12. 思わぬ来客とミラベルの力

「娘が誕生日でねえ。メッセージプレートを書いてくれるかい?」


「ええ、もちろんです。ミラベル、頼めるか?」


「はい!」


 常連客の女性の注文を受け、ミラベルがすっかり慣れた手つきでチョコペンを走らせる。

 名前と祝いのメッセージを書いて、女性客に確認してもらっている様子を俺は一歩引いた位置から見つめる。


 女性客はミラベルの書いたプレートを気に入ったらしく、満面の笑みを携えて店を後にした。


「ありがとう。ミラベルのおかげで素敵な笑顔が見られた」


「いえ、そんな。アインスロッド様のケーキが人を惹きつけているのですよ」


 ミラベルは決して自惚れない。もっと誇っていいのにともどかしい気持ちになることもあるが、控えめなのもミラベルの良いところだろう。


 ちょうど客足が途絶え、店内の在庫を確認している時、カランコロンとドアベルの音が響いた。


「いらっしゃいま……お前は……」


「ああ、やっぱり君だったか。元気そうで何よりだ」


 視線の先にいたのは、店に似合わぬ真っ黒な外套を羽織った男で――よく見知った奴だった。


「……すまない、ミラベル。少し店を任せてもいいか?」


「は、はい! お任せください」


 やや緊張した面持ちのミラベルを置いて行くのは後ろ髪引かれる思いだが、この男が来たと言うことは――呪いに関する話に違いがない。


 俺は外套の男――サミュリア王国の魔術師リカルドを店の奥へと案内した。

 わざわざ国境を越えてきたんだ。余程の用事なのだろう。


 部屋に入ってバサリと下ろしたフードからは、艶やかな銀髪がサラリと流れ落ちる。

 リカルドは琥珀色の瞳と腰ほどまでの長い銀髪が特徴的な優男である。


「よくこの店のことを突き止めたな」


 国を出る際、限られた者にしか行く先を知らせていない。

 わざとらしく訝しむ俺に対し、リカルドはククッと楽しそうに笑った。


「筋骨隆々の男が愛らしいエプロン姿で洋菓子店を経営しているという噂を耳にしてね。君だと思ったんだ。随分と可愛らしい店だな」


 なるほど。リカルドは俺の好みを把握していたのだった。

 素直に褒め言葉と受け取って笑みを返した。


「ああ、そうだろう? 俺の好きなものばかりを詰め込んだ。このエプロンも自信作だ」


「エプロンについてはノーコメントで。まったく、鬼の強面騎士団長からは想像もつかないな」


「おい、鬼は余計だ」


 緊張が解けた俺たちは軽口を叩き合いながら、固い握手をして久方ぶりの再会を喜び合う。

 騎士と魔術師は共に魔物討伐に出ることも少なくはなく、それサミュリア王国一の魔術師であるリカルドとはよく組んで討伐に出たものだ。


「それで、要件は? 呪いに関することなんだろう?」


「ああ。僕が余命宣告をして、そろそろ三ヶ月が経つ。呪いの痛みが強くなった頃合いかと思って様子を見に来たんだ」


「なるほど」


 リカルドは俺を心配して訪ねてくれたというわけか。いい友人を持ったものだ。

 俺は正直に最近の症状について答えることにした。


「実はな、このところ全く痛みを感じないんだ。呪いを受けた当初ですら刺すような痛みが走っていたというのに――ちょうどいい。呪いの状態を見てくれないか?」


「いいだろう。上着を脱いで見せて」


 リカルドに促されるがまま、俺はエプロンを解いてシャツを脱いだ。

 呪いを受けた背中をリカルドに向けると、リカルドが息を呑む気配がした。


「どうした? 絶句するほど酷い有様なのか?」


 痛みがないだけで、呪いは着実に進行しているはず。

 自分では見えない位置に呪いの紋様が刻まれているため、リカルドの反応に不安な気持ちが膨らむ。


「いや…………呪いが、消えかけている」


「…………なんだって?」


 信じられないというように何度も俺の背中を撫でるリカルド。

 ペタペタ触られてむず痒くなってきた頃にようやく離れてくれたので、すかさずバサリとシャツを羽織る。


