そのニジュウ 祝子(そのニ)

「これがね、赤ちゃんの時の祝子の写真。まだ三カ月くらいの頃ね」

 わぁ、と声を揃える三人。

「んんんんん、かンわいぃ〜!」「ホントね、とっても」「へぇ、ちょっと面影ありますね!」

 蛍子夫人が広げて見せる、古びたアルバム。それはノッコの成長記録だ。

「ふえええん、もうヤダ、照れちゃいますよぉ」

 ノッコは顔を桃色に染める。磨かれた大理石、あるいは陶磁器のようなその頬。しかしそこには、血の気もしくは命の力が確かに脈打っているらしい。

「さてそこでみんな、そしてこれが」

 土屋はその日、普段着代わりの濃紺の作務衣。すでに彼の正体を知ってしまった二人に、万が一にも威圧を与えないようにとの、それは蛍子夫人のコーディネート。物柔らかないでたちの懐から彼が取り出したのは、一層古ぼけた一枚の写真。

「蛇神の骸が眠っていた京都地底の洞の宮の跡から。私と蛍子が地上に連れてきたばかりの、つまりだよ」

 アルバムの上の赤子のノッコの隣に、並べるように土屋はその写真を置く。三人の視線はそこに吸い寄せられ、そして同時に漏れる三つの、驚嘆のため息。

 和服姿の蛍子に抱かれた、白桃色の、一匹の石のツチノコ。

「この子が人間の赤子の姿に変わったのは、確か地上に出て三日後の朝のことだったよ。誰の手も借りずに自然にね。蛇神と姫の忘れ形見のこのツチノコを育てようと決めて、ひとまず私たちの寝室の床の間に毛布で寝床をつくって。この子はそこで休むようになっていたんだが、二日目の夜のうちはまだツチノコの姿だった。あの朝先に蛍子が起きて……」

「とっても驚いたの。だってそこに可愛い女の赤ちゃんが寝ていたんですもの!

 最初は何が起こったのかわからなかった。だけど夢中で抱っこしてみて……わかったのよ、肌で感じたの、この子が、あの子なんだって」

 常識では決して考えつかない、思いも寄らないその変身。だが蛍子夫人も妖怪、姿よりも、赤子の放つ霊気で悟ったのだろう。

 ゴクリとつばを飲む、その三つの音も同時。

「わたし……何でだかわからないのに、今までずっとツチノコの事が気になってて。探してみたかった、見つけてみたかったんです。やっと、どうしてだかわかりました。わたし……ホントは自分がツチノコだったから、なんですね。

 ……それで今、なんだかちょっと元に戻っちゃった?みたいで……うふふ……」

「大丈夫だからねノッコ!」

 虚ろにやるせない笑いを漏らしながらうなだれるノッコに、声をかけたのは仁美。

「みんなで考えようよ!んだから、また出来る!思い出してみようよ!蛍子さん、もう一度アルバムを!!」


 夫人がページを繰る度に上がる小さな歓声。

 幼稚園でのスモッグ姿、小学校のランドセル、中学校のセーラー服。アルバムの中のノッコはいよいよ愛らしくすくすくと育ち、とうとう辿り着いた最後の一枚は。

 家族三人で共に撮った、昴ヶ丘高校の入学写真。皆がよく知った、ついこの間までのノッコの姿がそこにある。写真に興じていた三人も、ノッコ自身も、ため息をそこでホッと一つ。

 解決しなければならない問題に向き合う時だ。

「で……先生?ノッコはやっぱり?」

 皆を代表するような早苗の確認に、小さく頷く土屋。

「うん、そうなんだ。あれからまるで人間の姿に戻らなくてね。この子も私たちも困っているんだよ」

 それがノッコの休学の理由。口裂け女を通じて(仁美が少々無理矢理ぎみに)そのことを聞き出した二人は、見舞いと相談に来たのであった。

 ちなみに珠雄はと言えば例の如く、仁美から強引に「タマも来い」と命令されただけ。ただ彼は彼なりに、何やら思う所がある様子だが。

「ふぇぇぇん……センパァイ、わたし、どうしたらいいんでしょう……?この顔じゃ、学校に行けないですぅ……」

(声はちっとも変わらないんだけどね……)

