乙女の柔肌でぶちかまして

シルコ・シルラ

第1話

 天高く馬肥ゆる秋。

 快晴の秋晴れの下、私は人生最高潮に太っていた。

 重い足を段に乗せ、よっこらしょと重い体を持ち上げる。

 太い足、太い太もも、丸く大きなお尻。

 乳房よりも突き出たお腹。

 太い二の腕、太い指、太い首。

 もはや何重になっているのか分からない顎。

 パンパンに張った頬っぺた、切れ長にしか開かない目。

 裸同然の恰好に、興奮した男たちの熱い視線が注がれる。

 いや、女も混ざっている。

 子供も老人もいる。

 老若男女と言っていい。

 彼等は観客だ。

 その視線はレオタードの胸のところがはち切れんばかりに膨らんだ私の大きなバストに刺さっている。

 いや、ちゃんと言おう。正確に言おう。

 彼等は私の胸を気にして見ているのではなく、私の体全体を、何か奇妙なものでも見るかのように眺め回している。

 目の前には、女。

 こいつも太っている。私以上に太っている。

 背も私より大きい。

 私と同じように、その体は全てが太いパーツで成り立っている。

 腹も乳房も尻も、私よりでかい。

 女はほとんど裸だ。

 私もほとんど裸だ。

 衆人環視の中、二人の年若い女が白いレオタード姿で向き合っている。

 いや、レオタードの他にも私が身に付けているものがあった。それは、腰に巻かれた茄子紺の締め込み。

 相手は萌黄色の締め込みだ。

 これが似合うのは、ファッション雑誌の表紙を飾るような、細長い手足がすらっとして、ウエストのくびれた女ではない。

 私のようなずんぐりむっくり。何もかもが太い女。

 膝を曲げ、腰を落とす。

 尻を観客の方へと目一杯突き出す。

 甲高い声が響き渡る。

 さあ、戦いを始めよう。

 私のアドレナリンは、さっきから濁流のようにほとばしっている。

「八卦よい、残った!」


 うら若き19歳の乙女である私が戦うのは土俵の上だ。

 それは比喩的な意味で言っているのではなく、私は本物の土俵の上で戦っている。

 一昨年の春、高校を卒業した私は、女子大相撲の門を叩いた。

 女子大相撲とは、一般にはまだ知名度が低いが、女の力士たちが土俵の上でその力と技を競うという、本物のガチンコの大相撲である。

 身につけるものは、薄いレオタードの上に、廻しのみ。髪は日本髪に結い上げ、茶髪もパーマも許されない。

 一応、お化粧はするが、取り組みが終われば汗でグチャグチャになるし、負けた悔しさで涙が出てくることもある。

 年頃の娘がおよそ人には見せたくないような姿を晒して、神聖なる土俵の上で目の前の相手をぶっ飛ばす。

 それが女子大相撲だ。

 力女と呼ばれる女の力士は現在たったの16人。その内の1人は外国人だ。

 年齢は18歳から26歳までいる。みんな若い。

 それまで普通の女の子だった少女が、入門と同時に四股名をもらい、廻し姿になる。

 入門には身長体重の制限がない。

 私は背が低く、身長156センチしかない。全力女の中で2番目に小さいが、体重は100キロを超える。

 ほとんどの力女が100キロオーバーのため、セクシャルな期待をした興味本位の男どもはそこで撃沈する。

 私たちが追求しているものは強さだ。強くなるために太り、太った体を相手にぶつける。

 本物のガチンコのガチンコのガチンコ相撲。それが、この女子大相撲である。


 番付は男子のようにたくさんあるわけではなく、幕内と幕下だけだ。幕下は前座の試合のようなもので、入門1年目の力女たちがそれに当たる。

 幕下は現在2人。まだほっそりとした子たちなので、癪に触るが、幕下の取組目当てで見に来るようなエロい男どももいる。とは言っても、彼女たちも体重80キロ程度はあるので、好みの問題かもしれないし、はっきり言ってしまえば、女子大相撲は、まだまだこういうお客さんたちに支えられているのが現状だ。

