付喪神の伊勢参り。スズメは古本を片手に、終末世界でヒト探しの旅にでた。

蜜蜂

第一章 古道具屋、ユミ屋の付喪神

第1話 目覚めない付喪神

「ヨイチ~、大変だよ~」


 早朝の通りに、全然大変そうに聞こえない間延びした声が響き渡る。店を開ける準備をしていたヨイチとスズメは、その声に顔を見合せた。

 

 ここは江戸一番の繁華街、日本橋。大通りから少し入った所にある古道具屋『ユミ屋』。

 

 といっても開店準備をしているヨイチとスズメはヒトではないし、間延びした声で大変だと言っているのも実のところヒトではない。

 

 かつて江戸に暮らしていた、いや、この世界に暮らしていたヒトと呼ばれた存在は三百年前に流行り病であっけなく滅亡してしまった。残されたのは妖怪や付喪神といったヒトならぬ存在だけ。


「朝っぱらから何よ。まだ開店前なんだけど」


 ぶつくさ言いながら引き戸を開けたスズメは、目の前の光景に真ん丸い茶色の目を更に丸くした。


「あら、豆腐小僧、あんた茶碗小僧に鞍替えしたの? って馬鹿なこと言っている場合じゃないわね。ヨイチ、お客さんだよ!」


 スズメは引き戸の外の少年が大切そうに捧げている黒茶碗を見ると、店奥のヨイチに声をかけた。

 

 早朝のユミ屋にやってきた少年。名前を豆腐小僧といい、れっきとした妖怪だ。普段は笊に載せた豆腐をそっと運んでいるだけで、特段悪さをするわけでもない。

 

 そんな豆腐小僧が、今朝は黒茶碗を大事に持ってきたのだ。


「豆腐小僧、おはよう。……おや、黒茶碗じゃないか。あぁ、これは」


 店奥から出てきたヨイチは、豆腐小僧の手の中にある黒茶碗を見ると険しい顔になる。豆腐小僧の持つ黒茶碗は縁が欠けてしまっていたのだ。

 

「ヨイチ、見てよ〜。今朝ね~。黒茶碗が顔を洗おうとしたら躓いちゃって~。僕は気をつけろって言ったのにさ~。そしたら、この有り様さ〜。ほら、欠けたところもちゃんと拾って持ってきたよ〜。治るよね~」


 間延びした豆腐小僧の話を急かすでもなくウンウンと頷きながら聞くヨイチ。

 

 豆腐小僧が持つ黒茶碗はただの黒茶碗ではない。ヨイチたちと同じ付喪神だ。ヒトの姿の時はしわくちゃの好々爺。豆腐小僧と一緒に長屋で暮らしているのだけれど、二人で連れ添っている姿はまるでお爺ちゃんと孫のよう。どうやら転んだ拍子に欠けてしまったらしい。


「なるほど。それは大変だったね。うん、とりあえず継いでみよう」


 そう言って豆腐小僧から茶碗を受け取るとヨイチは店奥の作業場に向かう。


「黒茶碗、大丈夫だよね~?」

「豆腐小僧、あんたはこっちで大人しくしてな。朝ごはんはまだかい? にぎり飯と味噌汁くらいならあるよ」

「あっ、食べる~」


 不安そうにヨイチの背中を見送っていた豆腐小僧は、スズメの言葉に嬉しそうな声を上げる。現金なものだと苦笑いしながら、スズメは一瞬心配そうな目を作業場の入り口に向けるのだった。


「ねぇ、スズメとヨイチって、どのくらい一緒にいるんだっけ〜?」

「う〜ん、弦音つるねが死んじまったのは流行り病も終わりの頃だったから、三百年ちょっとかな」


 朝ごはんの残りを握り飯にしておいたものに醤油を塗りながら、スズメは答える。金網に載せて炙りながら、ついでに味噌汁にも火をいれる。

 

