第59話 動揺と不審

 俺はその場に腰を下ろし額に手を当てる。


 思ったよりもルナリアの言葉にショックを受けたようだ。


「好きな人の名前……か。いや、それはそうでやすよね」


(何も不思議ではないだろう。気を失っている時でも好きな男の名前を思い浮かべる事くらいは)


「そうでやんすが……」


 思わずはぁとため息をついてしまう。


 どちらのため息なのか自分でもわからない。


(こんな事なら助けなければよかったか?)


「それはそれで後悔していたと思いやすよ」


(確かに、そうだな)


 行く当てもないルナリアをあのまま見捨てていたら、あっという間に暴漢か、もしくは彼女を追ってきていた身元不詳な輩に連れていかれただろう。


 そうなれば彼女はより過酷な状況に陥ったのは間違いない。


(軽い気持ちで助けただけなのだが、せめて事情くらいは最初に聞いておくべきだったな)


「とはいえ聞いたところで素直に話してくれたかはわかりやせんよ、どう見ても訳ありでやすから。ああいうタイプのお嬢さんは無理に聞き出そうとすれば、どこかへと飛んで逃げてしまいやすぜ」


 それは確かにそうだ。


(だが、今なら教えてくれるかもしれないだろ)


 数日ともに過ごしてきた。


 俺の言葉を素直に受け入れてくれているし、信用してもらえているはずだ。


「そうでやすね、今なら聞いたら話をしてくれるかもしれやせん。ですがまずはお嬢さんに食べ物を持って行ってあげやしょう」


(そうだな。長い間眠っていたし、体力を消耗しているだろう)


 深呼吸し、気持ちを整える。


 ルナリアの言葉に動揺して慌てて部屋の外に出たが、既に夕食の時間は過ぎているし、近くに人影はない。


 普通なら寝入る時間だし、誰かいる方がおかしいだろう。


「まぁいざとなれば台所を漁ればいいだけでやすから、心配はしやせんが」


 使用人と共に夕飯は取らせてもらったから、大体の場所の検討はつく。


 その場を離れる前に念の為とドアに触れ力を送る。


 触れたところから黒い影が伸びて広がっていく。夜の闇に紛れている為、普通の者なら見ても気が付かないはずだ。


 これで俺以外には開けられない。


(ルナリアの事を聞けばひと目見ようと来てもおかしくはないからな)


 お礼代わりの芸を披露した時にここの主人の顔を見たが、紳士の皮を被った好色家だ。警戒するに越したことはない。


「娼婦を囲うような男でやすからね。お嬢さんをそのままかどわかそうとしてもおかしかぁないでしょう」


 そう言えば声を掛けてきた女性は娼婦であったな。今はこの立派な屋敷の女主人だそうだ。


「まぁお嬢さんの着替えをここの女性達がしたわけでやすから、話は伝わっていやすよね。口外しないようにとはいいやしたが、守られるわきゃあない」


(主人に聞かれれば何でも答えるだろう。仕えている主に逆らう程の義理など、あるわけがないのだから)


 見知らぬ人間を庇う者などいるわけがない。何から何まで筒抜けであろうな。


「あまり離れるとお嬢さんが心配でやすから、急いで食べ物を持って戻って来やしょう、」


 そうしてその場を離れようとした時、こちらに近づいてくる気配を感じる。


(こんな遅くに誰だ)


 悪意があるようには思えないが、足音を立てないようにしながらこちらに向かって来る様子は明らかに不審だ。


「あっし達に気付いているようではないようですが、はて……」


 ドアから離れ、気配を殺して待っていると女が一人ランプを持って歩いてきた。


 様子を伺っていたら俺とルナリアの部屋をノックしようとしたため、その前に声を掛ける。


「何か御用でやすか?」


「ひっ?!」


 声を掛ければ小さな悲鳴が上がる。


「びっくりした……って、あなたは誰?」


 俺の顔を見て女はさらに驚いた顔をする。


(そう言えば今はメイクを取っていたな)


 いつもは取ったりはしないのだが、さすがに暫く湯も浴びてないからと先程一度落としてしまった。


 やや迂闊だったかもしれない。


「こちらにお世話になっている、クラウンでやす。白粉を落としただけでやすよ」


「え、あっ、本当に? まるで違う人みたいだけど話し方は同じね」


 まじまじと俺の顔を見た後、「奥様のいう通りだわ……」などと小さく呟いている。


 ともあれ信じてもらえたようで、女は警戒を解く。


「それにしても何で廊下に?」


「おじょ……奥さんが目を覚ましたから何か食べ物をもらおうと思いやして。廊下に出たら足音が聞こえたからそれで声を掛けたんでやす」


「そうなのね、だけど奥様があなたを呼んでいるの。後で食べ物を渡すから、ひとまず一緒に来て頂戴」


「はぁ……」


 断ることも出来ないから女の後を付いていく。


「一体何の用でやすかね……」


 呟きとため息をこそっと吐き出した。


 俺の事だけを呼ぶとは、なんだか面倒くさいことになりそうな予感がする。


(後で食べ物をもらえれば何でもいいが、あまり遅くなるのは嫌だな)


 重い足取りで暫くついていくと立派なドアのある部屋へと着く。


「奥様、クラウンさんをお連れしました」


 ノックと共にそう言うと中から声がする。


 女がドアを開けるが、入ろうとはしない。


「あれ、もしかしてあっしだけでやんすか?」


「えぇ。呼ばれたのはあなただけだから」


 女は入ろうとはせず俺の背中を押してくる。


 半ば強引に押し込まれたが、室内を漂う匂いに思わず顔をしかめてしまった。


 花と酒の香に混じる、妙な甘ったるさが鼻を掠める。


「いらっしゃい、待っていたわ」


 部屋のソファーには既に酒に酔った女主人が寛いでいる。


 どうやら一人で晩酌をしていたようでグラスは一つしかない。


「メイクを落としていたのね、丁度良かった」


「一体何の用でやす?」


 早くルナリアのもとに戻りたい気持ちを抑えつつ、女主人を見据えてそういうものの、口元に笑みを浮かべて酒を飲むばかりでなかなか本題を言ってくれない。


「用がないなら彼女のもとへと戻りたいんでやすが」


「用はあるわ。あなたと少し話をしたいの」


 酒の瓶を一つ空けてから、女主人はようやく口を開く。


「私ずっとあなたの事が気になっていたの。綺麗な顔をしてるのにあんな白塗りで顔を隠して、それなのに大道芸なんてしているあなたが」


「そんなのはあっしの勝手でやす。誰に迷惑をかけるものでもないし、放っておいてほしいでやんすよ」


「あらそんな綺麗な顔を隠すなんて周囲にとっては迷惑だわ。それこそ大道芸なんかしなくとも、顔だけで食べていけそうなものなのに」


(こんなくだを巻く為に呼ばれたのか、しょうもない)


「あいにくとそんな事に興味はなくて。話がそれだけならあっしは戻りやすね」


 酔っぱらいの戯言など付き合う義理はない。


「あら、話はまだあるわ。むしろ今から本題」


 からからと女主人は楽しそうに笑う。


「あなたが奥さんと言った女性だけど。彼女、普通の人ではないわよね」


「……何のことでやんすか」


 女主人の言葉に思わず声が低くなる。








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