そのサンジュウロク スミちゃん(そのイチ)
夏の日差しに照らされた、畑の畦道。額の汗を拭いながら、てくてくと真っ直ぐ、歩くこと五分ほど。行手にはそう高くもない山、そのふもとにようやく集落が見えて来た。小さな家が十数件、どれも藁葺き屋根に土壁、まるで数十年も時を遡ったかのような佇まいだ。いやあるいは、本当に時の流れそのものが違うのかも……
外の世界とは大違いの光景に目と思いを奪われ、珠雄はへぇ、と感心のため息を一息。だがすぐにはっと大切なことを思い出して、後ろからさつきに声をかける。
彼女の案内は実にありがたいが、珠雄には余人に秘密の色々な事情がある。この際、さつきとは前もって打ち合わせておかなければならない。
「さつきさん、実はそのぉ……かくかくしかじかで」
「ふぅん、つまりこうかい?この村出身の女が、少年の住んでる町にやって来て変な術を使って暴れてる、と。それでその女と、少年も世話になってる地元の妖怪のお偉いさんとが、揉め事になってるんだね?」
「ええ。それでまぁ、僕もその女を止めなきゃいけない立場なんですが……ただ……」
「……え?その女、少年の家の隣に住んでる?でも少年のおっ母さんと仲良くなっちまったから?そのことをお偉いさんにうっかりバラせなくなったんだね?
ふ〜ん……にゃはは、いいねぇ少年!親孝行者の悩みだそりゃ。
いいよ、そこはあたしも飲み込んだ。あたしはそのお偉いさんにゃぁ何か義理があるわけじゃない。少年の思う通りに動いてあげるよ、にゃは♪」
猫の瞳をクリクリと輝かせるさつき。明らかに事態を面白がってる顔だ。
「……で?何かあてはあるのかい少年?」
「この村に
「ないよ♪」
「え?」
「
(ああ、八ッ神ってただそのまま当て字なんだ……それっぽくカッコつけただけ?)
八ッ神恐子、もはやお馴染みの残念センス。納得しつつ軽くズッコケる珠雄、だがズッコケている場合ではない。気を取り直しながらこれがその、と。さつきにスマホで撮った宅配便の送り状を見せた。
するとたちまち。
「にゃはは、スミちゃんだ♪してみると、あんたの町で暴れてる女ってのは……そっか、あの恭子ちゃんかぁ♪うんうんあのコならねぇ、そりゃぁ……」
さもありなんと、さつきはしたり顔。知ってるのぉ、と食いつきそうになる珠雄にさつきは何も言わせない。さっと片手を上げ、指で珠雄の鼻先をつつき。
「スミちゃんだね?すぐ会わせてやるよ。ついて来な、にゃはははは♪」
至って気楽すぎるその口調。足取りはスキップでひょいひょいと。
(いやいや上手く行き過ぎでしょ?)
イージーモードどころか、ナビキャラ付きのチュートリアルステージ。
(かえって怖くなって来たよ……)
首を一捻りしているうちに、さつきの姿はあっという間に小さくなる。珠雄も慌てて駆け追った。
「ささ坊っちゃんも、遠慮しないでたんとおあがり」
(いやぁ……いいのかな、これ……)
さつきの案内(というより、彼女は珠雄をつれて勝手にどしどし入っていった)で。今二人がいるのは、朽縄村のとある民家だ。藁葺き屋根の小さなその家には、部屋はたった一つ。
「なにしろ見た通りの
部屋の中央の囲炉裏に、串を打たれた川魚。普段は使わないものと見えて、部屋のすみに片付けられていた膳が急に二人の前にそれぞれしつらえられ、その上には器に山盛りの蕎麦。
「ほら少年(ムッシャムッシャ)、スミちゃんもそ言ってくれてる(クッチャクッチャ)。食え食え遠慮すんな(ポイ)♪」
(あのさつきさん?その串の魚、全然焼けてませんけど?)
スミちゃんなるその女性の手元には、水を張った大きなタライ。そこに川魚が泳いでいる。女性は慣れた手つきで魚を手づかみで捕らえ、串を打って囲炉裏に刺す。しかし、さつきはその刺したばかりの串を端から抜いて、ガツガツ食べ散らかしてしまうのだ。焼けるヒマなどあるはずもない。
(まぁいいのかな……)
珠雄も猫、活きの良い生魚の味はわかる。それに提供側の女性も、さつきのその様にまるで慣れっこのようだ。抜かれても抜かれてももくもくと魚の串を囲炉裏に、頬にうっすら、嫌味のまるでない微笑みを浮かべながら。それは、客をもてなすのが心底楽しいといった顔。
(いい人なんだな)
スミちゃん、すなわち八ッ神恐子の母、八上スミ。
もちろん珠雄はその人物をいろいろに想像していた。なにしろあのイカれた妖術使い・ケバケバ女の家族である。嫌な予感の方が大きかったのは当然。ヤバい鬼婆かも?だったらどうしよう、などと身構えていた。
ただ、娘の好きな手作りの梅干しを度々送ってくるそのまめまめしさと、受け取った娘の、その時はまるで娘らしい笑顔。そこに珠雄は真実の暖かい親子の情も感じていたのである。あの八ッ神恐子にこんな顔をさせる母なら、あるいは?
