第4話 とりあえず、落ち着こう

「で? 何をするだって?」


 とりあえず落ち着こうと、お茶を淹れて卓袱台に置く。呆れ顔でたずねるスズメに、ヨイチは真面目な顔で問いかけた。

 

「ねぇ、スズメちゃん。本当にヒトはいなくなってしまったと思う?」

「ふごっ!」


 ヨイチの言葉に、スズメは思わず飲みかけたお茶を吹きだした。むせるスズメにヨイチが手拭いを差し出す。


「スズメちゃん、落ち着いて飲んだほうがいいよ」

「あんたのせいでしょ! 全く、何言ってんの。忘れたの? ヒトは三百年も前に流行り病で」

「うん。流行り病であっという間に消えてしまった。でもさ、ヒトってすごくたくさんいたんだよ」

「えっ? あぁ、そうらしいわね」


 残念ながらスズメにはその記憶はない。付喪神になる前、まだ福良雀の根付だった頃には見ていたのかもしれないが、その頃の記憶はどうも曖昧なのだ。


 ただ、他の妖怪や付喪神から話くらいは聞いていた。流行り病が蔓延る前の、ここ、日本橋にはそれはたくさんのヒトがいたそうだ。

 

「それこそ、祭の日なんて大通りが真っ黒になるくらいだったんだよ」


 かつての喧騒を思い出しているのか、ヨイチがふと遠い目をする。

 

 その昔、町はヒトで溢れていた。自分たちから見ればあっという間の命を精一杯謳歌するかのように、慌ただしく町を行きかい、恋をして喧嘩をして、泣いて笑って。本当に騒々しかった。

 妖怪も付喪神も、ヒトというのはえらく疲れる生き方をするものだ、と笑いつつ、その活気あふれる姿はどこか見ていて心が踊るものだったそうだ。


「あれだけいたのに、本当に全部いなくなるなんて、俺は思えないんだ」

「ちょっとヨイチ。本当にどうしたの? やっぱりあんた故障しちゃった?」


 真面目な顔で変な話をするヨイチにスズメは不安になる。自分たちも付喪神。今のところ何の実感もないけれど、力が弱くなっている可能性はある。

 そして、ヨイチはからくり人形。スズメにはヨイチを修理できるだけの知識も腕もない。


「違うよ。今のところ元気だから心配しないで」

「だったら」

「あのさ、確かに流行り病でヒトはたくさん死んだ。少なくとも、ここ三百年、日本橋の町でヒトを見たって話は聞かない」

「そのとおりよ」


 ここユミ屋には日々、いろいろなお客さんが訪れる。相手は妖怪や付喪神。ヒトなら到底無理な距離を駆ける者もいる。

 でも、日本橋どころか江戸の町でヒトを見たなんて話、誰からも聞いたことがない。

 

「でもさ、この国の全部のヒトが消えたかなんて、誰か確認したのかな?」

「はい?」


 予想外の言葉にスズメがキョトンとする。

 いや、そんな。まさか。でも、確かに誰かが確認したなんて話も聞いたことはない。

 

「この絵にはたくさんのヒトが描かれているだろう?」

「確かに描かれているわね。でもこれが描かれたのは、三百年以上も昔の話よ」


 スズメの言葉にヨイチはうなずく。


「うん、そのとおり。でも、ヒトは旅が好きだった。それこそ祭と同じくらい。それにこの国は広い」

「まさか、ヨイチ、あんた」

「スズメちゃん、俺は旅にでてみようと思うんだ。ヒトがどこかにいるかもしれない」

「ちょっと待って!」


 二人の間の版画絵をキラキラとした目で見つめて、今にも店を出て行ってしまいそうなヨイチを慌ててスズメは止める。


「なんでそこまで? いいわよ。百歩譲って、いや、一万歩譲ってヒトがいたとする。それが何だって言うの? ヒトがいたからって黒茶碗が元に戻る訳じゃない」

「いや、百年使ってもらえば黒茶碗は元に戻るかもしれない」


 確かに付喪神を生み出せるのはヒトだけ。いくら豆腐小僧が黒茶碗を大切にしたところで、何百年経っても黒茶碗は黒茶碗のままだ。でも。


「馬鹿らしい。ヒトが見つかったとしても、それが黒茶碗を大切にするとは限らない。ヒトの寿命は短いのよ。百年使うには一人じゃ足りない。子や孫に継いでくれるかなんて、わかりゃしない」


