三体の壁
「やっぱりレベル上げだな……」
燐は大体の料理を食べ終わった後、変わらないレベルに想いを馳せた。対面には、アリスがにこにこ笑顔でラーメンを食べていた。
器用に左手にはレンゲを持ち、右手で箸を操っている。大道芸みたいだと、燐は思った。
「れふぇるはしぃがなわよ」
「食ってから喋れ」
ほお袋を膨らませたアリスは、口の中のラーメンを飲み込んでから喋り出した。
「燐は人の10倍倒さないといけないんだから、ゆっくり行きましょうよ」
普通の人は、ゴブリン10体も討伐すればLv.2にあがる。
だが燐はその10倍、100体討伐する必要がある。
一番最初のレベルアップでこれだ。分かっていたとはいえ、憂鬱になる。
「はい、お代わりだよー。たんとお食べ、妖精ちゃん」
「わあい!ありがとう!」
店員がアリスのお代わりを持ってくる。
アリスはあんなに小さいのに燐の倍食べるのだ。一体どこに入っているのか、モンスターの神秘だ。
「少年はお代わりは?」
「俺はいいです」
不愛想に答える燐に機嫌を損ねた様子は無く女性ははぁい、と答えた。
「あ、そうだ。ワタシは张若汐っていうのォ。ルオシーでいいよぉ。少年と妖精ちゃんは?」
「田中一郎です」
「ワタシはアリス!こっちは燐よ!」
「うっわ。性格悪いぞー、少年。じゃあ、今後ともよろしく。空いてるお皿お下げしますねぇ」
そう言って店員は大量の皿を持って行った。
「………はあ。明日も潜るぞ」
「わふぁふぃにまふぁせて!」
燐は今日の稼ぎを吹っ飛ばすアリスの食べっぷりに、諦めたように笑った。
□□□
燐は翌日、ダンジョンに来ていた。
「今日は試すことが二つある。まずは複数戦だ」
ゴブリン二体以上と戦うと、燐はアリスに伝える。
ゴブリンは基本的に、集団で行動する種族だ。
燐が今まで戦ってきたゴブリンは群れからはぐれた固体であり、モンスターの発生数が少ない1階層だからよく見られる現象だ。
2階層より下に向かえば、ゴブリンは基本的に複数で行動している。
昨日の探索でゴブリン単体との戦いは慣れてきた。今日は群れを相手に戦うつもりだ。
「まずは二体の群れを探すぞ」
「なら、ちょうど真横のルームにいるわ」
燐はアリスに【ハインド】のスキルを掛けてもらい、隣のルームの入り口から中を覗く。
そこは、ダンジョンの通路の行き止まりのような岩だけしかない小さなルームだ。
そこで二体のゴブリンが座って休んでいる。
片方の武器は棍棒、もう片方が岩、だろうか。握りやすい岩を持っている。
『どうするの?』
心中にアリスの声が聞こえる。
『こうする』
燐は一気に駆け出した。
突如響く足音に、ゴブリンたちは慌てて立ち上がる。
燐の狙いは、岩を持つゴブリン。
飛び道具を持つ個体を優先的に狙った。
バットを振るうように短槍を薙ぎ払う。胴体にめり込んだ短槍の穂先が、ゴブリンの細い骨を砕いて絶命させた。
もう一体のゴブリンは、何が起こったのか理解できていないという顔で突っ立っている。
自身の居場所が分かっておらず、混乱していると燐は判断する。
これならいけると、燐は槍を引いて構えた。
そして突き出した槍は、ゴブリンの頭を貫いた。
燐は絶命を確信し、大きく息を吐いた。
「行けたな」
思った以上に簡単に出来たと、燐は拍子抜けした。
「ギリギリじゃない……」
アリスは小言を言いながら燐の側に寄って来る。
事実、ゴブリンは燐の存在に気づく寸前だった。
「ワタシの【ハインド】は、視覚でも嗅覚でも、ある程度存在を認識されたら解けるわ。それを忘れないでね」
アリスの【ハインド】は光学迷彩の類ではなく、相手の意識から消える認識阻害の魔法だ。
相手に存在を確信された時点で消える。
多対一になれば気配を消しきれないアリスの【ハインド】では気づかれる可能性が高くなる。
比較的至近距離に近づけて相手が二体だったから成功したようなものだと、アリスは燐を窘める。
「それなら今の距離まで近づいてから戦えばいい。あと何回か二体組で試すぞ」
燐は二体一の戦法を確立させるため、次の獲物を探す。
アリスもそんな燐について行った。
2人組のゴブリンを狙うこと数回、結果は成功2、失敗1だった。
成功は、近くまで近づいてからの奇襲で一体を倒し、もう一体を即座に討伐することで成功した。
だが失敗の一回は、奇襲を仕掛ける前に燐の存在を警戒され、臨戦態勢にゴブリンが入ったので、諦めて逃げた。
