第5話
紆余曲折を経て薄暗い建物の中に入り、怪異種下位「餓鬼」の死体が広がる入り口を抜け、燈子の異能を頼りにしばらく探索した後、初めに異変に気が付いて口を開いたのは、優雅だった。
「……妙じゃないか?」
雑貨が並ぶ店の前で、その呟きを聞いて俺たちは立ち止まる。
燈子とクロスフォードは不思議そうな顔をしているが、俺には彼の言いたいことが理解できていた。
「どういうことかしら?」
疑問を放つクロスフォードに、優雅は神妙な顔で答える。
「日本在来の怪異種は低位でも中位でも本能が強く、知性が弱いのさ。仮に外の死体が中位の奴らの仕業だったとしても、これほど姿を見せないことはないだろうね」
「それって……」
「ああ、十中八九と言ってもいい。上位以上の怪異種を中心にした群れがいる」
燈子が息を呑んで、こちらを見る。
不安からだろうか、あるいは確認の意味があるのだろうか。
それとも、その不安を否定して欲しいのか。
彼女は去年まで第弐位階で、中位への『萎縮』を経験しているからそれもあるのかもしれないが……。
だとしたら、その望みを叶えることは出来ないだろう。
「……」
「……ユウナギ、わたくしは怪異種についてはあまり詳しくないのだけど、そういうものなの?」
俺が黙っていると、燈子の様子を心配したのかクロスフォードがこちらへ話しかけてきた。
「まあな。元々餓鬼の死体に食痕がないことから考えても、中位以上の暗月の僕の群れがいることはわかっていたってのは話しただろ?」
「ええ……」
「怪異種は知性を持つものが少ない分、それが別種でも知性があって力の強いやつが支配する形で群れを作る。極端な話、餓鬼の集団が中位の猫又一匹に支配されるなんて構図もあり得るわけだ。そんで、そういう群れは社会性が強くて、まとまりがあんだよ」
考える個とそれに何も考えず従う群。
厄介なことこの上ない。
「そういった傾向から考えて、中位以上の群れの存在が確定している以上は上位以上の怪異種がそれを率いている可能性が高いってわけだ」
「なるほど、詳しいのね。ユウナギ」
素直な称賛の言葉に苦笑する。頭の出来はそれほど良くないし、勉強も嫌いだから別に詳しくなりたかったわけじゃないのだ。生きるためには相手のことをまず知らなきゃならんかったってだけで……
「これでも座学だけなら学年首席だからな」
そう俺が返すとクロスフォードは目を見開く。どうやら、俺が首席というのがよっぽど意外だったらしい。
なはは、驚け驚け。そして敬いたまえ。
驚く彼女の様子に密かな優越感を覚えつつ、そんなことを考えているとジト目の燈子と目が合った。
「座学だけなら、ね。アンタはもっと力を伸ばすことを考えなさいよ」
「無茶言うな」
むくれ面でプイッと顔を逸らされる。
なんなんだこいつ。
「……ともかく、だ。ここからは、上位種との遭遇を考えて動いた方がいい」
「撤退は出来ないの? これだけ状況証拠がそろっていれば、認められると思うけれど……」
クロスフォードからの問いに、俺はまず燈子に視線を向ける。
「燈子、お前の『灯』はなんて言ってる?」
そう尋ねれば、彼女は腰につけていたカボチャ頭のランタンを外して、こちらにもわかるように見せてくる。そのランタンに灯った小さな火が揺れると、ぽつぽつと建物の奥へと俺たちを誘うように小さな灯がついては消えて、最後には暗闇の中へと進んで見えなくなる。
「……進むべきだって」
「だよな」
彼女の異能『灯』は人が「灯」に対して人が抱くイメージを再現する力を持っている。
今回の場合は、人を導く灯としての力を使ってもらったわけだが、攻撃やサポートにも使える汎用性の高い異能である。
「まあ、仮に帰還が最適解だったとして、状況証拠だけで報告しても上は納得しない。仮に上位種が居た場合、調査のし直しと、上位に勝てる死越者への依頼発行で時間がかかって周辺被害が増える。そうなるぐらいなら、ここでどんな形であれ、調査を済ませてしまった方がいい」
「そう……日本の学園はそういう方針なのね」
「ご不満か?」
「いいえ、むしろ好みよ」
そいつは何よりだ。
ただ、上位種が居る以上、こなすべき課題は多い。
その課題についての話をしようと俺が口を開こうとしたその時、異変は起こった。
「幽!」
「うおッ!?」
呼びかけと同時に、万力のような力で首元を引っ張られ、俺の体が宙に浮く。
突然のことに対応できず批判するつもりで、俺の体を引っ張った優雅の方を見て状況を察した。
いつも余裕そうな彼の表情が、焦りと警戒に彩られている。
それだけでも今、自分たちに何が起こっているのかを理解するのには十分だった。
案の定、俺がさきほどまで突っ立ていた場所には破砕痕。そして、その奥には目を見張るほどの巨体をした『鬼』の姿があった。
「すまん助かった」
「いいってことさ。それより、三人には謝らないといけない」
こんなに接近されるまで私が気づけないなんて、と彼が口にし出すのと同時に、周囲から複数の気配が現れる。
クソッ、悠長に構えすぎた! けど、反省は後だ!