 残りの14人が幕内力女で、本場所では7番戦い、優勝者を決める。優勝力女には横綱の称号が与えられるが、男子のように番付上の地位ではなく、単なる称号だ。

 次の場所までは横綱と呼ばれて結びの一番に上がることが出来るが、そこで優勝出来なかったら、また普通の幕内力女に戻る。力女の数がまだ少ないために、大関や関脇、小結はないし、前頭何枚目とかいうのもない。ただの幕内力女か横綱か、あるのはそれだけだ。

 本場所、と言っても男子のように両国国技館で開催されるわけではない。

 神社の土俵を借りてそこでやるだけだ。

 主に本拠地としている東京は多摩地区の小さな神社の土俵で行い、年に何回かは地方巡業をする。

 お客さんは100人入ればいい方だ。

 まるで小さなプロレス団体のようである。

 実際、女子大相撲を立ち上げたのは、元女子プロレスラーだ。極悪ヒールの女子レスラーとして活躍したウルフ井上らが中心になって5年前に発足した。

 この点、大相撲の力士だった力道山が日本のプロレスの創成期を形作ったのと逆で面白い。

 今でも、見に来てくれるファンはウルフ井上が引っ張ってきた女子プロレスのファンが多い。私たちも女子プロレスの会場にチケットを手売りに行っている。

 でも、最近の女子プロレスは若くて見た目の可愛らしい女の子たちがセクシーなコスチュームを着て戦い、男性ファンを魅了しているが、こっちは100キロ超の太い女が地味なレオタードの上に巻いた廻し姿でガチンコでぶつかり合う。

 両者は本質的に異質である。


 ここで少し私のことについて説明しておこう。

 現在身長156センチ、体重104キロの19歳。高校卒業と同時に角界に入門し、今年で2年目。あと2か月でハタチだ。

 1年間の幕下生活を経て、今年の春から幕内に上がった。本場所を3場所経験し、勝ち越し1度、負け越しが2度。幕内デビューから2場所連続で負け越してしまったが、先場所は4勝3敗で勝ち越した。

 今場所で4場所目であり、何としてでも先場所に続いて勝ち越しを決めたいところだ。

 体型は子供の頃から太っていた。母親によると、赤ちゃんの頃から太っていたそうだ。要するに、自慢じゃないが生まれてこのかた痩せたことがない。

 今まで彼氏がいたことなどは一度もなく、人からかわいいなどという言葉を掛けてもらったことなども、おそらく赤ちゃんの頃はあっただろうと推測されるが、少なくとも私の記憶にはない。

 その代わりに人生を通じて人からデブ、デブと言われ続けた私は、高校1年生のときにインターネットの動画を見て女子大相撲の存在を知った。

 スマホの小さな画面には、裸同然の恰好で、汗まみれ土まみれになりながら戦う、巨漢の女の人の姿があった。

 まさに神の振り下ろした雷が、私の脳天を突き抜けた。

 とても男性の目を意識したものとは言えないが、女が純粋に力を求め合い、強さを求め合い、覇道のために汗水垂らす姿は美しく、この私の豊満の上に豊満を重ねた全身の脂肪を打ち震わせた。

 しかし、動画のコメントには、トドの縄張り争いと書いてあって、1000以上のいいねが付いていた。

 実際この女の人たちは、廻しの代わりにセクシーな下着を着けていたとしても、微塵も男を惹きつけないだろうな、と思った。


 そんなこんなで女子大相撲に出会った私はこの世界に入り、四股名をもらって力女となった。玉桜というのが私の四股名だ。入門当時既に丸々と太っていて玉のようだったのと、本名がさくらだったから玉桜になった。割合に安直なネーミングである。

