り立てるとも公言していた。
皇太子殿下が健在の頃はそれでも何も問題無かったんだけれど、このような事態に陥ってしまってこの方にも皇位を継ぐ可能性が生まれてしまった。望まなくても彼は動乱の最中に放り込まれてしまったわけね。
それが成人して自分の宮を持った筈の暁明様が後宮に戻ってきた理由。わたしが今ここにいる理由でもある。
「そんなに嫌なら一緒に都から出ましょうよ。わたしの故郷だってそれなりに栄えてますよ」
「さすがに自分に課せられた責務に背を見せるほど無責任じゃない。どうにか青玉兄達に僕が無害なんですって伝えないと」
「無理じゃないですかね。土壇場になって寝首をかかれるかもって思われるのがオチじゃないですかね?」
「じゃあ兄弟の誰かに与して祭り上げればいいって言うの?」
暁明様が無能の類だったらまだいい。凡庸だったら手駒に利用出来たかもしれない。
けれど幸か不幸か、こちらにおわすわたしの殿下は他の兄弟に勝るとも劣らず非凡。彼が皇位を継承しても春華国はつつがなく統治されるでしょう。
だからこそ警戒される。
暁明様の一挙動が注目されているといって過言じゃないのだ。
「しばらくは様子見でいいんじゃないですか? 下手に動けば怪しまれますよ」
「……やっぱ普段通りに振る舞うしかないかなー」
「その間にどなたかが見事皇位について混乱が収まればそれでよし。邪魔だとみなされたらその時こそ逃げちゃいましょうか」
「まあね。僕だって無駄死にはしたくない。昔なら国に殉じるならそれもいいや、って思ってたけど、それより雪慧と一緒にいた方が面白いや」
「勿体ないお言葉ですよ、わたしの殿下」
「……確かに僕の方が年は下だけど、もう背は超えたんだからね。甘やかさないでよ」
わたしの勤め先である後宮もとても慌ただしくなったものだ。後宮内で何番目かに高い今いる屋敷の二階から見下ろすだけでも下女や女官がせわしなく動き回っている。
さもあらん、今後の身の振り方で彼女達の未来は大きく変わるのだから。
何しろ皇帝が代替わりすれば皇帝の妃達は後宮から追い出されることが確定している。
さすがに数代前の改革だかで強制出家は無くなったそうだが、次の恋愛や結婚が許されるのは一年以上の幽閉期間を過ぎてからだそうだ。お可哀そうなことで。
王宮に残りたければ次の皇帝の母たる皇太后になるしかない。故に各妃達は各々の息子を皇帝に据えようと画策しているわけだ。
「で? 暁明様はどうしたいんですか?」
「逆に聞くけれど雪慧は僕にどうしてほしいの?」
「白状しますとわたしは暁明様には死んでほしくないです。ですから息を潜めて嵐が過ぎるのを待っていてほしいなーと思ったり思わなかったり」
「……誰が次の皇帝になっても見逃してもらえるよう上手く取り入らないとなあ」
この皇位継承争いで破れた者はおそらく今後権威を脅かさないよう追放や出家ですめば御の字。最悪処刑されてもおかしくない。優秀であればあるほど後々を考えたら後の驚異は排除した方が安全だ。
暁明様は残念ながら目を付けられているでしょうね。
「大丈夫ですよ。謀反を疑われたら身分なんて捨てちゃえばいいんです。ただの暁明として生きる日々もきっと悪くないと思いますよ」
「口で言うのは簡単だけど、雪慧が保証してくれるのかな?」
「わたしなんかでよければ構いませんよ」
「……いいの? 迷惑じゃない?」
「あー。不本意なのか光栄なのかももう曖昧ですけど、わたしも暁明様と一緒にいる時間が一番幸福を感じちゃってますから」
「そうか、そうか……」
わたしとこの方との付き合いは短くない。出会ってから暁明様とお会いしなかった日を数えた方が早いぐらいだ。
最初は仕事の邪魔だったから鬱陶しかったけれど、今となってはこの方がいなくては寂しいと思うようになった。これだから人生って分からない。
皇帝がお亡くなりになった今、もう後宮って閉ざされた空間で楽しく過ごしたあの頃には戻れない。わたしも暁明様も変わらなきゃいけない。
わたしを置き去りに駆け抜けていくも良し。わたしが手を引っ張って明後日の方向に飛び出すのも良し、だ。
「ねえ雪慧。もしも、なんだけれど……」
――僕が皇位を継ぐ、と言ったら?
わたしは暁明様へと振り向く。先程までのわたしと同じように建物の窓から後宮内を見下ろしていた殿下は覚悟を決めたご様子で表情を硬くし、いつになく凛々しかった。
ちょっと前はあんなに可愛かったのに、立派になったものだ。
「かなり過酷な道ですよ。無難に第二皇子であらせられる青玉宮殿下に付いた方がいいんじゃないですか?」
「青玉兄が皇帝になったら領土を広げる遠征ばかりになっちゃうって。国の懐事情を不安定にさせたくはない」
「じゃあ第三皇子の翠玉宮殿下を助けるのは?」
「翠玉兄とは考えが合わないんだ。人を数でしか見ていないから」
皇帝候補に挙げられる方々はどなたも優秀だけれど癖がある。秀でている才能は並ぶ者無しと讃えられているのに他が若干疎かなのだ。つくづく全てに優秀だった皇太子殿下がお隠れあそばしたのが悔やまれる。
「だから自分がやるしかないって使命に駆られてるんですか?」
「……僕は、民の笑顔を失いたくないだけだ」
わたしは精一杯優しく微笑んで殿下の頭を撫でる。昔は結構さらさらだった殿下の髪は硬くごわつくようになった。
少年とはもう呼べまい。もはやこのお方は立派な殿方へと成長したのだから。
「正直に言いますと暁明様にはさっさと引退してほしいですね。政治もしがらみも、何もかもかなぐり捨てて密かに過ごしましょう。田舎暮らしも中々楽しいですよ」
「……それが雪慧の願いなの?」
「ですが……」
なら、わたしはこのお方と共に走ろうじゃないか。没落しようが覇道を進もうが、地獄の底にだって同行する。国のためだとかの大義も、出世やお金だってどうでもいい。いや、ちょっとは衣食住も大事だけどそれは慎ましければ充分だ。
わたしが彼と一緒にいたいのだ。そしてわたしは彼の笑顔が見たいから。
「暁明様の天下って面白くなりそうじゃないですか?」
だから、これから振り返るのは優秀で面白い皇子と何の変哲もない小娘が送った、何でもないお話だ。
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