燐は通路の行き止まりにある小さなルームで一息をつく。
小ぶりな岩に腰を掛けて足元の石をこつん、と蹴りつけた。
黒みかかった石が、光苔の照らす空間の奥へと消えて切った。
思ったよりも響いた音に燐は肩を揺らして、アリスを見る。アリスは呑気に宙を飛んでいて危険はないと知る。燐は視線に気づいたアリスに誤魔化すように話しかけた。
「想像以上に地形に左右されるな」
「そうねー。今いるルームぐらいの狭さだとやりやすいんだけどね」
見晴らしのいい長い通路や広いルームの中なら、ゴブリンに近づくまでに足音を立てないように慎重に進む必要がある。その間に燐の匂いが籠り、ゴブリンに気づかれるのだ。
奇襲をするなら、短い通路や小さなルームが最適だった。
「逃げ切る分には大丈夫だし、そろそろ次に進む?」
二体相手でも戦えると分かったアリスは、その次、三体の相手を提案する。
実際、アリスが察知してきたゴブリンは三体組が多かった。
恐らく下の階層では三対一がデフォルトになるとアリスは考えている。
「そうだな。だけどその前にあいつだ」
燐はルームに続く通路の先を見る。そこにはゴブリンの姿があった。
「よく気付いたわね」
アリスが感心する。アリスはかなり前から察知していたが、まさかこの距離で燐が気づくとは思わなかった。
「足音がしたからな」
実際は、石を蹴った後に神経質になって警戒していたからだ。だがそう答えるのは恥ずかしかった燐は適当に誤魔化して立ち上がる。
相手は一体であり、燐は【ハインド】を掛けようとしたアリスを制止する。
「一体ぐらいは実力でやれないと先には行けないだろ」
燐は短槍を持ち、構える。その姿に初めてゴブリンと戦った時のような動揺も緊張も無い。
何度もゴブリンと戦ってきた『慣れ』が、燐の身体から余計な力みを取って、燐本来の実力が出せるようにしていた。
『GiGiGiGiGi!』
真正面から向かってくるゴブリンに対して、短槍を突き出す。かすかな光を反射して光る黒鉄の穂先が相手の間合いの外から伸びてゴブリンの命を刈り取った。
燐は短槍を引き抜いて、刃についた血をふるい落とした。燐は動くゴブリンの動きに合わせて穂先を調整することが出来ていた。
「すごいわ!かっこよかったわよ!」
アリスが小さな手を叩いて燐を称賛する。以前の燐からは想像できないきれいな戦い方だった。
「まあ、これでも『器用』の潜在ステータスAだからな」
燐は照れたように笑った。
『器用』のアビリティが高ければ高いほど、肉体の操作技術や魔力運用がスムーズにできる。
事実、燐は『器用』の数値はステータスの中でも特に高い。
だがアビリティの力を全て引きだすには、本人の修練が不可欠だ。
ただ手先が器用なだけで燐と同じような真似ができるわけではない。
燐の訓練は着実に、燐の力になっていた。
(今のところ順調だ!強力な装備も手に入ったし、予想より早く強くなれるかもしれない……)
燐は冒険者としての成長、その確かな手ごたえに拳を握った。
燐たちは再びダンジョン探索を開始した。
そして今、燐の前には三体のゴブリンがいた。
運よく曲がり角のすぐ先におり、奇襲するには絶好の場所だ。
初めての三体討伐にはちょうどいいと、燐は彼らをターゲットに定めた。
「【ハインド】」
燐の姿が消える。
敵は三体、歩いている。先行しているのが1体、その背後に二体のゴブリンがいる。
武装は全員、石の棍棒だ。
(まずは手前の二体だ)
燐は魔法の準備をする。
魔法の発動方法は基本的には二つ。呪文を詠唱して発動させる『詠唱』と魔法名だけを唱えて発動させる『喚起』だ。
魔法名すら省略する『無詠唱』だったり、逆に詠唱を増やすことで威力を高める『増詠唱』などもあるが、それらをするにはスキルを必要とする。魔法適性の低い燐には生えないだろう。
詠唱をすれば気づかれる可能性があるため、燐が使うのは魔法名だけで発動する『喚起』だ。
「【カース・バインド】」
一番先頭にいたゴブリンの足元から伸びた紫の鎖が、ゴブリンを拘束する。
そして燐は駆けた。まだ異変に気付いているのは先頭のゴブリンのみだ。
燐の奇襲による刺突で、後方にいたゴブリンの一体を討伐した。
胴体に刺した槍をゴブリンの身体に足をかけて引き抜く。
そして二体目のゴブリンを突き刺した。
『GiGiGiGiGi……』
(あぶねえっ!)