 リカルドは、脱力したように椅子に腰掛けてブツブツ何やら呟いている。こうなると周囲の話は耳に入らないので、俺はひたすらに待つしかない。

 いそいそと紅茶とケーキを用意して、「うまいなこれ」とリカルドが思考の合間にパクパク食べる様子を見守りながら待つ。


 そしてふと、リカルドの手が止まった。


 リカルドは目をまんまるに見開いて、今し方フォークで掬い取ったばかりのケーキを凝視している。そして、何かに思い至ったのか、バッと俺に視線を向けた。頬にクリームがついているが、そのままにしておいてやろう。


「そういえば、店にいた女の子……先代の聖女様に似ていなかったか? 表情も体型も違うが……」


 出会った当初と比べると、ミラベルはよく笑うし体型も平均的な膨らみを帯びている。まるで別人と見紛う変化であるが、よく気付いたものだと感心してしまう。


 ミラベルの身の上を話していいものか一瞬悩んだが、隠したところでリカルドにはバレるだろうと腹を括る。


「ああ。お前の言う通り、ミラベルはサミュリア王国先代の聖女だ。王国ではぞんざいな扱いを受け、衣食住すら満足に与えられずに痩せ細り、とうとう国外に追いやられてしまった。偶然出会ったことをきっかけに、俺の店で住み込みで働いてくれている」


「……なんてことだ」


 リカルドは顔を青くして深いため息をついた。

 どうしたのかと続く言葉を待つ。


「僕は神殿が好きじゃなくてね。あそこには最低限しか立ち寄らなかったし内情を知ろうともしなかった。だから、聖女様――ミラベル様がそんなに不当な扱いをされているなんて思いもよらなかったよ。はぁ……なるほど、これで合点がいった」


 一人納得するリカルドであるが、分かりやすく説明してもらわねば話の要領を得ない。目でそう促すと、リカルドは「そうだよね」と小さく笑って静かに語り始めた。


「サミュリア王国は女神様の加護で繁栄してきた国だ。君も自分の母国のことだからよく知っているだろう? 女神に見出された子は聖女となり、女神の力の一端を授かる。その力はね、常軌を逸する力なんだ。膨大なエネルギーを必要とするから、食事や睡眠を十分に取らなくては本来の力を発揮できない。それほどエネルギーを消費する力なんだよ。それに何より重要なのは、心が幸せに満ちていることだ」


 リカルドの言わんとすることが、次第に分かってきた。

 まさか、ミラベルが力を失ったのは――


「ああ、君の思う通り、彼女は満たされていなかった。お腹も、心も。力を発揮するためのエネルギーも足りず、幸せには程遠い生活を強いられていたのならば――力を失ってしまうのも仕方のないことだ。いや、恐らくは……力を発揮できない状態にあっただけで、女神の加護は続いていたんじゃないだろうか」


 なんてことだ。

 ミラベルは女神に見限られたわけではなかった。

 だが……ではなぜ、妹に力が顕現したのだろう?


「これは僕の仮説だけど、同じ血筋でミラベル様の近くにいた人物が現聖女のトロメアだったんだ。つまり、彼女はあくまでもミラベル様の代替品……言葉は悪いけどね。ミラベル様に声が届かなくなった女神様がやむを得ず接触したんじゃないだろうか? 例えば――ミラベル様の扱いを是正しろ、と伝えるためにね」


 俺は、呪いを解きに神殿に赴いた日のことを思い起こしていた。

 高飛車で、傲慢で、自らの力を驕っていた女。

 そのくせ呪いを解くことができず、自分に不都合な事実を無かったことにした女。

 それが心優しいミラベルの妹だとは今でも信じられない。


「実はね、その現聖女の力が消失したんだ。ああ、これは国家機密なんだけど。内緒だよ?」


 サラリと国家機密を漏らすリカルドにため息が漏れる。


「お前……はぁ、分かったよ」


 先日そんな噂話を聞いたばかりだが、事はもっと深刻なようだ。


「サミュリア王国中枢は今おおわらわだよ。次代の聖女も見つかっていないし。でも、見つかるわけがなかったんだ。だって、本物の聖女は今も昔もミラベル様ただ一人なのだから」


