第4話 【魔力】

一階の階段前廊下にて、ナイトとドンナーの戦いに決着がつく少し前。

ルミューは一人自室で、先ほどのナイトについて考えていた。


どこか思い詰めたようなナイトの表情は、きっと色々なことが一度に起こりすぎたせいだ。

屋敷を襲う下手人に、惨劇の地下室。

そして、ルミューの記憶喪失。


彼にとって過去のルミューがどれほど大きな存在だったのかを想像することはできないが、なんとなくその胸中を察するぐらいはできる。


記憶を失ったと聞いて、その当の本人よりも仰天し、狼狽した様子を見せたナイト。

記憶を失ったルミューに変わらず接し続け、その愛の程を長々と綴り続ける様子や、その失った記憶に辿り着くような手掛かりになりそうな物に手を出す様子。

更には、渋々とはいえ禁じられていた地下室にさえ着いて来てくれた。


きっと彼には、今のルミューが受け入れられないのだ。

だからこそ、記憶を失う以前と変わらないように接するし、記憶を戻して欲しい一心で行動も起こす。


それだというのに私を危険から遠ざけようとするのは、きっと自責の念に駆られている節もあるからだろう。

ルミューが記憶を失ってしまったことを、どこか自分のせいだと感じている。

故に、二度と私をこんな目に遭わせないようにとひたすらに守り続ける。



「私はそんなに弱くないのに」



地下室の惨劇を見て気を失ってしまったような私に、そんなセリフは似合わないかとルミューは自嘲気味に笑う。


その直後だった。

轟音と地響き、それが屋敷を覆うほどの規模で鳴り渡った。

思わずか細い声をあげ、本能的に頭を抱える姿勢を取ってしまう。


下からの衝撃がまだ腹の底に残っているようだ。

一階からだろう。きっとナイトと誰かの戦闘の音だ。

今の衝撃、戦いの中でどちらかの攻撃が屋敷に当たったのか、何にせよかなりの衝撃を起こす激しい戦闘が繰り広げられている。

ナイトが、彼が私を守るために戦っている。

私を守るためにその身を危険に晒している。

だというのに私はこんな小さな部屋の隅に縮こまって一体何をしているのだろうか。

怯えて頭を抱え、ただ震えながら助けを待っているだけなのだろうか。


そう思うといつの間にか、いてもたってもいられなくなっていた。


今の私に闘う力は無い。それを補うほどの技術や頭脳も無い。少しのショックで気絶してしまうほど心も弱い。

でも、それでも———


ルミューはゆっくりと、しかし確実に体を起こした。守っていた頭から腕を広げ、床には膝を立てる。


———それでも、勇気を出すのだ。

私は変わる。記憶喪失の現状に甘えてただ守られてばかりの私から、新しい私に変わるのだ。


ルミューはその決心を胸に、自室の扉を開けた。



「久しいな、ルミュー・グラジオラス」



扉を開けた先の、白い鬼から聞こえる低い低い声。

額から生える2本の鋭いツノは、片方が真ん中でぽっきりと折れてしまっている。

しかしその眼光は鋭い。

その迫力はまさに、ルミューの心の中では鬼のように写っていた。



「ごめんだけど、初対面かも」



その言葉の途中で、ルミューは何かを感知する。

