迷子の彼ら
二度目の衝撃がキキの身体を吹き飛ばす。
『冒険者』の放った爆発物によるものだ。
木の葉のように吹き飛んだキキの身体は、その途中で何者かに捕まれた。
「逃げるぞ!」
爆発が晴れた時、鬼の眼前には誰もいなかった。
ただ破壊された森と岩塊だけが転がっている。
『GAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』
鬼は怒りの声を上げる。ルーム中に響き渡った声は、ダンジョンすらも揺るがした。
そして斧を振りかぶる。上腕が膨れ上がり、背後に矯められる。
斧に呪いが纏わりつき、そして、放たれた。
放物線を描くどころかレーザーのように直進した一撃は、ルーム出口の西側の壁に直撃し、そして砕いた。
放射線上に走った破壊痕が壁一面に広がっていき、雪崩のような岩崩れをもたらした。
ルームは閉じられた。【炎縁傷呪】グーラは再び咆哮した。
それは絶殺を誓う復讐者の声だ。
誰一人逃さないと、歌い上げる。呪詛の声はルーム中へと轟いた。
広大なルームは檻へと変じた。
□□□
「【ヒール】」
妖精の手から放たれた温かな光が、少女の身体を癒していく。
不規則な呼吸音が僅かにマシになった。
だがその身を包む【聖職者のローブ】は元の白い生地が見えないほど真っ赤に染まっており、痛々しい。
「んー、まあこんなもんでしょ!」
妖精は首を傾げた後、まあいいか、と言いそうな顔でそう言った。
その適当な言動に、シュンは珍しく顔を引き攣らせた。
「ほら、飲んでおいた方がいい」
アリスの治療を見届けた燐は、岩の地面に座り込み、回復薬の瓶を差し出した。
合計三本。自身とロウマ、ジナの分だと気づいたシュンは、決まづそうに礼を言った。
「……ありがとう」
受け取った回復薬を配り、シュンは一気に飲み干した。
水分が身体に染み渡り、薬効が肉体を癒し、体力を回復させる。
シュンはほっと息を吐き出した。
燐達がいるのは、森の東側にある大木の根元だ。木々の成長の過程で生まれた空間は、洞窟のようになっており、身を隠すには最適な場所だった。
くぼみは十分な大きさがあり、6人が入っても余裕がある。
シュンは、小さく息を吐いて、くぼみを見渡す。
呪鬼の爆発のような一撃の衝撃で重傷を負い、死にかけているキキ、キキに治療を施す小さな妖精、そして以前のクエストで一緒になった遠廻燐とかいう冒険者。
おかしな状況になったと、シュンは危機的な状況も忘れて、笑いそうな気分になった。
「えっと、君はどうしてここに?」
シュンはまず、この謎の冒険者の正体を知ろうとする。
彼とは一度クエストで一緒になったが、パーティーメンバーのロウマの態度もあり、好かれてはいないだろう。
なぜ自分たちを助けたのか。シュンはそれを聞きたかった。
だが返ってきた言葉は、予想外のものだった。
「………お前たちが俺の獲物を奪ったからだ」
一瞬いい淀み、燐はシュンの質問に不機嫌な顔で答える。
シュンは獲物、と言われて『呪われし小鬼』を思い浮かべる。
今は『名持ち』の化け物と化してしまった怪物の進化前の姿を。
「はあ?アンタ、『呪われし小鬼』なんて狙ってたの?」
眉をしかめたジナが、燐の正気を疑う。
その手に握られた回復薬の瓶を不機嫌そうに弄びながら。
「アンタらもだろうが」
燐の正論にジナは言葉に詰まる。
何かを言おうと口を開いた瞬間、ズン、と遠くで破壊音が響く。ジナ達が一度、燐が二度聞いた斧を叩きつける轟音だ。
ジナは慌てて口を噤んだ。その身体は震えている。恐怖を思い出したのだろう。
恐らく【炎縁傷呪】グーラが燐たちが隠れていそうな場所を虱潰しに回っているのだ。遠からず、燐たちも見つかる。
「救援隊が先か、見つかるのが先か………。笑えねえ」
ロウマが俯き、皮肉交じりの言葉を漏らす。
それが最後の希望だった。運任せの方法だが、祈るしかないと心中で皮肉気に笑う。