 ヒトはいつもせわしなく生きていた。その心もまた移り気だったことくらい、スズメにも想像がつく。もし、どのヒトも長く一つの物を大切にしていたら、世の中は付喪神で溢れていたはずだ。でも、スズメが生まれた三百年前、ヒトがまだ存在していた頃ですら、付喪神は限られた存在だった。


「でも、大切にしてくれるかもしれない」


 スズメの言葉にヨイチが返す。


「それに、妖怪も付喪神も、力が弱くなっている。それってヒトがいなくなったからだと思うんだ。俺たち付喪神はもちろん。今、町にいる妖怪もヒトがいてこその存在が多い。妖怪たちにもヒトが必要なんだよ」


 豆腐小僧や小豆洗い、彼らはヒトに縁の深い妖怪だ。言われてみれば、他にもユミ屋を訪れる妖怪はヒトの側で暮らしていた者が多い。付喪神だけではなく、妖怪にもヒトは必要な存在なのかもしれない。でも。


「だからって、何でヨイチが?」

 

 別にヨイチが流行り病を呼んだわけでもなければ、誰かにヒトを探して欲しいと頼まれたわけでもない。

 いいじゃないか。今までどおり、小道具を売り、修理をして過ごせば。いるかいないかもわからないヒト探しのために、今の暮らしを捨てるというのか。スズメはそう言おうとしたのだけれど。


「だって、寂しいじゃないか」

「はい?」


 ヨイチに先を越されて、スズメは言葉を失う。


「俺はスズメちゃんが根付に戻ってしまったら寂しい。修理した付喪神が戻らなかったら寂しい。だから、できることがあるならしたい」


 寂しい……だろうか?

 豆腐小僧にたずねられた時も答えのでなかった問いに、スズメは困る。起きてもいないことを考えるのは難しい。そして、スズメは難しいことが苦手なのだ。ただ。


 ヨイチは自分がいなくなったら、物凄く嘆くかもしれない。


 十数年しか一緒にいなかった弦音の時でさえ、あの嘆き様だったのだ。三百年も一緒にいる自分がいなくなったら、単純に考えてその嘆きは三十倍だ。


 それはちょっと嫌だな。


 なぜ嫌なのか? と聞かれたら困るが、スズメは直感でそう思った。スズメは今のところ不調を感じてはいないが、付喪神はヒトが作り出すものだ。だったら、ヒトが近くに存在した方がいいような気もする。


 それに、ヨイチは一度言い出したら聞かない。ふにゃふにゃと優柔不断そうに見せかけて、結構頑固なのだ。この三百年でスズメはそれを思い知っていた。だから。

 

「ヨイチの話はわかった。でも、まず」


 そう、話はわかった。でも、ヨイチはすごく大切なことを忘れている。そして、それに気が付いていない。スズメは再度、大きく深呼吸をした。


「ヨイチ、あんた、まさか一人で行くつもり? あんたが一人で旅なんて無理に決まっているでしょ! 三度のごはんも、洗濯も、何にもできないのに?」


 寂しいと言うその口で、ヨイチは、旅に行こうと思う、と言った。一緒に、とは言わなかった。そこが許せなかった。


「ごめん。でも、スズメちゃん、旅なんて嫌だろ? 何があるかわからないし」

「嫌よ! 嫌に決まってるじゃない!」

「やっぱり。だから」

「そもそも行先は?」

「えっ? それはなんとなくで」

「無理無理、絶対無理! 無計画過ぎる!」

「ごめん」


 目の前のしょぼくれた姿に、怒りに少し呆れが混じる。本当に手間がかかる男だ。

 

「全く、しょうがないわね。一緒に行ってあげるわよ」

「えっ? ……いいの?」


 恐る恐るたずねるヨイチをスズメがキッと睨む。


「ひぇっ! ごめん!」

「ごめんじゃないでしょ! 行って欲しいの? 欲しくないの?」

「そっ、それは」

「はっきりする!」

「はい! 一緒に来て欲しいです! スズメちゃんの言うとおり、俺は世間のことに疎いから、しっかり者のスズメちゃんが一緒に来てくれたらすごく助かる! 一緒に来てください!」


 そう言って頭を下げるヨイチを見て、スズメは、仕方ないわね、とわざとらしくため息をついて見せた。


 こうして、からくり人形とスズメはヒト探しの旅へでることに決めたのだった。

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