 ノッコの半分ベソをかくような声に、まず早苗が思い切って口を切る。

「あの先生、その……こういう言い方は大変失礼かも知れませんけど……今、先生も奥様も人間に……化けていらっしゃるんですよね?」

「まぁ、そうだねぇ」「ええ、そうですよ」

「その……お二人ともすごくお上手に化けていらっしゃるじゃありませんか。そのやり方とか、変身の術?でしょうか、それをノッコに教えてあげることは……?」

 土屋夫妻はチラリと困り顔を見合わせ、早苗に再び、申し訳無いような顔つきで向き直って。

「いや早苗くん、それがねぇ……私も蛍子もね、こうして人に化けるようになったのが、そもそも随分昔の事でね」

「最初にどうやって化けられたのか、宅も私も今では覚えてないんですの。いつの間にか出来ていた、今でも出来ている、でもどうやってるのかはよくわからない、そんな風にしか……ねぇ?」「そうだねぇ蛍子」

 共に大妖怪の土屋夫妻が、同じように首を傾げる。

(……化けるってそういう感じなもの?随分とぼけた話ね)と半ばあきれながら、早苗もつられて首を一捻り。

「口裂けさんたちは?例えばどなたか……?」

「済まないね、そいつはアタシら現代怪異にはムリだ。アタシらは人間と比べて一応『化け物』ってことになってるが、そもそも何かに化けちゃいない。人間の噂の力でモヤから焼き固められたアタシたちは、逆にそこから他のものに姿を変えたりはしない、出来ないんだよ。もちろんやり方なんてちっとも、さ」

「や、じゃあこうしましょう!」次は仁美だ。

「ツッチーにどうにかして貰いましょうよ!ツッチーがまたノッコに乗り移って、中でなんか上手いこと術でも使ってもらってですね……」

「これこれ、そこな娘よ」

 ノッコの肩の上に、槌の輔がヒョイと姿を現す。

「そちは小姫さまの御学友であったな?名前は?仁美と申すか、ふむ。某の力で小姫さまを人の姿に変えよと?それはな……某には、出来ぬ!」

「……いやいやいや?そんなふんぞりかえって言わないで下さいよ!何でぇ?!」

「某は蛇神様にお仕えし、その命により小姫様の小姓を務める者」

「や、知ってますけどお?それで色々すごい力持ってるんでしょお?だからお願いしてみたんですけどおぉぉぉお??」

 不満の鼻をぶぅぶぅと鳴らす仁美。「お願いする」という態度にはとても見えないし、神の遣いに対しても、相変わらずまるで遠慮がない。その勢いにむしろ槌の輔がたじろぎ気味。

「い、いやいや、さ・れ・ば・こ・そ、である。某の力は蛇神様にわけあたえられし蛇の神力妖力。それはのだ。

 小姫様の今のお姿は、これぞまさしく真のお姿であり、いわば。同じく蛇、しかし小姫様に比べればはるかに下賤な霊なる某には、それをことなど到底力及ばぬし、神の道理にも適わぬのだ」

「いやツッチーねぇ、何偉っそうにユーズーの効かないこと言ってンすかぁぁぁ??」

 まぁまぁ、と。ますますエキサイトしそうな仁美をどうにかステイさせる早苗。

 神格の序列。槌の輔の言いたいことは早苗にはわかる。眷属の側から主神に何か強制的に影響を与えるなどということはおよそ不可能だろう。そもそもが、かの蛇神の御子であるノッコの今の姿は、それこそ「不死不朽不変」の化身。槌の輔ならずとも、余人の力でそれを変えることなど出来ないに違いない。

 いや、あるいは?早苗は少しおずおずと。

「でしたらその……いっそ蛇神様の御力を直にお借りすることは出来ませんか?」

「やっ、それそれ!それよ、流石は早苗!こんなけちんぼツッチーなんかすっ飛ばして、ノッコの実のお母さんにお願いしちゃおうよ!!」

(けちんぼツッチー……とな?)