……どうやら正解は後の方。小作りな体に見合った小作りな顔は柔和純朴で善良、トゲも陰もまるでない。どこからみても質素な農村の平凡な一婦人だ。
ただしただ一つ。彼女のその両の瞳は、娘と同じ蛇のもの。むしろ逆の意味で異様だ、こんなに普通の大人しげで親切そうな女性にこの眼とは。
(おっと、見てばっかりじゃいけないな)
怪しまれる、ではない、失礼だ。珠雄は素直にそう思う。せっかくのもてなしを無碍にしてはいけない。
「いただきます」合わせた両手の親指に箸をはさみ、ペコリとひとつ頭を下げる。魚はさつきにまかせ、珠雄は蕎麦に向かうことにした。太さまちまち、素朴な手作りの田舎蕎麦。薬味は紅葉おろしとミョウガ。
一口すすって。
「おいしい……」珠雄の口から自然にその一言。
「そうかい、良かった良かった。坊っちゃんも猫さんなのに、さっちゃんと同じで随分化けるのがお上手だねぇ。なんもないから出してみたんだけど、お蕎麦も大丈夫かい……良かった良かった」
「こいつはねぇスミちゃん(ペロペロ)、化けるのはあたしより上手だ(バリバリ)。都会で人に紛れて学校にまで通ってんの(ポイ)。ほれ、ヒゲひっこめてみ?」
さつきは珠雄のことを自分の「遠い親戚」と紹介していた。
「にゃはは、その方がいちいち怪しまれないだろ?だから少年、お前化けを緩めてさ、ちょっと猫を出しとけ」
というのがここに来るまでにあった事前の打ち合わせ。そこでこの家を訪うた時から、珠雄もさつきと同じく、半化けの猫目ヒゲ面だったのである。
それを。
「うふふ、そう言われるとなんだか恥ずかしいですけど。じゃ、こうして」
照れ笑いの珠雄は両手で顔を隠す。そしていないいないばぁの要領でパッとその手を開くと、現れたのは、昴ヶ丘ではみんな見慣れた男子高校生・珠雄の顔。
「あらあらまあまあ!こりゃあきれいな男の子の顔だねぇ、どこから見てもまるで人間だよ!
……ほんとに綺麗な眼だ。あたし達も、そんな術が使えたらねぇ……」
スミの蛇の眼の視線が、珠雄の眼に吸い付けられる。そして誰問うこともなく自分から。
「あたし達八上の一族は大蛇様のお力と血を受け継いで、こうしてこの村を住処にいただいて……お陰様で、いつまでものんびり静かに暮らしていける。村のみんなもここの暮らしに心底満足してる。誰も今以上の贅沢なんか望んじゃいない。ただこの眼があるから、他所じゃ暮らせないだけ……それをあの子は」
珠雄はそっと息を呑む。この村を訪れた目的、謎の女妖術使い八ッ神恐子の正体とルーツを知ること。どうやらそれが紐解かれようとしているのだ。
「あの子は、恭子は……『でもここには自由がない』って……あの子は……
『いつかきっと、わたし達八上一族が、表の世界でも堂々と生きていけるように。そういう世の中にするんだ!』って……一人で村を出て行って……」
「気の強い子だったからねぇ、恭子ちゃんは」と、さつきが言葉をつなぐ。
「それに頭もバツグンに良かったし、なにより大蛇様の血が特別濃かった。
……スミちゃん、あの子はさ、きっと大蛇様に見込まれたのさ」
そう言って、さつきは珠雄にちらりと目配せ。
そして見よ、その鋭い眼光!
(おおっと?さつきさん、まさかここで『さぁどうする少年?』ですか……ハマっちゃったかな?)
試されている。のんきそうに振る舞っていたさつきが、にわかに見せた凄み。迂闊にも珠雄は今ごろ思い至る、さつきはそもそも出雲の
……チュートリアルが済んだ途端に、放り込まれたのはどうやら、不条理シビアなレトロアドベンチャーゲームの世界。ここから先は。
(……選択肢次第で即、ゲームオーバーだね)
珠雄の背筋にゾクゾクと、あの武者震いが帰って来た。
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