 入門したら稽古場のある道場で共同生活をする。親方は引退した力女で、前述したウルフ井上だ。他に女の行事と呼び出しがいるが、こちらも元プロレスラーの元力女である。ウルフ井上とともに女子大相撲を立ち上げたメンバーだ。親方は身長175センチ、体重120キロ。プロレス時代は髪をモヒカン刈りにして、顔にペイントを施して極悪ヒールとして活躍していた。他の2人も結構でかい。

 あとはみんな現役の力女で、本場所の準備やら稽古場の掃除やら、ちゃんこの用意などの雑用は協力して行う。

 女の子だけの共同生活というのも色々ありそうで不安なのだが、くちゃくちゃな姿を晒した後で近所の人に会うのも恥ずかしいため、道場にいられるというのはありがたい。

 稽古はほぼ男子と同じ内容だ。

 朝5時に起きて、朝食の前に朝稽古が始まる。

 股割りなどの柔軟体操のあと、四股、すり足、テッポウといった基本動作を行う。

 ぶつかり稽古をして、最後は申し合いで終了だ。

 稽古が終わるとちゃんこを食べ、その後は昼寝。

 夕方は各自で筋力トレーニングなど、自分の課題にあったところを鍛える。

 夜のちゃんこを食べたら就寝。

 こんな日が毎日続く。

 着るものはいつも浴衣。本場所の土俵に上がらないときでも、化粧は別に禁止されてはいないが、私は普段はしない。

 腋の毛はすり減ってしまうので処理する必要がない。

 入門して何か月か稽古をしたら、幕下力女として前座デビューをする。中には緊張のあまり泣き出してしまう子もいるが、私は違った。

 いざ土俵に上がると集中力が増していき、周りの音はどこかに消えてしまって聞こえなくなった。

 私の心を占めていたのは、ただ目の前の敵をぶっ飛ばしてやる、土俵の下に思いっきり叩きつけてやる、といった執念だけであった。

 見事押し出しでデビュー戦に勝利した私は、居場所を見つけたと思った。


 そして冒頭に戻る。

 今場所初日、結びの一番。私は現在の横綱であり、女子大相撲の人気力女、萌黄の締込みを着けた優勝候補、若泉関と対戦したが、上手出し投げで敗れてしまった。

 ゴロンと仰向けに転がされ、背中にべったりと土俵の土が付く。

 上手出し投げで転がされると、一瞬、股を開いた恰好で仰向けになる。そのタイミングで一斉にシャッターが切られ、フラッシュが焚かれる。

 あれはどういう意味なのだろう。こんな色気ゼロパーセントの私でも彼等の淫欲を刺激したのか、それとも純粋に勝利の瞬間を狙ったものか。カメラのピントが合っていたのは負けた私だったのかそれとも勝った若泉関か。

 こういう写真はネットに上げられたりするのだが、どんなコメントが付くのか想像出来るし、見る勇気もない。よくて陸に打ち上げられたアザラシだろう。単純に負けたこと以上に、そういう扱いをされるのが口惜しい。

 女子大相撲は恋愛を禁止していない。

 私に勝った若泉関は身長170センチ体重130キロだが、顔もなかなか整っていて、巡業先の地方に情夫がいるという。東京のホストクラブにも時々行く。

 歓声の声も一際大きい。

 世の中には太った女性が好きという男の人だっているのだから、女子大相撲の横綱がモテたって構わないだろうし、そうなってこそ発展に繋がると思うのだが、そこに私を結び付けることはちょっと想像が付かない。

 いずれにせよ、私は初日を落として黒星スタートとなった。


 東京での本場所は一旦、道場に帰る。

 夜のちゃんこを食べたら就寝し、次の日の朝はいつも通り5時に起きる。

 輪になって朝稽古の柔軟体操をやっている最中から、私は今日の対戦相手に向けて闘志を燃やしていた。

 ちょうど対角線に敵がいる。

 今日の相手は幕内最軽量、同期入門の元グラビアアイドル・桃優奈である。グラビア時代の芸名をほんの少しいじっただけの四股名を持つこのふざけた女は、あろうことか私と同じ日に鳴り物入りで入門してきた。

