【肉体支配】

翌週の土曜日、燐はダンジョンに向かった。

二階層に潜り、アリスと共に東側に向かっている。

こうしてダンジョンに来るのは約2週間ぶりだ。

それほどの時間を空けたことは無かったため、僅かな懐かしさを感じる。


燐の初めての二階層の探索は、大失敗で終わった。数多の不運が重なり合い、燐は死にかけた。

だがそれ以上に得たものもある。


燐は飛び掛かって来るヘルドッグに短槍を振るう。ヘルドッグは躱そうとするが、軌道を変えた穂先に切り裂かれた。

そして燐は踏み込んだ。

ヘルドッグの意表を突く行動。

突如前方に現れた燐に対してヘルドッグは噛みつこうとするが———


「【カース・バインド】」


後ろ足を鎖に縛られた。


「おらっ」


振り上げられた足がヘルドッグの首をへし折った。


容易くヘルドッグを討伐した燐に、アリスは目を見開く。

燐の死闘は、ステータスに現れない変化をもたらした。

トロールの巨大な棍棒をさばき、斬り合いを続けていた燐の短槍の技術は、細かな操作を可能にした。

そして命を懸けた戦いに慣れたことで、燐は戦いの中でも状況を把握してモンスターの行動を先読みする冷静さを身に付けていた。


「燐!生まれる!」

「―――ッ!」


燐たちが戦っているルームの壁に亀裂が入った。

そしてそこから三体のモンスターが生まれた。


(こうやって生まれるのか)