額の先から、何かエネルギーのようなものが集中し始めるのを肌で感じ取る。

それは目の前、白い鬼の持つ杖の先へと集まる魔力の奔流。



「“シアン”」



男の低い声を合図に、杖から放たれるのは魔法。

ルミューにとってはおそらく既知の、しかし今は未知の攻撃。

白い鬼の持つ杖先から薄緑の魔法陣が展開され、そこに魔力が形を構成する。

完成されたのは、魔力でできた二匹の狼。



「忘れたならもう一度思い出させてやろう」



男が杖をルミューに向けると、待っていましたとばかりに二匹の狼が地面を蹴って飛び上がった。


大口を開けて剥き出しの牙をさらに剥き出し、前脚も使ってその肉を引き裂かんと、ルミューに向かって一斉に飛びかかる二匹。


一瞬の出来事、しかしルミューにはその動きがスローモーションに感じる。

空中の狼たちと目が合う。


本能的にルミューは、狼たちから一歩後退りをする。

踵に軽くぶつかるのは自室への扉だ。

ルミューは今しがた出てきたそこへ倒れるように転がり込んだ。

敷居を跨ぐと同時に扉を閉めるが、転がり込んだ勢いを殺せず、自室の床に座り込む形になってしまう。


直後、閉められた扉が轟音と共に吹き飛んだ。

破片が室内に飛び散り、床に投げっぱなしのルミューの足に特に鋭い物が幾つか刺さる。


思わず痛みで声を上げそうになるが、それをなんとか堪えて顔を顰めるだけにとどまった。


痛みに耐えながらゆっくりと顔を上げると、ブーツが壊れた扉の敷居を跨ぐのが見えた。

後から二匹の狼が荒々しく部屋へ入ってくる。



「なるほど、どうやら忘れたというのは本当らしい」



男は壊した扉の破片を蹴って外側へと退けながら、目の前に座り込む女に目星を付ける。

性格も、戦闘も、彼が知っているものとはほとほと違う目の前の彼女。

しかし、その瞳の輝きは変わらない。

どんな絶望的な状況も、心のどこかで解決できると思っている自信過剰な瞳は。

何があったのかは知らないが、芯が変わらない以上、遂行する任務にも変わりはない。



「返事ぐらいしたらどうだ。それとも考え事か、今まさに死にかけているというのに」



恐怖と不安を噛み殺し、震える右手を地面に押し付けて無理やり落ち着けながら男の声を耳に通す。

怖くて逃げたくてたまらないが、今逃げ切ることができてしまえば危険なのはナイトだ。

守られるばかりの私ではないと先ほど決めた。

蛆虫の自分は捨てろ。



「明日の夕飯のこと考えてたの」



気丈な返事をなんとか返しながら、ルミューは周囲を観察する。

使えそうな物、戦いに役立ちそうな物、それを探すために見回すが、それらしいものは何一つ見つからない。


こんなことなら自室に剣の一本でも置いておけばよかったと後悔しそうになって、自分の筋力では振ったところで相手に勝てないことを思い出した。


人には得て不得手があって、きっと私は筋力的なことは不得意だ。


記憶を失ってすぐの頃、ナイトに教わって色々なものに手を出してみたが、武器の扱いは本当に向いていないのだと身をもって知らされた。


なら、私が得意なことは?


