開かずの間
「なんかいい匂いするね!」
「厨の方からですね、夕餉をつくっているはずです、少し覗いてみましょう」
部屋を出れば、どこからか漂う匂いに食欲を刺激される。言われるがまま薫瑛の後ろをついていくと、広い調理場の前を通りかかった。かまどがずらりと並ぶそこは、何人もの人が忙しそうにせっせと立ち働いていた。
「ここで、住み込みの臣下のぶんも含めて、数十人分の食事が作られています。冥界では基本的に一日二食ですので、朝晩と働いてもらっています。」
「へぇ、すごいなぁ。けど毎日だと大変だよね……。」
「あぁ、ご心配なく、彼らは疲れを感じません。調理してる者みんな、式神たちなんです。」
「えっそうなの!?普通の人間に見えるけど……」
「動物の姿だと、調理がしにくいでしょう?なので人型で召喚しています。式は火に弱いので、耐火の術をかけなくちゃいけないのが少し手間ですが。基本的に口はきけませんが、簡単な指示なら理解してやってくれます。何より怠けずにひたむきに働いてくれますからね、助かっていますよ。」
「へぇ〜……うわっ!」
忙しそうに働く彼らの邪魔をしてはいけないと遠目で見守っていると、なかなか衝撃的な光景を目にしてしまう。
今日のメイン料理だろうか、ひとりの式神が黙々と魚らしきものをさばいているのだが、これがなかなかグロデスクな見た目をしていた。体表は紫色の鱗に覆われ、背びれや尾ひれは艶のある黒で、ギラギラと鈍い光を返している。そして、力無くまな板の上に横たわっているものの、濁った目玉がぎょろりと周囲を睥睨しているように見えた。見た感じ魚っぽいのだが、なぜだか脚が生えている。
――これ、美味しいんだろうか?
色合いが毒々しいのと得体がしれない生き物なのもあって、ちょっと食べるのには抵抗があった。
恵菜の引き攣った顔を見て、ヨミと薫瑛は慌てて視界を遮ると、フォローとばかりに言い募った。
「すまぬエナ、嫌なものを見せてしまった。案ずるな、そなたの膳に並ぶ頃には、元の姿は跡形もなくなっていようて」
「えぇ、大丈夫ですよ、見た目によらず美味しいんですから!はじめはその、実物を見てしまうと食欲が湧かないかもしれませんが……。」
「えぇ……そ、そうなんだ。ちょっとその、ゲテモノ系は苦手なんだけど……。ていうか、あれ、なに?魚?サンショウウオ?」
「えぇ、恵菜様。ただの魚です。ここから丑寅の方角にある、『般若の血染め池』に住む怪魚でして」
「いや名前からしてヤバそう!」
後退りする恵菜に、薫瑛はフォローにもならない情報を付け足す。
「縁起物なのですよ、大きな鳥にさえ臆せず果敢に喉笛に食らいつき、自らの住む池へと引き摺り込むのですから。勇猛と称えられる怪魚です、はじめは臭みが強いですが、滋養強壮にも」
「わ、わかった、わかったから!ごめんって!ちゃんと食べるから!」
隣できゃあきゃあと騒ぎ立てる恵菜たちに一切目もくれず、式神は一口大に切ったその魚の身に衣をつけて油で揚げていた。だが、こんがり揚がったそれから漂う香りに、恵菜はごくりと喉を鳴らした。
ここへきて、自分が空腹だったことに気づく。確かにヨミの言う通り、調理された後の見た目はかなり普通だ。
「……おいしそう」
ぽつりとつぶやくと同時にギュルル、と腹の虫が鳴り、恵菜は頬を染めた。恥ずかしすぎる。だが薫瑛は待ってましたと言わんばかりに張り切ってこんなことを言った。
「一口味見しますか?」
「えっ……いいの?」
「えぇ、揚げたての方が美味しいですし」
そんな、つまみ食いなんて行儀が悪いかも。そんなことも考えたが、空腹の前では我慢などきかなかった。そそくさとつまんで口に入れる。揚げたてのそれは熱々で、はふはふと口から湯気を吐き出しながら歯を立てた。サクサクの衣を噛むと、ジュワリ、と新鮮な魚の旨みが溢れてくる。歯触りはややザラザラして弾力があるものの、味は見た目より癖がなく、あれだ、鶏肉の唐揚げに近い。
「……美味しい」
「……!本当か?」
「お口に合ったようで何よりです、エナ様」
恵菜は柄にもなく感動していた。自分が揚げた唐揚げよりうまい。というか普通の魚とか鶏肉とかより旨みが強い気がする。上機嫌でもぐもぐと咀嚼する恵菜を見て薫瑛は満足げに微笑んだ。
「気に入られたようで何よりでした。調理前の食材を見てしまい、何もこちらの食べ物を受け付けなくなるおなごもおりますので……。」
「えっそうなの?」
「えぇ、やはりエナ様は選ばれしお方、臆せず怪魚を食す勇猛さはまこと王妃にふさわしいかと」
また褒められたのか馬鹿にされたのか分からない祝辞を受け、恵菜は鼻白んだが、隣のヨミも心底ホッとした顔をしていたのに驚く。
「安堵したぞ、これで二度と食事をとらぬと言われてしまったらどうしようかと思っていた。何も口にせねばじきに魂も衰弱してしまうゆえ……。」
「そ、そんな大袈裟な」
ヨミはただでさえ白い顔から余計に血の気を引かせて、自分を落ち着かせるようにしきりに腕をさすっていた。その光景にやや引っ掛かりを覚えつつも、薫瑛に声をかけられ恵菜はその場を離れた。
そこからも屋敷の中を歩き回り、恵菜が目をとめたものにヨミや薫瑛が丁寧に説明をしてくれる。そろそろ全ての部屋を巡ったのではと思った頃だった。
屋敷の一番奥の突き当たり、遠目に観音開きの大きな扉が見え、恵菜は足を止める。少し奥まった場所にあり、風の通り道から外れているからか、妙にすえた匂いが鼻をかすめた。かんぬきをかけられ、厳重に締め切られたそこはものものしい雰囲気があったが、ひときわ異様に見えたのは、扉に貼られたお札だった。魔除けの札のようなものが扉を封じるように貼り付けられている。
「あの扉は……」
「エナ」
ヨミが突然口を開いた。いつものしっとりした優しい声ではなく、やや強い口調で名前を呼ばれ、恵菜は反射的に身をこわばらせる。
「……そろそろ夕餉ができる頃合だ、戻ろう。歩き回って疲れたであろう?」
相変わらずの美しい笑みを浮かべ彼はそう言うと、恵菜の腕を引いて歩き出す。穏やかな口調はいつも通りなのに、そこには有無を言わせない響きがあり、恵菜はそれ以上何を言うこともできなかった。
二の腕にヨミの指が食い込む。力加減はしているものの、彼にしては強く恵菜の腕を掴み、来た道を戻っていく。その手が少し震えている気がして、恵菜はぎくりとした。怒らせたのだろうか?おそるおそる顔をあげるが、頭上にあるヨミの表情はよく見えない。結局は何も言えず、恵菜は彼についていくことしかできなかった。
その光景を、薫瑛は背後からじぃっと見つめる。そして呆れたようにため息をついて、ぽそりとつぶやいた。
「……まったく。あからさま過ぎますよ、大王様。」
薫瑛は喉の奥で低く笑うと、それきり黙って二人の背中に続いた。
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