燐は敵が増加したイレギュラーの中でもそんなことを思う余裕があった。

ゴブリンが三体。だが二層のモンスターであり、一層のゴブリンよりもレベルが上だ。


燐はゴブリン三体を見た瞬間、即座にアリスに指示を出した。


「アリス、【フェアリーリング】」


燐は近くにいたアリスに触り、【泥の靴】を掛ける。


「【フェアリーリング】」


アリスはすぐさま魔法名のみで魔法を発動させた。

詠唱を破棄したことで、魔法効果は減少し、現れた光の輪は小さい。

だが同じ場所から生まれたモンスターは集まっており、小さな光輪の中にも納まりきった。

これも燐の計算通りだった。


「ナイス、魔法」


燐は槍を投擲した。

刺し殺すために投げるのではなく、真横にして棒を押し付けるように投げる。

胴体にそれを受けたゴブリンは、【敏捷】の低下もあり、避けきれずに槍を抱えるように倒れ込んだ。

燐はその隙に接近する。一体のゴブリンを蹴りで壁と挟み込むことで頭を潰し、引き抜いた『石蜻蛉』を回転するように逆手で振った。

首元を通り過ぎた刃先により、大きな傷がゴブリンを絶命させた。

そして最初に槍を投げたゴブリンは―――


「あー、そういうパターンもあるのか」


燐の『黒鉄の短槍』を構えていた。

短槍だが、体格の小さいゴブリンが持つと、長槍だ。

こちらに鋭い穂先を向け、突進してきた。


『GiGiGiGiGi!』

「【カース・バインド】」


燐は魔法でゴブリンの持つ短槍を狙った。

ただでさえ魔法で動きが遅くなっているゴブリンだ。槍を狙うのは難しくはない。

燐は槍の穂先を避けるように真横に回り込んで、冷静にナイフで処分した。


「………うん、上手くいったな」


燐は、即席の策が嵌まったことに満足を覚える。

これも、死闘から変わったことだ。

かつての燐は、あらかじめ策を決めて戦い、それが嵌まらなければ撤退していた。

慎重だったともいえるが、逆を言えば柔軟性に欠けていた。

だが今は、状況の変化に合わせて行動を変える勇気を持てるようになった。


「人って死にかけると変わるのねー」


死なないアリスは不思議そうに燐を見た。

あるいは急に成長した燐を喜ぶように。


「実戦は人を強くするんだよ」


「無茶しようとしたら止めるからね」


アリスはそんな燐に警告する。

燐の目的に賛同しながらも、燐が命を捨てるような真似をすることには、否定的だ。


「命を懸ける場所は弁えるよ」

「………はあ」


ずれた答えを聞いたアリスは嘆息した。


「それで防具の出来はどう?」


アリスは燐の全身を眺めて尋ねる。

かつては黒一色だった燐の防具は、緑を基調とした軽装に変わっている。


トロールの厚革を元に作った上下の革服の上に急所や関節部分を守る金属製の防具が張りつけられている。


―――――――――――――――

Name:『緑革の厚軽鎧グリーンブレス

Rare:3 品質:最良

耐久度:2000

Skill

【耐久補正:+100】【火属性耐性低下〈小〉】

―――――――――――――――


「動きやすいし、防御力も上がってるんだろ。最高だ」

燐は腕を軽く回す。採寸したデータを元に作られた燐専用の防具は、まるで絹のように軽く関節の動きを阻害しない。

オーダーメイドの防具の快適さを知った燐は、満足そうに頷いた。


「今日は『検証』するぞ」

「あー、前言ってたやつね」


燐の『検証』。

それは以前からしようと思っていたが、骨折やトロールとの戦闘でうやむやになってしまったことだった。

そのためには、モンスターが必要だ。


「はいはい。適当に歩くわよ」


アリスはため息をつきながらふらふらと飛んでいった。


「あんまり東側に寄るなよ。『ゴブリン村』に近づいたら面倒だ」


燐が十香から聞いた話では、ゴブリン村では高度な社会性が構築されているらしい。

そのため、ゴブリンに目撃されるのを避けたかったのだ。

ゴブリンが燐を無視すればよかったが、まかり間違って討伐しに来たりすれば厄介なことになる。

燐がネットで調べて限りでは、ゴブリンの大群に襲われた事例もあるらしい。


「分かってるわ。野良っぽいのを探すわよ」

「全部野良だろ………」


燐はアリスの適当な言葉に呆れる。


「芋っぽいのがいるのよ。そいつがねらい目ね。見つけて叩き潰しましょう!」

「芋っぽい………」


怖いギャルみたいなことを言い出したアリスに燐はドン引きする。

燐はどちらかと言えば陰寄りの大人しめの性格だ。

これから見つける芋っぽいゴブリンに同情しそうになった。


「いたわ!」

「芋っぽいのか?」


燐はアリスの指さした先を見る。巨大な通路の岩陰の奥だ。

燐は回り込んで視界を確保する。

そのついでに周囲の地形を確認して他のモンスターの有無も確かめる。


岩の陰にいたのは、普通のゴブリンだ。草を編んだ雑な腰布にダンジョンの鉱石素材を削ったナイフを持っている。


(ルームは広い。逃げられると面倒だな)


燐は背負ったバックパックを下ろして中から一本の鎖を取り出す。

小指ほどの細さしかないそれは、一見すれば縄に見える。


ダンジョンの鉱石を配合した特殊な金属の鎖だ。大型モンスターは無理だが、小型モンスターなら拘束できる。これも『ASAMIYA』の製品である。


燐とゴブリンとの距離は100メートル以上。相手は燐には気づいていない。

洞窟の地面には草花が生い茂っており、ゴブリンの視界からなら見通しは悪いだろう。


「アリス、【ハインド】頼む」

「了解。【ハインド】」


魔法が掛けられて燐の姿がゴブリンの意識に映らなくなる。

燐はゆっくりと足を進めてゴブリンに近づく。

岩裏から向かい、岩の上へと昇る。ゴブリンを見下ろせる位置だ。


ここまで近づけば、ゴブリンも燐の匂いに気づく。

きょろきょろと周囲を見渡し始めた。


(ここまでか………)


