絆されてきてる

 薬草の匂いが鼻腔をくすぐる。なにかこう、植物を燻したような、ハーブみたいな……。まぶたをゆっくりと持ち上げると、見慣れぬ天井があった。水墨画だろうか、霧にかすんだ山々を背景に、仙人のような格好をした誰かが笛を吹いている絵が天井画になっている。背には柔らかな感触、清潔なリネン類の香りがして、寝台に寝かされているのが分かった。


「気がつかれましたか」


 小さくうめいて声のする方を見れば、眠る直前に見た少年が恵菜の顔を覗き込んでいた。


「え、えっと……?」

「薫瑛と申します。おそれながら、これからエナ様の身の回りのお世話をさせていただきますので、ぜひともお見知り置きを」


 薄く静かな笑みを浮かべる彼は恵菜の歳の半分ほどにすら見えるのに、非常に落ち着き払っていて達観しているというか、なぜだか年の功みたいなものを感じさせた。可愛らしい見た目と裏腹に、口調も丁寧ながらはきはきと明瞭で、隙がない。


「あ、どうも……。及川恵菜です。お世話になります。」

「とんでもございません。王妃様のお世話をさせていただけるのはこの上ない栄誉でございます。それに、僕のようなしもべに堅苦しい言葉遣いは不要、楽に話してくださいませ」


 あんまりにも大層な言葉に恵菜の方が申し訳なくなってしまう。こちとらついさっき即日プロポーズを受け、訳のわからぬまま死後の世界に来てしまっただけのアラサー女である。

 なんと返したらよいか分からず愛想笑いを浮かべる恵菜をよそに、薫瑛はやけに上機嫌だった。


「それにしても、本当にご気分が安定していらっしゃる。冥王を支え共に冥界を導くおなごとして、大変頼もしくございます。」

「え?そうかな……。」

「えぇ、突然見知らぬ世界に連れてこられ、並みのおなごは恐怖と混乱から泣き喚くものでございます。エナ様もお気持ちが安定するまではと、一応気つけ薬を煎じてまいりましたが、いらぬ気遣いでございました。さすがでございます」


 しきりに褒める薫瑛だが、並みのことでは心が折れないゴリラのようなメンタルだと言われたような気もして、恵菜はやや複雑な気分だった。


「まぁ、私は、好きで来たからかな……。急に連れてこられたら、確かにびっくりするし、怖いかも」

「……承知しております。そこは僕たちも頭を悩ませていたところでした。突然封筒を拾ったからと誰彼構わず嫁にとっていては、うまくいくはずもないと……。ですが、しきたりでして」

「しきたり?」

「えぇ、生きとし生けるものもの全て、合縁奇縁。すべては巡り、どの出会いにも意味がある、偶然などない。その思想からか、冥界の王は代々嫁探しにはこのような形をとっているのです。赤封筒に込めた真名を手に取りしおなごこそ、かの運命の王妃だ、と。」


 流れる水のように朗々と言葉を紡ぐ薫瑛だが、この時ばかりは妙に声色に熱が入り、瞳もぎらついていて。この世界で冥王に仕える腹心としての矜持が窺えた。


「ようやく真の王妃様が現れ、僕たちも嬉しい限りです。誠心誠意お仕えいたします」

「あ、ありがとう……。」


 凛々しい面持ちでそう言った彼に曖昧な笑みしか浮かべられない自分が、少し情けなかった。


「そうだ、大王様から聞きましたが、エナ様はうぇでんぐ……どれす?を式でお召しになるご予定だとか」

「あ、そう!そうなの!それ一番大事なとこ!」


 先ほどまで遠慮がちに微笑んでいたのに、ウェディングドレスの話になると反射で前のめりになり、薫瑛に掴みかかりそうな勢いで迫る恵菜に、彼は目を丸くした後、くすくすと笑った。


「本当にエナ様はその……どれす?に恋焦がれていらっしゃるのですね。実は、僕は長いこと冥界にこもりきりですので、そのような服装には明るくなく……。是非ともどのような仕立てをお望みか、伺いたいのですが」

「うん!しよ!打ち合わせ!」

「こんなにも式に前向きになっていただけるとは……!支度にも身が入ります。着物の仕立てを生業とする者を呼び、形や生地選びをいたしましょう。必要な使用人を集めますので、明日ごろには生地の選定をできるかと」

「ありがとう!」


 一生に一度の晴れ舞台なのだ、どうしても素敵な思い出にしたい。長年の夢がもう一歩のところまできている、と胸を高鳴らせていた時だった。隣の部屋とを隔てる障子に、長身の人影が映る。


「エナ、エナ。目を覚ましたのか」


 恵菜の体調を慮ってか、声をひそめ、遠慮がちに障子を開けたのはヨミだった。執務を終えたからなのか、前に見た時より簡素な服装になっている。光沢のある黒地のガウンのようなものの上に薄い紗を重ね、腰のあたりを帯で結わえている。


「加減はどうだ?具合の悪いところはないか?何かあったらすぐに言うのだ、効きの良い薬草をもたせ、すぐ煎じさせる。今日の業務は終えた、またそなたが眠るまで隣についていよう。」

「ふふ、大王様、もうすっかり旦那様のようなお顔をされて。いくらエナ様が愛おしいからと言って、初めからそれでは嫌われてしまいます」

「……!そうなのか、すまぬエナ。余はこのような時、どうしてよいか分からぬ……。ただ心配するあまり、このようなことしかできぬ……。」


 ヨミはすぐさま恵菜のもとへ駆け寄ったかと思えば、手のひらを額や頬に押し付け、熱がないかとか腹は減っていないかだとかを繰り返し、そっと頭を撫でてくれる。

 こんなこと、小さい頃に熱を出した時も母親にさえされたことがなかった。

 恵菜は恥ずかしいやら照れるやらむずがゆいやら、顔を赤くしてもごもごと口ごもるばかりで、何も言えなかった。心配そうに見つめるヨミを隣の薫瑛が面白そうにからかっている。


「それにしても驚きました、先ほど式神を飛ばしたばかりなのに……もうここへ?」

「あぁ、早くエナの顔を見たくて、我慢がきかなくなり……。」


 ヨミの肩に白い鳥が止まっている。白い紙でできた折り紙のように見えたが、生きた鳥のようにパタパタと羽を動かしたりピョンと跳ねたりしたため、恵菜は驚いて声をあげる。


「あぁ、すまぬ、驚かせてしまったか……。これは式神だ、動物や人をかたどった紙に術をかけると、こうして動き出す。簡単な言付けを頼むこともできる」

「へぇ……可愛い。さ、触ってもいいですか……?」

「もちろんだ」


 恵菜がおそるおそる鳥の頭を指先で撫でると、せがむように頭をスリスリと擦り付けてくる。随分と人懐こいようだ。興味深そうに式神との交流を楽しむ恵菜を、ヨミは慈しみに満ちた目で見つめていた。


「今度、そなたの好きな動物で式を召喚しよう。なぁエナ、何がいいだろうか」

「あのぅ、大王様、みだりに式を飛ばすなとあれほど普段僕らに……」

「なに、愛する妻の望みだ、聞かぬわけにはいかぬ」


 妻、という言葉に胸の辺りがぎゅ、と締め付けられる。おとずれた切ない痛みは、その中に確かに甘さも含んでいる気がして。

 艶やかに微笑むヨミを前にして、恵菜はその胸の痛みに戸惑うばかりだった。

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