 口をあんぐりと開けて放心する槌の輔。およそ人間にこんな扱いを受けるなどとは夢にも思っていなかったのだろう。怒るよりも鼻白むよりも、あっけにとられてただ物が言えない。

 おやおやと、ここは土屋が引き取る。ただしその面持ちは厳粛で言葉も重い。

「残念だが早苗くん仁美くん、それは……試みてはいけない。確かに蛇神の力を持ってすれば可能かもしれないし、祝子のためなら彼女は動くかもしれない。だが……隠し神として祀られ堅く封じられた蛇神を神界から呼び出すとなれば……世界の霊的秩序が大きく乱れる。その余波の現世への影響は計り知れない」

 土屋は天に向かって視線を少し上げる。

「多分蛇神は、彼女は今。神の世界から我々の様子を窺っているに違いない。愛する娘に手を差し伸べられない自分を悔やみながら、しかし。自分が動けばまた千年前のように、天地の理が覆される、そう考えて歯がみしながら堪えていると思うんだ。

 ……如何ですか槌の輔殿?」

「むむむ……左様。小姫様がこの世に生まれ出でられてからというもの、蛇神様は小姫様のことを片時もお忘れになったことは御座るまい。つい先日も御社にて某に小姫様を重ねてお託しになられたが……そのお声の切なるや……タハハ」

「そっか……そうですね先生。ノッコのお母さんがうんとガマンしてるのに、簡単にお願いしようだなんて。あたしちょっとデリカシーが足りなかったです。ごめんなさい、ツッチー」

 ほう、と槌の輔は仁美を見直す。無茶を言うがこの娘、根は実に純なり、と。

「仁美、それは私もよ。土屋先生、軽率でした。槌の輔、私の蛇神様への不敬な言葉、なにとぞお許し下さい」

 うむ、と槌の輔は頷く。この巫女は実に敬虔。だが知っている、心の芯は強靭。

(口裂け女殿の言うとおり、二人とも小姫様の御学友として、実にまたとない。さればとて……)

 そう二人を認めればこそ、今度は。何もしてやれぬ自分に対して不甲斐なさが増す思いだ。そして槌の輔のその気持ちは他の一同も同じ、皆に思いをかけられるノッコも。やや重苦しいため息が、誰からとはなく聞こえて来た、その時。

「ええと……あのぉ……僕から一つ……ご提案というかご協力というか……」

 首を縮めながらそろそろと挙手したのは、珠雄だった。途端に叫んだのは仁美。

「あーーーーーーー!!そうだ、タマあんた、だった!!?!」

「ええまぁ……多少はその、そういうノウハウとかコツとかコーチ方法とか……知らないわけでもないというか……」

「左波島くん!」「おお、珠雄くん!」「珠雄さん!」「タマ公!」「むむお主!」

 皆の視線に一斉に刺される珠雄。

「え?あれ?珠雄くん?どしたの何?ナニ?」

 ただ一人だけポカンとするノッコに、珠雄は一瞬クシャッと困り顔を返す。だがすぐにパンパンと自分の頬を手で叩いて思い切る。

「あのねノッコちゃん、あんまりビックリしないで欲しいんだけど。よく見ててね……」

 いないいないばぁのように、珠雄は両手で自分の顔を隠し、すぐに。

「……ハイ!」

「きゃ?!タ、珠雄くんが、ネネネネネネコネコネコネコ、ネコーーーーーー?!」

 いやこれは、驚くなと言うほうが無理。あわてふためくノッコにすがりつかれた口裂け女が、アメリカンなポーズで肩をすくめて。

「早苗に仁美にノッコ、これで三人目!タマ公、これでビックリコンプリートだね。まったく人騒がせなヤツだよ、でも。お前はいつも妙なとこで役に立つ。

 ……ノッコに力を貸してくれるんだね?」

 今度は猫の顔でクシャっとして、それでも。

「やってみます。僕もその……ノッコちゃんの、友達だから。ね?」

 ノッコに向かって珠雄はそう言った。人の服の袖口から伸びた猫の手で、サバトラ縞の頭を掻きながら。

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