 リカルドは、目の高さに持ち上げたフォークを揺らす。

 そしてパクリとケーキを頬張った。


「これ。このケーキ、ミラベル様の手が入っているよね?」


「あ、ああ。俺一人だと見栄えが酷すぎてな。手伝ってもらっているが……」


「このケーキには癒しの力が込められているよ」


 リカルドがサラッと述べた言葉にガツンと頭を殴られたような衝撃が走った。


「な……まさか!? いや……ううむ」


「ん。なんか心当たりがあるようだね」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、リカルドは再びケーキにフォークを沈める。


 俺の頭に浮かぶのは、常連客のみんなが口を揃えて言う言葉。


『アインスロッド洋菓子店のお菓子を食べるようになってから、身体の調子がすこぶるいい』


 ミラベルが仕上げたお菓子に癒しの効果が付与されているのだとしたら、彼らの言葉にも合点がいくというものだ。


「まさか、俺の呪いが消えかけているのも――」


「ああ、ほぼ間違いなく彼女が癒しているんだろうね」


 何ということだ。

 誰にも解呪できないと言われた呪いを、ミラベルが?


 彼女本来の癒しの力は、実はとんでもなく凄まじいのではないだろうか?


 そうと分かれば、気になるのは――


「……王国はミラベルを取り戻そうとするだろうか」


 ミラベルを不当に扱った王国に、彼女を差し出す真似はしたくない。俺の自惚でなければ、ミラベルは今の生活に幸せを見出してくれているはずだ。

 それに、俺が……俺自身がミラベルを手放したくない。


 そんな俺の杞憂を吹き飛ばすように、リカルドは微笑んだ。


「いや、聖女トロメアの独断だったにしろ、彼女の行動を咎めずミラベル様を追おうとしなかったのは王国だ。今更彼女がようやく掴んだ幸せを奪うようなことはさせないよ。それに――」


 パクリとケーキを口に運び、味わうように咀嚼してから、リカルドは再び口を開いた。相変わらずクリームが口元についたままだ。


「真の聖女が力を取り戻した。それも異国の地でね。それはつまり、女神様は王国を加護しているわけではなかったということだ。そうとも知らず、女神様の忠告を無視してミラベル様女神の愛し子を追い出したんだ。女神様に見放された王国は廃れていくだろうね」


 とんでもないことをあっけらかんと述べるリカルドはやはり変わった男だ。だが、こいつの裏表のないところには随分と救われてきた。


「と、いうわけで。話を戻すけど、君の呪いも近いうちに完全に消え失せるだろう。つまり、君は死の呪縛から解放されたわけだ」


「あ……」


 そうか。

 俺はまだ、生きられるのか。


 呪いが消えかけていて、それはお菓子に付与されたミラベルの癒しの力のおかげだと急に言われても、なかなか実感が湧かない。


 ――そうか。

 俺は、生きることを望んでもいいのか。


「そう、だから――君の想いを押し込める必要はないってわけだ。さっさとミラベル様に求婚しちゃいなよ」


「ゴフッ」


 話がとんでもない方向にぶっ飛んで、俺は思わず盛大に吹き出してしまった。


 こ、こいつは……!

 勘が良すぎやしないだろうか……!


「そ、それは……俺のペースでさせてくれ」


「お、やっぱり惚れてたか。彼女の話をする君の目が随分と優しかったからね、カマをかけてみたんだが大当たりだったようだ」


「お前……」


 熱くなった顔を腕で隠しつつ、ジロリと睨みつけてやる。リカルドは「おっかないね」と楽しそうに笑うばかりだ。


 ミラベル。

 俺は君との未来を望んでもいいのだろうか。


 諦めかけていた未来に光が差し、俺は決意を固めるように拳を握りしめた。

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