第18話 年相応の無邪気な表情を浮かべている
「おいおいおいおい……」
病で他人に迷惑を掛けるのは、厳密に言えば自分のせいではない。俺は悪くない。悪いのは、悪いのは……。糞、誰も悪くない。強いて言えば世界だ。宇宙だ。神仏だ。
だが、これは、この状況は、間違いなく俺の責任だった。そして、倒れた少女の両脚は義足だった。スカートの裾から伸びる二本のそれは銀色だった。肉と骨で出来た人類固有の脚ではあり得なかった。
義足。つまり彼女は、眠りから覚める前の俺と同類の存在だ。身体の自由、その一部に常人より高いハードルを持った人間だ。機能のほとんどを放棄した自分の肉体と比べると随分恵まれた不自由具合なことも確かだったが、それが返って俺の精神をさいなんだ
「待て待て待て。待ってくれ。こんな……! いや、違う。ごめん! そんなつもりじゃなかったんだ!! 傷つけるつもりは――」
総督府で襲撃を受けた時以上に動転した。身体が思うように動かない苦痛については、俺は誰よりも知り抜いている。もし、俺が不注意だったせいで、更なる不自由を彼女に強いてしまうとしたら?
許せるわけがなかった。どう償えばいい。俺は何をすればいい。他人のためにどう動けばいいかなんて、学ぶ機会はなかった。畜生! 浮かれていた! 身体が動くことに浮かれきっていたんだ!! 何がボルダリングだ! そんなつもりじゃなかった! 本当だ!!
「ねえちゃんに何するの!」
恐慌に陥る寸前の思考を、幼い声が遮った。六、七歳ほどに見える幼女だった。倒れて動かない少女の前に立ち、俺を睨んでいる。倒れた女の子の妹だろうか。すまない。ほんとうにすまない。混乱のあまり言葉が続かない。
「アレッタ、やめなさい」
落ち着いた声が響く。義足の少女のものだった。
年齢不相応に知性を感じさせる話し方だった。
「でもねえちゃん」
「心配してくれてありがとう。でも、私が悪いんだよ。もう少し気をつけて歩くべきだった。私の足は普通じゃないからね」
「でも……」
幼女は困惑している。途方に暮れている。余程この姉のことが大事なんだろう。何故か、気分が少し落ち着いている。この幼女が怒ってくれたおかげだろうか。ともかく、謝罪せねば。
「本当にごめんね」
そう声を掛けながら手を差し伸べる。俺に突き飛ばされた少女は、素直に手を取った。立ち上がった彼女の顔には、恨みも怒りもない……、と思う。
「いいんですよ。歩けば人に当たることもあるでしょう」
大人びたことを言う少女のことを、改めて観察する。
年相応の幼さを帯びた顔だった。だが同時に、世の中すべてに自分なりの解釈を持っているかのように老成しても見えた。どの人種でもありえる――その肌は浅黒くはあったが、日に焼けた白人のようにも、色の薄い黒人のようにも見える。俺の元の体の同類にも思える――外見が、この不自然な雰囲気と相乗効果をなしている。
顔の造りも、この年にしては整っている。数年経ったならば、恐ろしい程の美女に成るのではないだろうか。肉体の調和を乱すものは無骨な義足だけだった。
「本当にいいんですよ。この機械の足はしょっちゅう止まってしまうので。しかし、親切ですねあなたは」
「親切。これくらいのことは」
誰でもするよ、そう続けようとした。
が、口をつぐむ。
「そんな恥ずかしい台詞、初めて聞きました」
俺を見る少女の表情は至極真面目だった。少々の見栄すら張る隙がない。オルスラといい、この時代の女子は他人を困惑させる授業でも受けているのかな。そして、彼女が唐突に放った一言は俺を驚かせる。
「あなた、少し違和感がありますね……。星府の富裕層か何かですか? いや、違いますね。他にも色々あるような」
「はい?」
今、なんて? 色々あるような?
おいおいおい待ってくれ。確かにジギスムントは別の星から来たし、育ちもいいだろう。そして、その中身である俺は遠い過去の人間だ。バレないように行動しようと思っていたのに、こんなに早く失敗するのか。
いや待て。流石にそんなワケがない。そりゃあ西暦四〇〇〇年の初心者かも知れないが、別にこの外套もそれほど変とは思えないし……、ボロが出るほどのことをしてはいない筈だ。
だから大丈夫だ。少女の質問を俺は冷静にスルーすることにした。冷静に対処すれば問題ない筈だ!! 俺は、この星で生まれ育った庶民だよ?