「そっか〜。ねぇ、ヨイチがいなくなったら、スズメは寂しい〜?」

「えっ?」


 味噌汁を椀に注ごうとしていた手が一瞬止まる。

 弦音が死んでから、ヨイチと二人でユミ屋を切り盛りしてきた。長い時を生きる付喪神にとっても三百年は短い時間ではない。

 でも、いるのが当たり前で過ごしてきた。急に、いなくなったら寂しいか、と聞かれても良くわからなかった。


「馬鹿なこときいてんじゃないよ。ほら、残り物で悪いけど」


 どう答えたらいいのかわからず、スズメはとりあえず強引に話を変えることにした。第一、ヨイチは今いるわけだし、考えるだけ無駄な気もした。何より、スズメは小難しいことが苦手なのだ。


「わぁ、美味しそ〜! 黒茶碗が欠けちゃったから、朝ごはん食べてなかったんだ〜」


 スズメの強引さを気に留めた風もなく、目の前のごはんに豆腐小僧が笑顔になる。


「朝ごはんは黒茶碗が作っていたのかい?」

「ふん、ひょうだよ。(うん、そうだよ)」


 早速にぎり飯に齧りついた豆腐小僧がうなずく。

 

 妖怪も付喪神も、おそらく食事はいらない。試したことはないが、食事をとらない者もいるのは知っている。しかし、その者たちが飢えて困っているという話を聞いたことがない。つまり食事は必須ということではないのだろう。


 なのに、ヨイチとスズメは日に三度、顔をあわせて食事をする。おそらく豆腐小僧と黒茶碗も。

 長く一緒にいれば情もわく。三度の食事には栄養以外の何かがあるのかもしれない。


 もし、このまま黒茶碗が治らなければ、豆腐小僧の食事はどうなるのだろう。一人きりの食事は味気なさそうだ。


 そんなことにはならないといいのだけれど。

 スズメはもう一度、店奥に目をやった。


 豆腐小僧の朝ごはんも終わり、スズメの後片付けも終わり、開店時間となったので店を開ける。二人で並んで店番をしていると。


「豆腐小僧、ごめんよ」


 その声に、ハッと豆腐小僧とスズメが振り返る。

 作業場からでてきたヨイチは、すまなそうな顔をしていた。その手には黒茶碗がある。駆け寄ってのぞき込んで見れば、黒茶碗は綺麗に継がれ、どこか欠けていたかわからないくらいだ。

 でも、黒茶碗は黒茶碗のままだった。


「そっか~。黒茶碗、お爺ちゃんだったものね~。仕方ないね~」


 あっさりとした言葉とは裏腹に豆腐小僧はじっと黒茶碗をみつめる。

 そっと手を伸ばす豆腐小僧にヨイチが黒茶碗を渡す。豆腐小僧は黒茶碗をまるで世界でたった一つの宝物かのようにそっと両手で包み込んだ。

 その姿にヨイチが顔をしかめる。そんなヨイチを、あぁまたか、と内心で呟きながらスズメが眺める。


「ごめん」


 悔しそうに、申し訳無さそうに言うヨイチに豆腐小僧が首を横にふる。

 

「謝らないでよ~。ヨイチのせいじゃないよ~。さて、僕、帰るね~。綺麗に継いでくれたし、これで食後のお茶でも飲も~。百年使えばまた起きるかもしれないしね~」


 間延びした声で告げられた言葉にスズメとヨイチは息を飲む。二人で顔を見合わせた後で、スズメが言いづらそうな顔で口を開く。

 

「豆腐小僧、あんた、それは」


 スズメの言葉が終わる前に豆腐小僧が笑う。

 

「噓だよ~。わかってるって~。ヒトが使わなきゃ付喪神にはなれないもんね〜。スズメちゃん、僕の方がずっと長生きなんだから知ってるよ~」


 豆腐小僧の言葉に、今度こそスズメとヨイチは言葉を失った。


「朝っぱらから、ごめんよ~。ありがと~。じゃあ、またね~」


 来た時と同じように豆腐の代わりに茶碗を捧げて豆腐小僧は店を出て行ったのだった。


 ***

 読んでいただきありがとうございます!

 ゆる~い終末世界で付喪神がヒト探しの旅にでるお話です。

 神様、妖怪、江戸文化。いろいろ出てきますので、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです!

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