その時、キキが目を覚ました。美しい薄蒼色の瞳が開き、湖畔のように揺れる。それはやがて、驚きと共に見開かされる。
「ここ、は………」
「ダンジョンの中だ。大丈夫か?」
シュンの言葉に、キキは小さく息を吐いた。どうして自分たちが助かったのかと、不思議に思っているようであった。
その視線は宙を浮く妖精に止まり、続いて燐へと向かった。
「どうして、ここに?」
「『呪いの武器』を取られる前に取りに来たんだ。まあ、馬鹿みたいにでかくなってたけど」
「はい?」
訳が分からないと首をひねるキキを見て、燐は面白くて小さく笑った。
どうやら混乱はしていないようである。
だが、目覚めたのは一瞬だけだった。血を失い過ぎたキキは、眠るように再び気絶した。
「キキ!?」
ジナが慌てたように声を上げる。
「大丈夫よ。【生命力】は安全圏内だから、死なないわ」
【ステータス】を発動させたアリスの言葉に、ジナ達もほっと息を吐く。
だがいい知らせはここまでだ。
後に残るのは、悲惨な現実のみ。退路は塞がれ、呪鬼は怒り狂い、増援は自身よりも弱い冒険者一人だけ。
その事実に、顔を曇らせる。
(………あの鬼の変貌、『名持ち』か)
燐も燐で、変わり果てた『呪われし小鬼』へと思考を巡らせる。
あれほどの変異をもたらす原因は一つ、『名持ち』化である。
モンスターに極稀に訪れる現象。種族を失い、唯一の個体へと変化する現象である。そしてその変化時、強大な力を宿す。
『名持ち』は、宿す力により『開位』『典位』『空位』『冠位』に分類され、噂では『冠位』より上の個体すら存在するという。
『名持ち』は冒険者にとっては強大な怪物だが、その存在を追い求める『冒険者』は後を絶たない。その理由が、『銘造武具』である。
『名持ち』は討伐された際、確定で『ドロップ品』を落とす。それらは特殊な性能を持ち、『銘造武具』を手に入れた冒険者は、強大な力と名誉を手にする。
(手持ちのアイテムで殺せるか?………真正面からじゃ勝てないのは確実だが)
「――――元はと言えば、お前が勘違いしたからだろ!」
「はぁ?真っ先に逃げようとした腰抜けが何言ってんのよ!」
(ん?)
燐が物思いにふけっている間に、ロウマとジナが言い争いを始めた。
ロウマは、ジナが【探知】で見つけた燐を救援だと勘違いしたせいで、状況が悪化したと主張している。
対するジナは、燐と合流する前のロウマの逃げ腰の姿勢を蒸し返し、嘲るように頬を歪めた。
シュンは、状況を考えない言い争いに、うんざりした表情を隠さない。
「仲悪いパーティーね」
耳元でぼそりとアリスが呟く。
燐の感覚としては、仲が悪いというよりも、協調性がないパーティーだ。
燐はそんなパーティーを見て、協力を諦めた。
「じゃあ、俺は行く」
燐はいきなり立ち上がり、バックパックを背負った。
「アリス、行くぞ」
「嘘でしょ……、本気?」
燐が何をする気か理解したジナは唖然としたように立ち上がった燐を見る。
燐は仏頂面で言い返す。
「やらないと救援隊に取られる。そうなったら投資が無駄になるだろうが」
驚くことに、燐たちは『名持ち』を討伐するつもりのようだと、シュンは彼らの会話から気づく。
「だ、ダメだ!無謀すぎる!」
シュンは目をむいて、燐を止めようとする。
「駆け出しに勝てる相手じゃない!ここで救援を待って、呪いの武器が欲しいなら討伐された後に持って行けばいいだろ!」
「『名持ち』になった以上、討伐しても『呪いの武器』が出るとは限らないだろ」
「い、いや、そうだが……というか、なぜ討伐できる前提なんだ!?」
「準備してきたからな。『名持ち』になったのは想定外だが、見ようによってはチャンスだ。より強い力が手に入る」
シュンは唖然と口を開いた。
燐はシュンと話をしているが、その意見を聞き入れるつもりは微塵も無い。
すでに燐の中では『名持ち』と戦うことが決定している。