 レオタード廻しを恥ずかしがっていた私の前で魅惑的なボディをこれ見よがしに晒したため、思わず女としての劣等感を感じてしまった。ここは女子大相撲なんだ、男が見て喜ぶような体は関係ないんだ、必要なのは強くあるための体なんだ、と頭の中で何度も反芻して、自分を慰めたのであった。

 桃優奈の入門はマスコミにも取り上げられて話題になった。それが女子大相撲に世間の目を向けさせるきっかけになって、彼女目当てに見に来るファンが現われるようになった。今場所初日も、彼女のファンと思しき集団が桟敷席の一角を占めている。土俵の上で彼等に向かって媚を売り、時には投げキッスまでする桃優奈を苦々しく思う力女は私以外にもいるはずだが、世間の注目と固定ファンを呼んできた彼女を、親方でさえも黙認せざるを得なかった。

 実際、桃優奈は努力家であった。入門当時は体重50キロに満たなくて、単なる売名行為だと思われていたが、今では80キロを超えてきている。

 稽古も熱心で、決して手を抜くことがない。

 雑用も真面目にやるし、彼女が作るちゃんこは誰のものよりも美味しい。

 今では桃優奈は本気で力女になろうとしていると、誰もが認めていた。


 それだけに、私は彼女には絶対に負けたくないと思う。

 80キロを超えても、彼女の体は尚、男の視線を惹きつける。太ってはいても、そこにはやはりフェロモンというか、何とも言えないセクシーな雰囲気がにじみ出ている。

 自慢じゃないが、私は仮に体重45キロになったとしても、男を惹きつけない自信がある。

 おまけに料理の腕もない。不器用である。

 入門当時に、もう既に女性としては地球3周分くらい引き離されていたのに、ここで負けたら完全に女が廃る。

 こいつに相撲で負けるわけにはいかない。

 過去の対戦は全て私が勝っているが、油断はしない。

 今日も全力で叩き潰して、土俵に這いつくばらせてやる。


 夕方5時。

 決戦の火蓋が切られる。

 女子大相撲は全部で10番しかない。

 1時間もあれば全ての取組は終了する。

 私・玉桜と桃優奈の取組順は2番目。前座の取組の次だ。入門して2年目同士の相撲なのだから、取組順は早い。

 私は2番目の取組が一番嫌いだ。

 前座は入門1年目の幕下同士。まだ体が細い。今年の春に高校を卒業したばかりで、あどけない顔のほどよいムチムチボディ。

 それに続いての桃優奈である。こいつは相撲は弱い。経験は私と同じで3場所だが、最高成績が2勝5敗である。まだ勝ち越したことがない。

 従って私達の取組はいつも2番目に組まれる。

 エロ目的の客が注目するのは、この1番目と2番目の取組だ。

 そこに身長156センチ体重104キロの私が登場する。

 場違い感が半端ない。

 全力女で言えば、私の方が標準体型なのだが、この4人で比べると、どこか別の惑星に漂着してしまった宇宙人のような感がある。

 桃優奈との対戦は、いつも独特の緊張感に包まれる。

 呼び出しに四股名を呼ばれ、茄子紺の締め込み・玉桜が土俵に上がる。

 続いて桃花の締め込み・桃優奈が呼ばれ、大きな歓声が上がる。

 その音がヒューヒューと聞こえる。

 実際にヒューヒューなんて口に出して言っている人はいないだろうが、私の耳にはそう聞こえる。下品な指笛も鳴っている。

 桟敷席の一角に向かって、桃優奈が小さく手を振る。お尻を突き出し、投げキッス。

 桃優奈コールが起こる。

 こんな体型になってさえ、こういうことが出来るこの女に、私は憎しみしか感じない。

 一方で玉桜を呼ぶ声は一つもない。

 私が手を振ったら喜んでくれる人は、この世に何人いるだろう?それが男であろうと女であろうと。

 待った無しの声が掛かり、蹲踞の姿勢から拳をついて構える。

 ファンに向かってお尻を突き出す、桃優奈お得意のポーズ。

 はぁーっと、客席からため息が漏れる。

 あれっ、おかしいな?