ナイトとの地下室での会話を思い出す。

美しく輝く髪と、満ち満ちている魔力。

さらに今も、目の前の白い男の使う何かを自分は感じ取ることができた。


冷静に頭を回して推理を続ける。

きっとあれは魔力だ。魔法を使う前の魔力。

ナイトの言葉を反芻する。

私の魔力は煌めいているのだ。



「二度と食うことのない食事について考える必要はあるまい」



男が杖を構える。

両隣の狼たちが、歯を剥き出しにし、前脚で床を擦る。



「そう?未来に想いを馳せるのは大事って言うでしょ」



どこで聞いた記憶もない言葉を、適当につらつらと並べながら、ルミューは両手を広げて男へと向ける。


その動きに驚いたのか、咄嗟に男は身を捩るような動きを見せる。

まるで見えない攻撃を回避するように、反射的にとった回避行動。

しかし予想に反して攻撃は来ない。

魔力は確かに手のひら周りへと集まっているが、呪文は一切聞こえない。



「魔力は扉、呪文は鍵だ。お前、本当に記憶を失ったんだな」



必殺の一撃を放ったつもりが、目の前の男は無傷で立ちっぱなしだ。

魔法を放つ作戦は失敗、しかし落ち込んでいられる時間はない。

幸い足の傷は深くない。

ルミューは作戦その2を咄嗟に考え、迷っている暇はないと即座に行動へ移す。


そこへ狼達が飛びかかって襲いくる。

鋭い歯牙が立ち上がらんとするルミューの細い喉元を狙うが、間一髪なんとかしゃがんで回避に成功する。


行き場を失った狼達は、勢いそのままに背後の壁に向かって激突した。


ルミューはこれをチャンスと捉え、立ち上がりざま一気に走り出した。

自室に一つだけある大窓、その光に向かって急ぐ。



「“グロック”」



背中越しに聞こえる低い声、直後背中に何かがぶつかるような衝撃が走る。

その勢いに押され、いつの間にか床が目の前に来る。

激突と同時に痛みが来る。床にぶつけた鼻だけでなく、先ほど何かを撃たれた背中も痛む。



「逃げられるとでも思ったのか?魔法も使えない状態で」



いつの間に追いついたのか、倒れたルミューの目の前に立つ白髪の男がルミューの髪を掴んで立たせる。

軋む頭皮から痛みが走り、何本か床に抜け落ちた。



「もっと…丁寧に扱ってよ…」



男の顔が目の前に来る。

長い左のツノと、折れてしまっている右のツノ。そして切れてしまいそうな程に鋭い眼光。

ルミューはその顔を前に、目を瞑って顔を背けようとする。



「いたぶる趣味は無い。速やかに殺してやる」



そう言った男が、杖を出したその時だった。



「“グロック”」



先ほどと同じ四文字、しかし今度は声が違った。

低い男の声とは全く異なる、鈴のような女性の声、ルミューの声だ。


差し出された手のひらは男の腹部に当てられ、魔力はそこに込められている。

満ち満ちと、煌めく魔力。


直後、男の体が見えない衝撃に当てられて後方へ吹き飛んだ。

吹き飛ぶ先は、この部屋にたった一つしかない大窓。

そこにかけられたレースのカーテンを突き破って、男の身体が外へと放り出された。



「魔力は扉で…呪文は鍵…教えてくれてありがと」



男にやられた背中と鼻と足、それに魔法を使った反動で焼けこげた手のひらの痛みで、一言話すごとに水泳の息継ぎのような大きい呼吸が挟まる。

痛みを堪えながら立ち上がり、男はどうなったかと足を進める。

その瞬間———



◀︎◀︎◀︎◀︎◀︎



「もっと…丁寧に扱ってよ…」


「そうだな、そうしよう」



男はルミューの頭を掴んだまま、部屋の入り口に向かって一気に腕を振りかぶった。

ルミューの身体はその勢いのまま、壊れた扉の残骸の上へ衝撃と共に着地する。


目の前の景色が安定しないまま、しかし作戦を決めるならば今しかないと、ルミューは右手を突き出して魔力を込め始める。



「“グロッ———」


「”グロック“」



男の詠唱が、ルミューのそれよりも早く完成し、衝撃が右手を正確に撃ち抜く。

思わず痛みにうめくが、その眼光は未だ男を見て離さない。



「大した才能だ。汎用魔法とは言え、一度見ただけで使えてしまうとは。だがもう油断はしない。俺はお前に近付かない。詠唱も判断も魔力を込めるスピードも、全て俺の方が上だ」



男の、アヴァンニールの杖先がルミューの方へと向けられる。



「今度こそ、速やかに殺してやる」



魔力が込められ、それが呪文と共に押し出される。



「“セプ———”」


「お嬢様!!」



走るような等間隔の足音がして、直後地面を力強く蹴り上げる音がする。

誰かの、記憶を失った自分なのに見知った声がする。



「ナイト!」



空中へ飛び上がったナイトは姿勢を崩さぬまま、詠唱途中のアヴァンニールの右頬を真っ直ぐに蹴り抜いた。

アヴァンニールはその勢いを殺せず、背後の壁にめり込むように吹っ飛ぶ。

轟音と共に上がる土煙。


そこに降り立ったのは一人の青年だった。



「魔人風情が、お嬢様に、指一本でも触れたな。必ず嬲り殺してやる」




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