「――ッ。俺たちは手伝わねえぞ」
ロウマは怯えの混じった表情でそう言った。
「は?要らないが。貢献度が散ったらお前に取られるだろ」
『名造武具』は、討伐貢献度が最も高い者が手に入れる。
それを引き合いに出し、ロウマたちの手伝いを拒む。
「―――ッ!?」
燐は心の底から自分たちだけで『名持ち』を討伐するつもりだと、シュンは愕然とした。
平均レベルが5を超えるパーティーが勝てなかったモンスターに、それよりも弱い彼がひとりだけで勝つつもりだということだ。
その事実は、心配を通り越して、怒りを抱かせた。
今まで積み上げた実績、力を否定されるような苛立ち。それが言葉に出る。
「ふざけないでくれ。君たちが死にに行くのは勝手だ!だが戦いの影響は僕たちにまで出るかもしれない、それは分かっているのか!」
燐はシュンを面倒そうに見据えて答える。
「籠っててもいつかは見つかって殺されるだけだろ」
「……救援が「ルームの入り口は壊された。時間はかかるぞ。俺はここで見つからないように祈りながら救助を待つなんて御免だ」」
「――――ッ、せめてキキとドントが回復してから、一緒に」
「いや、だから、貢献度が散ると困るんだって」
燐を止めようとするシュンに、燐はうんざりとした表情を隠さない。
既に言葉を返すのも面倒くさい。そう言いたげに、燐の視線は洞窟の出口を見据えていた。
その姿に、なぜかシュンは焦りが募らせていく。
なぜだろうか。その答えを、燐を死なせたくない正義感からだと自分を納得させ、落ち着かせるように笑みを浮かべた。
「無謀な真似はやめよう、絶望的な状況だけど、僕たちもいる。自棄になる必要なんて――――「お前、戦いたくないだけだろ」」
「え?」
静かに差し込まれた言葉に、シュンは訳が分からないと呆けた表情を晒した。
「お前が戦えないからって、俺もそうだと思うな」
ぁ、と小さな声が漏れた。
燐の視線はもうシュンには向いていない。
「死なないように準備してきた。俺は勝つ」
短い言葉。だが圧倒的な決意が込められている言葉に、誰も返す言葉は無かった。
なぜこうも強情なのか。命を懸けて欲しがるほど『銘造武具』は魅力的なのか。
シュンは疑問だった。
「―――命を懸けて、狙うほどのものか?」
最後の悪あがきのように、シュンはかすれた声で尋ねる。
伏せた顔で、表情は見えない。だがその頬は羞恥で赤く染まっていた。
答える必要は無かったかもしれない。それでも燐は律義に言葉を返した。
「いいや。そんなものはない。だけどここで命をかけられない俺は、もう二度と戦えなくなるかもしれない」
シュンは竦み上がった。その瞳の奥の決意を見た。
暗い感情の海に浮かぶ心を。
少年の恐怖を。
モンスターへの恐怖よりも勝る停滞への恐怖だ。
「だから今、命を懸ける。これからも『冒険者』であるために」
「………一度戦えばそんな決意も消えるさ」
「そうかもな」
負け惜しみのように残された言葉を燐は笑わなかった。
ただその足を動かしてくぼみの外へと向かった。
迷うことなく、咆哮の方へと。
戦いに向かったのだ。
シュンはただそれを、見送った。
「アンタはいいの?」
シュンの味方をする訳ではないが、ジナは、ふわふわと燐について行くアリスに問う。
「よくないけど、仕方ないわ。よくないけど」
困ったように笑ったアリスは、燐の後をついて行った。
くすり、とジナは面白そうに頬をほころばせる。
血と泥で汚れていたが、その笑顔は戦いに向かう『冒険者』へと送る激励であった。
「放っておけよ、あんなやつ」
ロウマがどうでもよさそうに言い捨てる。むしろ、囮になってくれる燐たちを歓迎するように嗤った。
シュンもまた、ロウマの言葉に共感を覚えた。自分は正しいと、彼に言った言葉を振り返っても確信できる。命を助けようとしていただけだ。
シュンに落ち度はない。正論しか言っていない。
「そうだな。冒険者は自己責任だ。僕たちが助ける義務はない」