 いつもなら集中して歓声は聞こえないはずなのに。

 行事軍配が返った。


 私の味覚は、苦さと塩辛さを同時に感じていた。

 塩が撒かれた土俵の味。

 負けた。

 桃優奈に負けた。

 フワッと立ってしまった私は、桃優奈の立会いの変化に付いて行けず、あっさりと土俵に這いつくばってしまった。

 女子大相撲は全部で10番しかない。

 本来なら、立会いの変化であっさり終わってしまう相撲はファンをがっかりさせる。

 しかし、桃優奈は存在しているだけで華があった。

 全力女の中で、彼女だけが立会いの変化を許されていた。そんな決まりなどどこにもないが、みんなそう感じていた。

 茫然自失として土俵を降りる。

 滅多に勝てない桃優奈が勝ったものだから、客席は大いに沸いていた。

 花道を去る私の背後で、更なる歓声が起こる。

 おそらく桃優奈がまた投げキッスか何かをしたのだろう。実際は違っていたのかもしれないが、それが何かは知りたくもない。

 全観客が、桃優奈の勝利に沸きかえっていた。

 私と桃優奈。

 同じレオタード廻し姿なのに。

 私を見る人は一人もいない。

 やばい。

 泣きそう。

 私は早足で花道を駆け抜け、支度部屋へと向かった。


 神社の境内の一角を借りた、支度部屋の中。

 タオルで顔を覆い、声を出さずに泣いた。

 止まらない。

 すぐにタオルがぐしょぐしょになり、新しいのに変えた。

 止まらない。

 今までどんなに稽古が辛くても、負けてどんなに口惜しくても、私は泣かなかった。

 無様な姿で負けたときも、心無い野次を飛ばされたときも、私は泣かなかった。

 それなのに。

 桃優奈に対してずっと感じていた劣等感が一気に溢れてきて、私の涙腺を崩壊させた。

 新しいタオルに変える。

 鼻をかむ。

 私の涙と汗と鼻水で、もうタオルはぐちゃぐちゃだ。

「おい」

 私の背中から声を掛けた者がいる。

 親方の声だ。

「おい、玉桜」

 玉桜とは、私。

 振り向かないわけにはいかない。でも涙は止まらない。

「グスッ、グスッ、ヒッ、ヒッ、お、親方…。ヒック、ウ、ウゥ…、グスッ、ウッ」

「おい、玉桜。お前、何だあの相撲は。全然気合いが入ってないじゃないか!みんな見に来てるんだぞ!あんな相撲を取ってたら駄目だろ!もっと熱のこもった相撲を見せろ!」

「ウッ、ウウ、ウゥ、何で、何で…。グスッ、ウゥ、ヒック、グスッ…。何で、あいつはいいんですか?何で、あいつはあんな相撲を取っていても許されるんですか?何であいつは何もしなくても人気があるんですか?私だって、あいつが努力してるっていうのは分かっています。ちゃんと認めています。あいつが憎いってわけじゃないです。でも、私だって、私だって、い、一生懸命、努力して、が、頑張って、頑張って、いい相撲、取ってきたのに、何で、私が負けると、みんな喜ぶんですか?何で、何で…」

 何で、私は認めてもらえないんですか?

