14. 女神の贖罪

「えっ! なに……?」


 あまりの眩さに咄嗟に目を閉じたわたしは、これほど異様な出来事が起こったのに周囲が静まり返っていることに違和感を抱く。


 そっと目を開けると、みんな笑顔を携えたまま、微動だにしていなかった。


 そう、それはまるで――


「少しだけ、あなたの力を借りて時を止めました」


「えっ! あ、あなたは……!」


 背後から凛と澄み渡る声がして、わたしは慌てて振り向いた。


 そこには、『アインスロッド洋菓子店』にたまに訪れてくれる白髪の美女の姿があった。


 彼女の言う通り、わたしたち以外の時間が止まったように、周囲の人々はピクリとも動かない。

 今この空間には、わたしと――目の前の女性だけしかいないんだ。

 異様な事態なのに、不思議とすんなり受け入れることができた。


 彼女のサファイアブルーだったはずの瞳は、虹色に輝いて見え、風が吹いていないのに美しい白髪がフワフワと靡いている。どこか神秘的なその様相に、どうしてか懐かしさを感じる。


「あなたと、少し話をしたかったのです――ミラベル」


 こ、この声――!


 名前を呼ばれて、記憶がフラッシュバックするように脳内に声が響き渡った。


『ミラベル、私の愛しい子――』


 わたしは知っている。この声を。


「あ、あなたは……女神様、なのですか?」


 確かめるように問うた声が震えてしまう。

 だってまさか、女神様が姿を現すなんて聞いたことがない。それに、ここはサミュリア王国ではない。女神様はサミュリアを加護しているはずなのに、なぜ――


 頭の中を疑問符が覆い尽くしている間にも、女神様は生き別れた我が子を見るような眼差しでわたしを見ている。


「ああ――ああ、可愛いミラベル。ずっと、謝りたかったのです。私が加護を与えたせいで、あなたは不幸になってしまった……サミュリアでは聖女は尊ばれる存在であったはず。だから、聖女になれば、あなたは幸福に満ちた人生を歩めると、そう思っていたのに――」


「そ、そんなっ! 女神様のせいではありません」


 そう。わたしが、わたし自身が幸せになることを諦めてしまっていたから。

 だから家族に見放され、女神様にも見限られて――


「ミラベル、私はずっとあなたを、あなただけを見守ってきました。あなたはまだ気付いていないようですが、癒しの力は着実に戻りつつあります」


「癒しの力……?」


 それから女神様が教えてくれた事実に、わたしは開いた口が塞がらなかった。


 癒しの力を使役するには、膨大なエネルギーが必要だということ。

 幸せな気持ちが力の源になっているということ。

 つまり、お腹も心も満たされていなかったわたしが癒しの力を使うエネルギーを有していなかったことは明らかで――


「あなたは今、満たされて、幸せを感じているのでしょう。そうでなければ、あなたが手を加えたお菓子に癒しの力が宿るはずがないのですから」


「えっ! お菓子に、癒しの力が?」


 女神様曰く、お菓子作りをする際の幸せな気持ちや、食べた人に喜んでもらいたいと願う気持ちが癒しの力を引き出しているのだとか。


「私はずっとミラベルを見守っています。けれど、過剰な力は、時に利用され、自らを不幸にするものなのだと学びました。だから、必要以上に強力な力は与えません。また利用され、閉じ込められ、搾取され――擦り減っていくあなたを見るなんて耐えられません」


「女神様……」


「あなたはもう、十分に頑張りました。ミラベル、これからは自分の幸せのために生きていいのです」


 頬に熱いものが流れていく。

 感極まって、色々な感情が溢れ出して喉元まで迫り上がって来ているような不思議な感覚に包まれる。


 ポロポロと涙を溢している間にも、女神様は音もなく歩みを進める。


 そして、笑顔で固まったままのアインスロッド様の前で立ち止まった。


「あなたの愛しい人を蝕んでいた呪いは、あなたがほとんど癒してしまったのですね」


「え……?」


 身に覚えのないことに、わたしは目を瞬いた。

 わたしがアインスロッド様の呪いを癒していた……?