燐は二体目のゴブリンと目が合っていることに気づいた。それは、アリスの掛けた【ハインド】が解けていることを意味している。
それは初めに討伐したゴブリンから槍を引き抜くのに手間取ったせいだった。
そして二体目のゴブリンが気づいていたということは、初めに魔法をかけたゴブリンも気づいているということだ。
『Giiiiiiiiiiii!』
怒りの叫びを上げながら、呪いの鎖を引きちぎったゴブリンが、棍棒を構えて燐へと突進する。燐の短槍はまだゴブリンの胴体に刺さっている。
燐は迷った。武器を手放すか、逃げるかを。
そして決断させたのは、アリスの声だった。
「下がって!」
燐は反射的にアリスの声に従って、槍を置いたまま下がった。
それでも完全には躱しきれず、胴を狙った薙ぎ払いを腕で受ける。
「―――――ッがあああああああああっ!」
炎で焼かれるような刺激が、腕から脳へと走り抜ける。
確実に骨が折れたと、鈍い音から確信した。
(痛い痛い痛い痛いッ!)
燐は冷や汗を流しながら、絶叫する。
蹲りたくなる燐を叱咤したのは、またしてもアリスの声だった。
「燐!角まで下がるの!」
燐はゴブリンに背を向けて走り去る。角にはアリスがいて、そこを曲がるとアリスが寄ってきた。
「めっちゃ痛てえ……!」
「腕でよかったじゃない。【ミニヒール】」
アリスの手から発せられた柔らかな光が、燐の晴れ上がった患部に吸い込まれる。
僅かに痛みが引き、まともに思考できるようになる。
「やばい、槍置いてきた」
「持ってたら死体になってたわよ。ワタシが注意を引くからその隙に倒して」
角の先から、ゴブリンの足音がする。先ほど倒し損ねた奴が追ってきたのだ。
アリスはゴブリンに手を向ける。
そして、詠唱を始めた。
「『わたしはあなたの傷となる』【アテンション】」
【アテンション】は、意識を引き寄せる魔法であるが、興奮した相手には効果が薄い。
だが詠唱をしたことで本来の性能となった【アテンション】は、僅か一瞬、ゴブリンの注意を引いた。
燐は咄嗟に背負っていたバックパックを外して放り投げた。中には物がぎっしり入っており、それなりの重量のバックは小柄なゴブリンを押しつぶした。
『Gi!?』
燐はゴブリンに駆け寄り、腰に差していた解体用のナイフを心臓に付き込んだ。
体重を乗せることで片手分の力の差を補い、何とか奥へと押し込んだ。
魔石を砕かれたゴブリンは、灰となって消えた。
「あ……いッ……」
燐はゴブリンが灰化したのを見届けた後、力なく座り込んだ。
「燐!腕見せて!」
アリスが飛んできて、燐の服の袖を捲る。
「うっわ……」
その下から覗いたのは、紫に腫れあがった腕だ。
確実に折れている。
「早く回復薬を飲みなさい」
燐はアリスの声に従い、腿のポーチから一つの薬瓶を取り出す。
「………『下位回復薬』じゃ無理か?」
回復薬にはランクがある。主に下位回復薬、中位回復薬、上位回復薬と格が上がるほど回復効果も強くなる。
だが、作成のために必要なスキルレベルも高くなり、素材も下層のものが求められるため、価格も下位と中位では倍以上違ってくる。
骨折を直すだけなら下位回復薬でも足りるかと思い、尋ねたが、アリスは首を振った。
「変に骨が癒着するのが嫌なら、『中位回復薬』にしときなさい」
「…………そうだな」
中位回復薬は燐が両親の遺産を切り崩して買ったお守り側の高級品だった。
それを惜しむ気持ちが、答えるまでの間に出ていた。
燐は一息に瓶の中身を飲み干した。
すると、右手の腫れが引いて行き、じわじわと染みるようなくすぐったさが患部を包んだ。
そして完全に治る。
「すごいな、これ」
「中位は内臓破裂ぐらいなら治るらしいわ。上位とか万能薬になったら瀕死でも直せるらしいけど」
「らしいな」
それは燐の身体で体感済みだった。
体を癒し、バックパックや武器を集め終えると、アリスがモンスターの接近を警告してきた。
「向こうからゴブリンが三体、来てるけど………」
アリスは言葉を濁す。燐の瞳は迷うように揺れていた。
その時点でアリスは撤退を決めた。
「燐、装備を纏めて。ダンジョンを出るわ」
「―――っ。でもッ!」
「ダメよ。いったん、頭を冷やしましょう」
蒼石のような瞳には確固とした意志が宿っていた。
燐は唇を噛み締め、踵を返す。
背後の小鬼の気配に圧されるように、少年は日の当たる地上へと帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます