小さな墓

燐の両親は冒険者だ。いつ死ぬとも分からない仕事であり、2年ほど前に生前墓を購入していた。燐も連れられて一度見に行ったことがある。

死について語る両親の姿が、儚く消えそうに見えて、墓地で大泣きをして困らせたことを覚えていた。


大体の場所は頭に入っている。

燐はスマホのマップ機能を頼りにモノレールを乗り継ぎ、小さな小高い山の下に立った。

ここは、星底島に人工的に作られた山であり、冒険者の多い『特区』では不可欠な場所だ。

整備された石畳が続いていて、燐は見覚えのある景色に沿って歩いていく。


そして、木々の間に佇む小さな墓を見つけた。

墓石には『遠廻』と刻まれ、彼方、凛音という文字が目に入った。

記憶の中の墓よりも、少しくたびれて、小さく見える。

あの時は、両親を連れ去る箱舟のように見えていた。

それが小さく見えるのは物理的に燐が大きくなったからか。

あるいは、訪れた二人の死が、等身大のものになったからか。


燐は二人の葬式を知らない。燐が眠っている一月の間に終わったからだ。

死者を見送ることも偲ぶこともせず、燐は今、両親と再会していた。


墓を見ていると、2人が死ぬ前のやり取りを思い出す。

後悔は、胸の奥に突き刺さったまま消えない。

だけど不思議と涙は出なかった。


驚くほど凪いだ気持ちで、燐は墓石に手を合わせた。

ざあざあと、常緑樹の葉が揺れる。死出の旗を振るうように右へ左へ揺れていく。

どれだけ手を合わせていたか。燐は両親との別れを済ませた。

燐の身体は冷え切っていて、ぶるりと体を震わした。

振り返り、帰路を見る。すると、お墓三つ分ほどの距離を取って喪服を着た女性が立っていた。手に花を持ち、墓に参りに来たのだと分かる。だけどなぜか、動かず燐を見ていた。


「十香さん……。お久しぶりです」


目を見開いて燐を見つめていた女性は、はっと弾かれたように首を振り、燐に挨拶を返す。


「燐君……。大きくなったね。2年ぶりぐらいかな」


懐かしむように呟かれた言葉に、燐はどうしていいか分からず身をよじった。

それを見て、女性は緊張がほどけたように笑った。


「ご両親のこと、お悔やみ申し上げます。君も大変な目に会ったと聞いた」

「ええ、まあ………どうぞ、俺は終わったので」


花を持った彼女の目的を察していた燐は、いつまでも持たせておくのもおかしいと思い、墓前を譲った。


「ありがとう。先に参らせてもらうね」


女性は、片膝をつき、花を挿す。そして手を合わせた。

それは、燐と同じぐらい長い祈りと謝罪に見えた。


やがて彼女は立ち上がり、燐の方を向いた。


「待たせてごめんね。彼女とは喧嘩別れだったから」


そう言った彼女の顔には、罪悪感と後悔が浮かんでいた。

それは、燐が抱いた気持ちと同じものだった。だからだろうか。要らないことを言ったのは。


「俺も、喧嘩別れでした」


音々にも祖父にも伝えていない、あの日の出来事を何故かであったばかりの彼女には言えた。十香は、そうか、とだけ返した。


「リオは、元気ですか?風邪とか引いてませんか?」


自然、話題はここ数年会っていない幼馴染のことになる。

十香は小さく苦笑した。


「ふふっ。とても元気だよ。今のあの子にそんなことを聞くのは、君ぐらいだろうね」


それはそうか、と燐は恥ずかしそうに黒い瞳を揺らす。

リオはすでに高位冒険者だ。もうただの子供ではなく、心配されるような存在ではない。

だがそれでも、燐の中の少女は、幼い子供のままだった。


「【特区第一ダンジョン】の後始末で忙しくしてるけど、君と会いたがっていた。とても、心配していたよ」

「……リオはダンジョンに?」

「ん、ああ。本当は『イレギュラー』が起こったダンジョンに派遣したくなかったんだけど、あの子は『スターレイン』の主力だ。DMからせっつかれてね」


本当に遠い所にいるのだと、燐は改めて知った。

10歳で冒険者となり、わずか数年で頂点に立った『英雄』。

それが今の燐の幼馴染だ。


―――いつか一緒に冒険者になって、パーティーを組もう


約束した数年前の言葉を思う。

彼女だけが冒険者になって燐はなれなかった。

いつか追いつくと思っていたけれど、年々その差は開いて行き、気づけば彼女は頂点に立っていた。

その焦りもあったのだろう。だから両親にきつく当たった。自分の体質を押し付けた。

今になって燐は思う。

燐は胸を締め付ける後悔に耐えるように、小さく息を吐いた。


「リオによろしく言っておいてください」

「………会わないのかい?」

「………………………はい」


会えないという言葉を飲み込んで、短く返す。

もうかつてとは違い過ぎている。

リオと燐の立場は幼馴染というには隔たり過ぎていて、燐の気持ちは変わり過ぎた。

かつてのように、憧れだけでダンジョンを目指していない。


そんな自分がリオに会うのは怖い。

弱者として憐れまれることも、暗く淀んだ思いに気づかれ、悲しまれるのもどちらも嫌だった。

一言でいえば、覚悟が無かった。


「私の連絡先だ。何かあれば連絡しなさい」


リオと連絡を取る気も無いことに気づいたのだろう。

あるいは、燐の瞳の奥に、暗い情念を感じたのか。

彼女は小さな紙きれを一枚渡して、去っていった。


『スターレイン』が『特区第一ダンジョン』の大氾濫の後始末をしているという話をしていた。

恐らく今日も、忙しい時間の合間を縫って、来たのだろうと推測する。


「気晴らしになった?」


突然、燐の頭の上に重さを感じる。それと仄かな体温の温かさも。


「アリス」

「なぁに?」


彼女は人が多い所では出てこない分別をわきまえているが、人がいなくれなれば勝手に出てきて燐に絡むのだ。


「俺はダンジョンの最下層に行きたい。だけど約束も叶えたい。いつか、彼女に並ぶ冒険者になって一緒に冒険したい。それは、贅沢かな?」

「いいえ。どちらも、同じことよ。力を求めるならいつか必ず出会うわ。だって冒険者だもの」

「………そうだな。なら、強くなるよ。今はとにかく、そうする」


かつての少年の夢と今の彼の悲願。

かちり、と心のずれが埋まるような感覚に燐は笑った。


「強くなる方法思いついたかもしれない」


気晴らしは、燐に思いもよらぬアイデアを与えた。


「どんなの!?」


昨日から考え続けた問題の答えを思い付いたという燐の言葉に興奮したアリスは、身を乗り出して頭から滑り落ちていった。


□□□


その後、燐は激動の一月を歩んだ。

祖父を交えて必要な書類を用意して正式に冒険者資格を手に入れた。


そして燐は、東京で一人暮らしすることになった。星底島の外縁部付近にあるアパートの一室が、燐の新たな家となった。家賃5万円。築20年の物件だ。波の荒い日には耳をすませば波音が聞こえてくる。

最低限の家具ぐらいしかない部屋は、酷く殺風景だった。あの家にあったものは全て焼けて消えた。夕焼けの差す白い部屋は、自分を構成する全てが無くなったように思えて、どこか寂しかった。

ただ、楽しそうに飛び回る一人の妖精が、眩しくて目を細めた。


そして、諸々の手続きが終わった後、祖父と音々は四国の祖父の家に向かうことになった。

燐も四国へ向かう二人を駅まで見送りに行った。

祖父とは別れの挨拶をした。だが結局、音々とは話せなかった。

別れの時も最後まで、音々は無言の抗議を伝えていた。


□□□


その日の夜、燐は食べ物をコンビニで買い、ぼろいアパートに戻ってきた。

築20年のはずだが、潮風の影響だろうか、それ以上に錆が目立つのだ。

キッチンと一体になったリビングのソファに座り、燐は夕食を取る。


「これ美味しいわ!お代わりよ、シェフ!」


最近見た映画で覚えたのか、おかしなことを言うアリスに「そんなやつはいない」と冷たく返す。

アリスは気にした様子もなく、総菜のパックをさらに開けて、次々と肉を頬張っていく。

この妖精は、とてもよく食べる。燐はそれをここ一月程度の付き合いでよく理解した。


「じゃあ、最後の確認だ」


燐はそう言ってアリスに右手を差し出す。


「【ふぃにふぃーる!】」

「飲み込んでから喋れ、飲み込んでから!」


行儀の悪いアリスに注意をするが、魔法効果は発動した。

アリスの妖精魔法:【ミニヒール】。最下級の回復魔法だ。それが燐の右手に当たり、効果を発動させることなく消えた。

もきゅもきゅ、と口を動かした後、ごくりと飲み干してアリスは満面の笑みを浮かべた。


「発動したけど、効果なし。防がれたってよりは、消されたみたいな感じね。どでかい河に小さな石を投げた感じかしら」


燐は頷き、肉を切り裂くような笑みを浮かべた。


「なら、『呪いの武器』も使えるな」


『呪いの武器』。それは、変異した魔力によって汚染された物体を指す言葉だ。

強烈な感情は時に魔力と結びつき、その在りかたを変える。

憎悪、怒り、嫉妬。ダンジョン内で殺し合いを続ける冒険者の遺品や高い知能を持つモンスターのドロップ品などは、時にこの『呪い』を宿す。


『呪いの武器』は強力な装備だ。持ち主に力を与える。だがその対価として、精神汚染が付き物だ。

これが、最大のデメリットだろう。使えば使うほど、力を引き出せば引き出すほど使い手の精神は汚染され、理性を失っていく。

それが宿す強大で甘美な力に引かれ、理性を失い、同じ冒険者に討伐された者は少なくはない。その危険性が広まった今でも、呪いの武器による被害は少なくない。


それを燐は、使おうとしているのだ。


「燐の右手は魔法を消せる。呪いは接触点から身体に広がるから右手で武器を使う限り、燐はリスクなしで『呪いの武器』を使えるわね」


それが燐の辿り着いた、強くなる方法だ。

燐はレベルアップのために、他者の10倍の経験値を稼ぐ必要がある。

そのためには、他者の十倍モンスターを狩るか、十倍の経験値を持つ格上のモンスターを狩るかだ。

そのためには、レベルやジョブに関係しない力が必要だ。

燐が目を付けたのは『呪いの武器』。


「ダンジョンに潜ったら、『呪いの武器』を手に入れるために動くぞ」


心当たりはあった。ダンジョン二階層に存在する特殊領域『ゴブリン村の戦場』。

ゴブリンたちが殺し合うその場所こそ、ダンジョン産の呪いの武器が得られる燐の希望の地だ。


これがうまくいくのかは分からない。それでも燐にはこれしか自分が強くなる方法が分からなかった。

燐は自室でタブレット端末を見る。

既に日付は変わっており、燐の服装もスウェットだ。

タブレットは燐が探索用に購入した品であり、通信速度も早く容量も多い。

頑丈な冒険者用の端末だった。

画面には、特区第一ダンジョン低層の地図やモンスターの分布など、多くの冒険者が集めてきた情報が記載されている。


明日はいよいよダンジョンに潜る日。燐の胸中は不思議な高揚感に包まれていた。

それと同時に確かな恐怖もあった。


「いよいよだ」


万感の思いを乗せて呟く。


「俺は必ず……」


あの日から燐を焼き続ける劫火に誓った。

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