 そう、言おうとした。

 でも親方はそれを許さなかった。

「馬鹿野郎!強くなればいいんだよ!!」


 へっ?という顔で親方を見上げる。

 親方の説教はその後もしばらく続いた。

 らしい。

 らしいと言うのは、私の頭の中にはちっとも入ってこなかったからだ。

 想像するに、力女は強くあれとか、強くなって世間を見返せだとか、強ければ誰も文句を言わなくなるだとか、そういう、親方が普段から言っていることを言われたのだと思う。

 私の耳には、ただ、強くなればいいんだよという言葉だけが、繰り返し繰り返し鳴り響いていた。


 その日から、私は変わった。

 初日から2連敗スタートしてしまったが、まだあと5番ある。

 そのうちの4つ勝てばいいし、もし5連勝すれば、優勝決定戦に進む可能性もある。

 私は雑念を払うように、稽古場にあるテッポウ柱に、ひたすら両手の平を打ち付けた。

 3日目の対戦相手は唐紅の締め込み・栃乙女関。強敵だ。

 栃木県出身で、元バスケットボール選手。高校時代にインターハイに出場したこともある。

 身長は180センチ、体重110キロ。

 重いが、背が高いため、そんなに太っている感じはない。

 力も強く、長い手で後ろ廻しを捕まえられると、身動きが取れなくなってそのまま吊られてしまう。

 今まで2回対戦して、2敗。

 でも、それがどうした。

 元バスケットボール選手だろうが、インターハイだろうが、条件は同じだ。

 相手も私も、身に付けているものはレオタード廻しのみ。

 お互い覚悟を決めて、この世界に入ってきた。

 だとしたら、勝敗を分けるのはハートの差じゃないか。

 東に唐紅の締め込み・栃乙女。

 西に茄子紺の締め込み・玉桜。

 行司軍配が返り、立会いに構える。

 栃乙女関は顔もでかい。気合十分、忿怒の表情で私を睨みつけてくる。そのままどこかのお寺で不動明王として祀られてもおかしくはない。

 私も睨み返す。

 ぶちかましてやる。

 いや、これでは足らない。

 ぶっ潰してやる。

 叩きつけてやる。

 打ち崩してやる。

 八卦良い、残ったの合図で、頭から突っ込む。下から上に突き上げる。

 立会いで変化するのなんて桃優奈だけだ。

 逆に今までそのことがネックになって、思い切り突っ込めないでいた。

 相手が変化しないのを分かっていて頭から行くのは卑怯じゃないかという気持ちがあった。

 今日は思い切っていった。

 栃乙女関の胸の真ん中に頭がぶつかる。

 跳ね返って、2人の間は僅かに離れたが、まだ体は崩れていない。

 相手も強い。私の頭突きくらいではビクともしない。

 私の口元に自然と笑みが浮かんでくる。

 面白いじゃないか。

 これを求めていたんだ。

 自分の中にある、好戦的な血が騒ぐ。

 左右の突っ張りを繰り出す。私は押し相撲だ。普段、突っ張りは使わない。

 相手も怯まない。突き返してくる。

 まだ、駄目だ。

 血が騒ぐぐらいじゃ、駄目だ。

 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと。

 バチンと、左から張られた。

 一緒、クラッとなる。

 まだまだ。

 今度は、右から。

 血が、滾った。


 偶然だったが、右手で栃乙女関の左肘の跳ね上げていた。

 左手だけが後ろに押され、体のバランスが崩れる。

 すかさず左で前みつを掴み、足を前に送る。

 偶然流れで右を差すと、相手の腰が伸びた。

 そのまま一気に駆けると、強靭な足腰を誇る相手の体はあっさり土俵を割った。

 会心。

 勝ち名乗りを受け、支度部屋に戻る。

 会心。

 相撲を取っていて、こんなに爽やかな気持ちになったのは初めてだった。

 会心。

 自分の相撲を見つけた気がした。


 その後も私は勝ち続けた。

 露骨に頭でぶつかることはしなかったが、立会いの踏み込みで負けなくなった。

 思い切りぶつかり、下から押っ付け、手を相手の肘に充てがう。

 体を崩したところを、左前みつを取って右を差して一気に寄り切る。

 押し相撲一辺倒だった私の急激な変化に、他の先輩力女たちは戸惑っていた。

 私はまるで人が変わったような相撲で白星を重ねていき、4連勝。6日目に勝ち越しを決めた。

 勝ち星を重ねるにつけ、私に対する歓声は日に日に大きくなっていった。

 か、どうかは分からない。

 もう、周りの声など聞こえてこない。

 人が私のことをどう思ったっていいじゃないか。

 私の体を見て、笑いたければ笑えばいい。

 トドだとかアザラシだとか言いたいのならば、勝手に言えばいい。

 もし欲情したいのなら、そんな人がいればだが、欲情すればいいじゃないか。

 私はそんな覚悟で相撲を取っているわけではない。

 そして迎えた千秋楽。

 4勝2敗で、3人の力女が並んでいる。

 そのうちの2人は今日対戦する。私と、唯一の外国人力女、ロシア出身の愛里女アリョーナ関だ。

 愛里女アリョーナ関はロシア人だけあってでかい。

 身長182センチ体重140キロ。ほとんど男子の相撲取りと変わらない大きさだが、愛くるしい顔立ちで人気がある。金髪を日本髪に結い、その瞳の色と同じ紺碧の締め込みに、白い肌がよく映える。