できれば背後まで近づきたかったが、無理そうだと判断した。

燐は鎖を振り回す。遠心力を乗せるようにぐるぐると弧を描かせる。


『Gi………!』


ゴブリンが燐に気づいて【ハインド】が外れる。だがもう遅い。

燐は手を放して鎖を放った。

大きく円を描いた鎖は、ゴブリンの身体に巻き付いた。

燐はその隙を見逃さずに蹴りを放った。


頭を蹴られたゴブリンは大きく転倒した。

燐はその背に足をかけて体重を乗せる。


『Giiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!』


藻掻き暴れるゴブリンを抑え込む。

ゴブリンも人型だ。背中の中心を押さえつけられれば起き上がることは出来ない。

それが分かっている燐は安心してゴブリンの背に手を伸ばした。


入浴という概念の無いゴブリンの身体は薄汚れていて臭かったが燐は我慢した。


「―――さて、上手くいくか」


燐は右手でゴブリンの背に触れた。

そして、能力を行使する。


「【右方の調律デクシア・レクトル】」


燐のユニークスキルの力が、初めて生物に使われる。


燐のユニークスキル【右方の調律】は触れたものを支配する能力を持つ。

だがその能力でどのようなことが出来るのかはいまだに不明だ。

分かることは電子機器をスイッチを使わずに操れる、そして【魔法】などの外部からの干渉を弾けることだ。


「電子機器の操作は物体と電子信号の支配ってことだ。なら、生物にも同じことが出来るはず………!」


燐が意識を集中させると、右手から何かが広がっていくのを感じた。無色の力場はゴブリンの身体を覆っていく。

ゴブリンはびくり、と体を震わせた後動きが鈍くなっていく。

その顔は変わらずに苦渋に歪んでいるが、今は困惑も混じっているように感じる。


「これは………体の制御権を失っているのか」


燐はゴブリンの身に起こっていることを推測する。

右手から広がった力場のようなもの、恐らく燐の支配の能力が効果を及ぼしている範囲では、肉体を動かす権利は燐が優先されるのだろう。


「燐?大丈夫?」

「ん?ああ、大丈夫だ。特に何かを消費している感じはない」

「一応ステータス見るわよ」


そう言ってアリスは【ステータス】を使って俺のステータスを閲覧した。


「SP、MPの消費は無し。状態異常も無いわ」


つまり、消費なしで使える能力ということだ。


(バカみたいなデメリットがデフォルトでついてるんだから、そのぐらいは当然か)


燐は『種族レベルアップ必要経験値10倍』というユニークスキルのデメリットを思い出して苦笑いを浮かべた。その笑みにはどこか悲し気な色が混じっていた。


そして燐の能力はゴブリンの全身を覆い尽くした。ゴブリンは指一つ動かなくなった。

もう大丈夫か、と判断して燐は右手を離した。

ゴブリンは燐が退いても動かず伏せたままだった。


「上手くいったな」


燐は予想通りの結末になったことを喜ぶような、複雑そうな顔で眺める。


「立て」


燐が命令を下すと、ゴブリンは縛られたまま足を動かして立ち上がった。


「【ステータス】。………状態が【肉体支配】になってるわ」


ゴブリンのステータスを見たアリスが、燐の能力が及ぼした影響を教える。

【肉体支配】。つまり脳を含めた全身の制御権を奪ったことでゴブリンは燐の命令に逆らえなくなったのだろう。


「その感じならまだ先がありそうだな………」


燐は自身の能力の可能性を感じるが、それは今はいいと首を振った。

とりあえず、ゴブリンを従えられれば十分だった。


「全身支配までの時間は約1分間。触れ続ける必要あり。手を放しても支配は継続。時間制限はあるのか?」


まだ検証しなければならないことはある。だが今分かっていることだけでも、強力。

ジョブなしで【テイマー】のような真似ができるのだ。

そしてこれは、人間にも適用できる。


「………仕方ないことか………」


燐は過去の記憶を思い出す。燐に触れそうになって慌てて飛びのいたクラスメイト。

過剰の反応だと思う気持ちが無いわけでは無かったが、それも間違いでは無かったようだ。

虚ろな目をしたゴブリンのように、燐は人間を操れると今実証できたのだから。


どこか傷ついたような苦笑を浮かべて燐はビー玉のように光を失ったゴブリンの瞳を見つめた。

それは何かを諦めたような痛々しい時間だった。


「燐、試すんでしょ?」


そんな燐の時間を動かしたのはアリスだった。

普段通りの優しい声が燐の耳朶をくすぐった。

何も変わらないアリスに燐は笑みを向けた。


「ああ、どのぐらいの時間持つのか、こいつの倒した経験値は俺に入るのか、とか気になるからな」


燐はアリスとゴブリンを連れてダンジョンの奥へと進んでいった。


「それにしても、そろそろ重いな」


燐はずしりと肩に食い込むバックパックを担ぎなおしながら、呟く。

燐の荷物の中には、食料、飲み水、薬、予備のナイフや拾った魔石、ドロップアイテムが入っており、今はそれに加えて『ASAMIYA』で買った鎖が入っている。

これがなかなか重い。

燐の貧弱なステータスでは、かなりの負担だった。


「アリスの【ポケット】に入らないか?」


燐は問う。アリスの【妖精魔法:ポケット】は、魔法で作り出した空間に物を出し入れできる。その中に入れられれば、大分楽になるだろう。

だがアリスの返事は素っ気ない。


「無理。回復薬入れてるからもう入らないわ。そんなに容量無いのよ」

「………だよなー。レベルが上がったら変わるのか?」

「わっかんない」

「何でだよ……。俺を宿木にする前はレベル高かったんだろ」


空を飛ぶアリスに、地を這う荷物持ちの気持ちはわからないらしい。

どうでもよさそうに、ふわふわ飛んでいた。

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