喉から零れた言葉は、シュンの人生で一番彼の心を引き裂いた。
嘲笑うロウマと苦悩するシュンを、ジナは呆れたように眺めていた。
「アンタら、ひがむのはやめなさいよ、みっともないわね」
その言葉に、洞窟の中の音がすべて消えた。
ドントとキキの静かな呼吸音が嫌に大きく耳につく。
静寂を引き裂いたのは、憤怒を堪えたロウマの言葉だった。
「あ?何見当違いの言葉吐いてんだ。俺はただ、考えなしのガキに呆れてんだよ」
ロウマは嘲る。だがその吊り上がった頬の先が、耐えるように震えていた。
そんなロウマを、ジナは笑わなかった。ただ同情するように表情を緩めた。
「私は絶対に!あんな化け物ともう一度戦うなんて嫌よ。だからここで震えて待つわ。でも、アンタらの気持ちもわかる。私もあんな冒険がしたくて、冒険者になったもの」
ダンジョンが発生し、50年。勇ましい冒険譚を聞いて育ち、物語の中の英雄に憧れなかった子供など、いないだろう。
そうなりたいと願った。強い怪物を倒し、尊敬され、名を残したい。
そんな純粋が願いがどれだけ難しいか。気づくのに、時間は必要なかった。
「――――羨ましいわ。あいつ、多分死ぬけど、私は一生忘れない」
ぽつりと呟いたジナの言葉が、シュンとロウマの心の全てだった。
弱くても、『名持ち』に立ち向かった燐。
強いけど勝てないから隠れていたシュンたち。
燐が負けてシュンたちが生き残って、彼らを称賛するものはいるのだろうか。
良く帰ったね。死ななくてよかった。
そう言われる未来をシュンたちは幻視した。
喜んでくれる家族も、温かな家も、将来も、生きて帰れば全てある。無いのは賞賛だけ。
無謀にも挑んだ燐には、何も残らない。命を失い、死んでいく。
だけど、誰かは賞賛するだろう。その勇気を、その決断を。
100人が笑い、1000人が悼むふりをしようとも、一人ぐらいはその『冒険』に万雷の喝采を送るだろう。
それが冒険者。それがダンジョンだ。
どこかで、轟音が響いた。今までのものとは違う、指向性を持った殺意の波動だ。
始まった、とシュンは思った。
少年の冒険が、始まった。
それから目を逸らし、俯く自分に気づく。
止んでくれ、とは思わない。ただ、思いそうになった自分に嫌悪した。
暗く淀む心の奥底で、それでも彼が抱いたのは、憧れだった。
シュンだって、初めは憧れだった。輝かしい冒険譚に憧れて剣を手に取った。
華々しい活躍に、生々しい悲劇に心を震わせ、猛り、戦う道を選んだ。
「―――ああああああ!クソっ!僕も、やってやる………」
シュンは顔を上げた。頭上から差し込む光を睨むように。
その先に待つのは、地獄だと知っていてなお、彼は決断した。
だけど、だけど彼の足は進まなかった。
「な、なん、でだよ……」
シュンは震える自身の足を、怯えた眼差しで眺める。
体は何よりも雄弁に物語っていた。
―――耳を塞ぎ、穴の奥に籠れ、と。
彼は決意した。『冒険』をしよう、と。
だけどそれは本能を押しのけられない。押しのける狂気が無い。
燐のような『執念』が無い。
シュンは知ってしまった。【炎縁傷呪】グーラの強さを。
あの炎を思い浮かべれば、立ち上がれなかった。
ずるずると、背を壁に押し当てるように座り込んだ。
「僕、は―――」
続く言葉はない。答える声はない。地上の戦乱が、遠く聞こえてきた。
ジナは目を伏せ、己の世界に籠った。
ロウマは唇を噛み締め、ただ出口を睨んだ。
彼らの姿は、どうしたらいいか分からない迷子の子供のようだった。
―――――――――――――――――――――――
蒼見雛です。
レビューをいただきました、ありがとうございます。
第1章もいよいよ佳境です。毎日更新できるよう頑張りますので、応援いただけると嬉しいです。
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