「さささて、なんのことやら。さささっぱりわからないね」
「ああ! やっぱり異星人なんですね。見知らぬ他人を助けようと思うほど、この星の人間に余裕はありませんから」
バレた!! 何故だ!!
と叫びだしたくなった俺だったが、我慢できた。異星人――単語のニュアンスが俺の時代と違うな――であることはバレても、俺がジギスムントその人であることには気づいていない。ならばよかろう。いや、よかろわねぇけども。
じゃあ、なんで怪しまれたんだろう。この少女の言葉を借りれば多分、助けようとしたからなんだろう……。だが、それだけのことでどうして怪しむ、という思いもあったが――、
それほど呑気な感想を抱く場面ではないらしい。
アレッタという名前らしい幼女は、相変わらず自分を睨んでいる。幼女の姉を転ばせたのは間違いなく俺だったから、その態度に不思議はない。不信感と怒りが目の奥底で渦巻いている。
これほどの思いを十歳にもならない子供に抱かせたものはなんなのだろう。
「妹がすいません。家族以外には心を開かない性格でしてね」
義足の少女はそう言った。
ぼんやりと突っ立つばかりの俺を見て、ため息をつく。
「……本当に何もわからないんですね。恵まれた環境で育ったんでしょう。そんなようじゃ、今日中に身ぐるみを剥がされますよ」
「償いはするよ」
義足の少女は再びため息をついた。
今度は更に深かった。マリアナ海溝かな、と思ったぐらいだ。
「そんなお人好しだと、内蔵まで剥がされてしまいますよ」
「は? 内蔵!? 意外かも知れないが、俺は外科手術を受けたことがない!! 勘弁してくれ!!」
俺の慌てた反応を見て、一瞬呆けたような表情を浮かべる。
直後――、
「ははは! は!」
腹を抱えて笑い出した。その笑顔だけは年相応だった。弾けるようだった。
くそっ、一体何なんだ。俺は別に冗談を言ったつもりはないぜ。しばらく笑い続けた後に、呼吸を整えて話し始める。
「あー、面白かった。ユニークなセンスを持っていますね。何? 外科手術? どうしてそんな単語が出てくるの? ふふ、底抜けにいい人だということはわかります。本当に身ぐるみ剥がしてやろうと思っていましたが、これじゃあ後味が悪いですね」
「ねえちゃん! なんでバラすの!!」
「いいんだよ、アレッタ。こんな人を騙したら寝覚めが悪いからね。最低限の道徳は持ちたいと思っているんだよ、私は」
「どうどう、姉妹喧嘩はよしてくれ。剥がすのは最低でも指輪くらいにしてく……」
ん? 聞き捨てならない単語が混じっていたような気がするぞ。
バラす? 騙す? 最低限の道徳?
「ちょっちょっちょ、今なん――」
「じゃあ、種明かし」
義足の少女がかき消えた。混乱する俺の目の前から。瞬きの間だった。何か小さく硬いものが、幾つも身体に当たるのを感じる。
少女の立っていた石畳がえぐれていた。そうか、石が砕け散って俺にぶつかったのか。じゃ、なくて。は? 彼女はどこへ? そして――、
「私の義足はかなり便利でして」
トン、と静かに少女は降り立つ。
空から降ってきた。綺麗に着地した。
「じゃじゃーん!!」
義足の少女は両手を上げて、誇らしげに言った。
「ほう」
なるほど、ね。
彼女はジャンプして、その脚力で足場が粉々になったのか。数秒経って、何十メートルか上空から大地に降り立った、と。その衝撃も義足は完全に吸収している。凄い性能だね、それ。俺の時代の義足とは違うみたいだ。科学の進歩万歳。
ふむふむ、さてさて。
ものすごい負荷が掛かる挙動をしてのけた彼女の義足が、俺にぶつかって転んだくらいで壊れるだろうか。考えにくいね。
「つまり……?」
義足の少女は楽しそうに頷いた。ありがとう。答え合わせが出来ました。
目の端に、幼女――アレッタ――が不満そうに頬を膨らませているのが映る。なるほど。困惑した様子だったのは、難癖をつけて慰謝料をもぎ取る作戦の段取りが、姉の独断で狂ってしまったからのようだ。
「これが、詐欺……?」
「身ぐるみも内蔵も剥がさないであげるけど、何か金目の物を頂戴ね?」
少女は丁寧語を捨て去って言った。
敵意がなさそうな、年相応の無邪気な表情を浮かべている。
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