 戸惑うわたしに、女神様は優しい笑みを向けた。


「彼を見れば分かります。あなたは今、本当に幸せなのですね」


「……はい。とても」


「そうですか。心から喜ばしく思います」


 微笑を浮かべた女神様は、そっとアインスロッド様の背中に手を翳した。途端に、パァッと白く清らかな光が弾ける。


「呪いの残滓を消し去り、祝福を授けました。この者は必ずや天寿をまっとうするでしょう」


「え……」


 アインスロッド様の呪いが、解けた?

 つまり、アインスロッド様が呪いに命を奪われることがなくなったということ――?


「っ! あ、ありがとうございます!」


 感極まったわたしはガバッと頭を下げて女神様に最大限の感謝の気持ちを伝える。

 相変わらず涙は止まらなくて、パタパタと溢れた涙が床に染み込んでいく。


「顔をあげなさい」


 静かにわたしの前に歩み寄った女神様に促され、わたしはゆっくりと顔をあげた。

 女神様の滑らかな白い指が、わたしの頬を伝う涙を拭ってくれる。


「幸せにおなりなさい。愛しいミラベル――私はずっと、あなたを見守っています」


「あ……」


 最後にニコリと微笑んだ女神様から、金色の光が溢れ出す。温かで心地よい光の奔流に飲まれ、眩しくて目を覆ってしまう。


 再び目を開けた時、ワァッという歓声が鼓膜を震わせた。

 顔をあげると、新郎新婦が互いにスプーンで掬ったケーキを食べさせ合っていた。


 キョロキョロあたりを見回すも、女神様の姿は見つからない。


「ミラベル? どうかしたのか? 泣いているのか?」


「え……」


 さっきのは夢? それとも現実?

 困惑しているわたしの顔を心配そうにアインスロッド様が覗き込んできた。


 慌てて手鏡で確認すると、目元も頬も涙の跡で化粧が落ちてしまっている。足元に視線を落とすと、僅かに涙が滲んだ跡が残っている。


「……現実? ということは、アインスロッド様の呪いは……!」


 わたしはガバッとアインスロッド様を見上げるように顔を上げた。突然の至近距離にたじろぎ後退りするアインスロッド様の腰に腕を回してギュッと抱きついた。


「なっ、なっ! み、ミラベル!?」


 アインスロッド様ともっと、ずっと一緒にいられる。

 そう思うと嬉しくて、愛おしくてたまらなくて大胆な行動に出てしまった。

 アインスロッド様は狼狽え、周囲の人からもピュウ!と口笛を吹かれる始末だ。だけど、もっとアインスロッド様の存在を確かめたい。彼を感じたくてたまらない。


「アインスロッド様……!」


 ギュッと腰に回した手に力を込める。

 ガッチリとして神木のように逞しい身体。

 いつもわたしを導いてくれる芯の強い人。

 呪いにも負けず、自分に正直に、毎日笑顔を絶やさない素敵な人。

 わたしの大好きな人――


「……ミラベル、その……君に抱きしめられるのはたまらなく嬉しいんだが……そろそろ離れてくれないか? 色々と限界だ」


「あっ! す、すみません。わたしたら、つい……」


 アインスロッド様が珍しく消え入りそうな声で囁くものだから、わたしは慌てて身体を離した。

 アインスロッド様は瞳の色に負けないぐらい頬を真っ赤に染めていて、ガッチリした腕で顔を隠している。


 周囲の人や新郎新婦の二人(とっても嬉しそうないい笑顔をしていた)にもペコペコと頭を下げて、わたしたちは二人して真っ赤な顔を隠すようにそそくさと自分の席へと撤収した。

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