 太っていようと痩せていようと、モテる女はモテる。

 だから何だと言うのだ。

 以前の私であれば、こういうところが気になってしょうがなかったが、今の私は違う。

 土俵に上がれば、もう周りの音は聞こえない。

 圧倒的な静寂の中、裸同然の女が2人。

 おそらくこの空間の外では、興奮した歓声が渦巻いているのであろうが、私はそいつらを土俵の上には入り込ませない。

 東に茄子紺の締め込み・玉桜。

 西に紺碧の締め込み・愛里女アリョーナ

 行司軍配が返り、構える。

 愛里女アリョーナ関は闘志が凄い。母国を捨て、取り返しのつかない体になって、衆人環視の中で自分をさらけ出すその覚悟は生半可なものではない。

 でも、私もこの小さな丸い体に私の人生を詰め込んできた。

 お互い歩いて来た道は違う。

 日本人に生まれた私の道は、愛里女アリョーナ関が歩んできた道より平らな道だったかもしれない。

 だから、どうした。私は私だ。

 この瞬間。全身全霊を込めたこの瞬間に、私はありったけの闘志をぶつける。

 血が騒ぐ。まだ足らない。

 さらに闘志を込める。いや、闘志じゃ足らない。闘魂だ。魂を燃やすのだ。

 血が、滾った。そうだ、これでいい。滾って、滾って、滾り尽くすのだ。

 行事軍配が返る。呼吸を合わせて、立つ。ぶつかる。衝撃が凄い。

 圧力に、後ろに飛ばされたのは私の方だ。

 負けるものか。必死に左手を伸ばして前みつを掴む。無意識に右でも掴んでいた。

 自然と、両前みつを取って頭を付ける体勢になった。

 愛里女アリョーナ関の長い手が廻しを求めて伸びてくる。

 止まっちゃ駄目だ。止まったら捕まる。

 私は激しくお尻を振って、長い触手から逃れようとする。

 お尻を振ったおかげで、愛里女アリョーナ関の体が崩れた。チャンスだ。

 廻しを掴んだ右手を離し、下から押っ付ける。愛里女アリョーナ関のおっぱいを鷲掴みするような格好になった。ここじゃ駄目だ。肘を取らないと。

 押っ付けを離した瞬間、相手の圧力が襲ってきた。

 やばい。押される。

 ズザザッと足の裏が土俵の土の上を滑り、あっという間に徳俵に足が掛かる。

 嫌だ。

 負けたくない。

 徳俵に掛かった右足の裏に力を込め、命綱の左前みつをしっかりと握りしめて、左の肘を思い切り引いた。

 2人同時に土俵の下へと倒れ落ちる。

 行司軍配。

 東。

 うっちゃりで玉桜の勝ちだ。

 耳を、劈く歓声。

 やった。

 これで、5勝2敗。最低でも優勝決定戦に進む資格を得た。

 勝ち名乗りを受け、花道を下がる。

 体は土まみれ。汗で土がべったりと着いている。化粧なんかもうあってもなくてもいいくらいにぐちゃぐちゃだ。

 あとは、結びの一番の結果を待つのみ。

 結びに登場する2敗力女は若泉関。初日に負けた相手だ。

