第5話 怒り

 私は溜息を吐きながら、報告をしてくれた者に礼を言う。


「どうしたものか……」


 執務室の机をトントンと叩きながら、痛む頭を抑えた。


 ルナリアの神殿にて働いている者の中に密かに諜報の者を紛れ込ませているのだが、様々な報告を受けて次の手をどう打とうか、考えあぐねる。


(ルナリアが幸せの一端を掴めたのはいいが、厄介な天上神をどうするか……)


 あの自分勝手な天上神に翻弄される異母妹に同情するが、今の自分では助けるのにはまだ力不足だ。


(父上には困ったものだ。今やそんな事をしている場合ではないのだがな)


 長らく平和であった三界に外敵が蔓延り、ところどころで被害が出ている。


 時には地上界や海底界からも討伐依頼が入るというのに、我儘な父の行動には苛立ちが募る。


 仕事を押し付けられて大変だからというそんな理由ばかりではない。


 苛立ちの理由は自分の心の深いところにある。表には出さないが胸の奥で燻っているのが何とも不愉快だ。


 脳内がチリチリと焼ける様な怒りをぐっとこらえ、椅子より立ち上がり、執務室を出る。


「ひと言忠告しに行くか」


 先送りにしていた問題も解消しなければいけないし、私は別室にいた側近達に出かける旨を伝える。


「ルシエル様、どちらへ向かうのですか?」


「天上神の元だ。来る気がある者だけついてこい」


 そう言えば皆の間にさざ波のように動揺が走る。


 あの男の非道さや身勝手さ、そして強さによる乱暴さに、誰もが近づきたくないと思うはずだ。


 だから自分はあの男のような行いはしないと誓っている。


 しかし馴れ合いではいけない、頂点に立つ者が下に近付きすぎては舐められるからな。


(近すぎず、遠すぎないぐらいが丁度いい)


 誰も付いてこなくともよかったのだが、それでも二人、私と共に来てくれると志願してきた。


「いつも悪いな、レシィ、カサス」


「いえ、ルシエル様を一人で行かせることは出来ませんから」


「未熟ながらも共に行く事を失礼します」


 大概ついてくると言ってくれるのはこの二人だ。


 おそらく皆から人身御供のように出されたのだろう、こんな役目を負わせられるとは不憫だな。


「では行くぞ、付いて来い」


 そう告げて、私はルナリアの軟禁されている場所、もとい神殿へと向かった。





 ◇◇◇




 ルナリアのいる神殿に着くとなにやらざわざわした雰囲気を感じる。


「どうした?」


「ルシエル様」


 怯えた様子の神人達に眉を顰めると、一人が前に出る。


「実は天上神様に口答えをしてしまった神人が一人、怪我をしまして」


「またか……」


 私は額を抑え、長くため息をついた。


「手当は済んだのか? 命に支障はないか?」


「はい。ですが傷は深く、そして酷く怯えております」


「とんだ暴君だな」


 呟くでもなく普通の声音で言うと、レシィが慌てふためく。


「ルシエル様お気を付けください、どこで誰が告げ口をするかもわからないのに」


「ただの事実だ。それに如何な天上神でもこんな言葉くらいで私を処分など出来やしないさ」


 息子である私に跡を継がせるのはあの男の中では決定事項だ。だから多少の事で切り捨てたりはしない。


 それに私に何かあれば天上神自らが面倒くさいこの天空界の指揮をしなければならない。


 ルナリアとの時間を取りたいあの男がわざわざ自分の負担を増やすような事はしないだろう。


「天上神に会う前にその怪我をした神人に会いに行く、案内せよ」


 私の言葉に皆が素早く動く。


 さすがはルナリアの所にいる神人達だ、力はなくともこういう話への理解が早い。


(上の者の言う事に素早く対応できなければ命が危ういとわかっているな)


 ルナリアがいるので、常に間近で天上神の横暴さに振り回されているだろうというのは想像に難くない。


 勤勉さは良い事だが、恐怖で抑えられている故の成果と言うのはいただけないものだ。


 そうして案内された一室に入れば、一人の女がベッド上で呻いていた。


「おい」


 声を掛ければ痛みのある中、慌ててベッドから降りて、額を床に擦りつけて謝罪をし始める。


「すみませんすみません、けして口答えをしようとしたわけではないんです」


 ぶるぶると震えながら何度も謝るその姿に、レシィとカサスが戸惑うのがわかる。


 死にかけた恐怖による行動だろうが、いちいちそんな事に同情していては話が進まない。


「そんな事をせよとは言っていない、謝るな」


「す、すみません」


 尚も謝る女の頭に手を置いた。


 殺されるとでも思ったのだろう、小さい悲鳴が聞こえ、体が強張るのが分かる。


「後で返せ」


 そう言って女の体に私の神力を微力ながら送る。


「あの、これは」


 痛みが引いたからか、女の顔色が僅かだが良くなる。


「レシィ、この神人を私の神殿に連れて行け。そしてメリルに怪我を治させろ」


「でも勝手に連れ出すのはさすがにまずいのでは?」


「大丈夫だ、何とでも言いくるめる。それよりも一時的に痛みを止めているだけだから、早く連れて行ってやれ」


 神人の体は神とは違い脆い。それ故に私の力を少しだけ貸し与えれば丈夫さが上がる。


 根本の治療にはならないから別で治す必要はあるが。


(どうせろくでもない理由でこのような事をしたのだろうが、やり過ぎだ)


 神人は言わば神の卵だ。


 いずれは自分達の隣に立つ貴重な者達なのに。


 またしても天上神への怒りが沸く。


 レシィが神人を連れ出したのを確認し、カサスと共に天上神の元へと改めて向かった。


 そこにはルナリアもいるだろうし、彼女を助けるためにも丁度良い。


(あの男に言われた事に逆らえないのはルナリアもだからな)


 一見甘やかされているように見え、そこにルナリアの意志はない。


 天上神の言う事に逆らえば、周囲に誑かされたのかと近くにいる者達が粛清に合うからだ。


 天上神の機嫌を損ねぬよう動かなければ誰かが死ぬと理解しているから、ルナリアは天上神が望む娘を演じ、本来の自分との差に苦しみ続けている。


 自分が話をしても天上神が話を聞くというものではないが、一時的な抑制にはなる。


(いつか本当の意味で自由にしてやるからな)


 その為には今はまだ手札が足りない。










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