「優雅、壁!」
「もうやっているよ!」
彼の返事が聞こえると同時に、俺たち四人を囲うようにして太い木の根が円形に広がった。
一時的ではあるが、攻撃は凌げるだろう。
となると、次にやるべきは気配の数を数え……なんて、俺にわかるはずもなく、優雅も、大雑把に多い少ないがわかるぐらいで、正確に数えるほど精緻な感知能力を持っているわけじゃない。
こういう時に、適役なのは彼女だ。
「燈子、数!」
「少し待って!」
『灯』でも時間がかかるほどの数……いや、目算でも二十を超える数の中位種に干渉するのに時間がかかるってところか。
「時間がかかるならいい! 逃走ルートの方が先だ!」
「わかった!」
「幽! 防壁がもう持たない!」
もうかよ!
不味い不味い不味い!
「数を減らすわッ!」
クロスフォードが、そう声に出し崩れ始めた木の根の防壁を越えて外に出る。
「待て、クロスフォード! いくら第漆位階でもこの数は……」
「いいえ、むしろこの数だからこそ、トウコの異能で帰還ルートが確保できても、誰かが残って戦うしかないでしょう?」
それは、この場で一番強いわたくしの役目よ、とそう言って、彼女は力強く笑んだ。
途端、赤く、美しい血がクロフォードを中心にして、放物線を描くように放たれる。
思わぬ光景に見惚れていると、それらはまるでそれらが一つの生物であるかのように轟いて、辺りの怪異種たちへと降り注ぐ。
防壁を攻撃していたものは頭蓋を打ち砕かれ、外に出たクロスフォードをこれ幸いにと狙ったものはその胴体に大きな風穴を開けた。
凄まじい光景だ。俺は愚か、他の二人すら防壁に空いた穴からその様子を見守ることしか出来な程に。
第漆位階。
あれが第壱から第陸までの『始まりの位階』を越え、先へと進んだ者の力。
クロスフォードを除いて、一番位階の高い優雅ですら守りに徹するのがやっとの数を蹂躙するその様は、まさに戦乙女のようだ。
だが……
「あはは、すごい。すごいね、アリスさんって」
「そうだね、けれども……」
目を輝かせる燈子に反して、優雅は目を細める。
彼が見つめているのは、クロスフォードではなくその周囲を覆うような怪異種の群れだ。
「ジリ貧だよ。数が多すぎるんだ」
優雅の言葉の通り、彼女が異能で血を操り穿とうと、その手に持った剣で切り裂こうと奴らの数は一向に減らない。
それどころか、殺したそばから新しいのが次々と湧いて出てきている。
その様子を見守りながら、俺は燈子の方に視線をやった。
「……燈子、ルートは出たな?」
「え、あ、うん。でも、上に導が出てアタシには意味が……」
「優雅が道を作れば逃げられるってこったろ」
「あ、そっか」
確かに、と頷く燈子の様子に苦笑する。
さてはこいつ、焦って頭回ってなかったな。
まあ、ともかくチャンスはクロスフォードが奴らの意識をひいてる今だな。
「んじゃ、お前ら二人はそれで逃げろ」
「二人は? 幽はどうするの? アンタが残っても、何の役にも立たないでしょ。萎縮だって……」
「俺はあいつとバトンタッチ」
「ちょっと幽!?」
言いながら俺は壁に触る。
燈子の静止が聞こえるが、それは無視して優雅の方を見た。
彼は、知っている。幽鬼が上から与えられている役目を。
俺が話したからな。
「頼んだわ」
「……任されたよ」
呆れたような笑みで返されて、俺もにんまりと笑う。
それからの優雅の動きは速かった。
彼は燈子を小脇に抱えると、足元から植物を生やして宙を翔け出す。いくらかの敵がそれに気が付き、追い始める。
上手く逃げ切ってくれることを祈ろうかと思うが、第伍位階のあいつが本気で逃げに徹しているのだから、祈ること自体が無駄であることに気が付きやめた。
クロスフォードを脅威と見なしているのか、追っていった数はそれほどではないしな。
「さて、と」
クロスフォードがガス欠を起こす前に、バトンタッチしてしまわないと。
あれだけ強いのだから、多少余力を残せれば彼女ならこの群れからだって、逃げるのは容易だろう。
俺は、防壁を飛び越えた。
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