 もし若泉関が本割で負けたら、自動的に私の優勝が決まる。そうなれば私が横綱だ。

 でも、若泉関が負けるとは思わなかったし、何よりもう一度対戦したかった。今度こそ若泉関に勝って、私は横綱になる。


 結びの一番はやはり横綱・若泉関が勝った。5勝2敗の5分で同点。優勝決定戦は私・玉桜と横綱・若泉だ。

 10分間の休憩の後、決定戦に向かう。

 今度は西の花道を歩く私に、大きな歓声が起きた。

「た・ま・ざ・く・らーーーー!」

 その声が桃優奈のファンたちから沸き起こっているのが不思議だった。

 いや、桃優奈のファンだけじゃない。あちこちから玉桜を呼ぶ声が聞こえる。判官贔屓の日本人が、新しい横綱の誕生を見たがっているのだ。

「わ・か・い・ず・みーーーー!」

 東の花道を歩く若泉関にも大きな声援が送られる。やはり現在の横綱、人気が違う。

 呼び出しに呼ばれ、土俵に上がる。土俵に上がれば、もう歓声は聞こえなくなる。

 塩を撒いて、何度か仕切りを繰り返す。

 東に萌黄の締め込み・横綱若泉。

 西に茄子紺の締め込み・玉桜。

 時間いっぱい、行事軍配が返った。

「八卦よい、のこった!」

 立会い、頭から当たる。意表を突いたつもりだった。

 ところが若泉関は肘を曲げてカチ上げできた。

 読まれていた。

 肘が顎に入り、私の方が後ろに飛ばされる。胸が上がりそうになるのを何とかこらえて、前に出る。

 半歩右足を踏み込み、前進してきた若泉関の喉に向けて右の腕を伸ばした。

 狙いは喉輪だ。私の腕がつっかえ棒になって若泉関の前進が止まる。

 そのまま腕を伸ばす。

 横綱の顔が仰け反る。チャンスだ。すぐに左足を出せ!

 手を伸ばす。左前みつに届いた。もう離すもんか。

 しかし直後、横綱に右上手を取られた。

 しまった。

 背の低い私が喉輪で腕を伸ばしても、まだ若泉関の腰は残っていたのだ。

 もの凄い力で引きつけられる。

 すぐさま右下手を取り、頭をつけて腰を振ろうとしたが、横綱の上手が強くて腰が動かない。

 横綱は左でも上手をガッチリと取り、一気に前に出る。

 あっという間に徳俵まで追い詰められた。

 駄目だ。やられる。でも、負けたくない。

 負けたくない。負けたくない。負けたくない!

 私は渾身の力を込めて横綱の猛攻を残す。

 左は完全に殺されているが、右手はかろうじて動かせる。

 右下手に力を込めて引き付ける。さっきとは逆の方向にうっちゃってやる。

 少しだけ横綱の体が右に動いた。

 しかし横綱は左足で踏ん張ると、右の上手を離して私の顔面を鷲掴みにした。

 ぶっ。大きな手に鼻と口を塞がれて息が出来ない。

 横綱は怪力にものを言わせ、私の顔を掴んだ右手に力を込める。首が仰け反る。

 あ………。

 ダメダ………………。


 ワーッという歓声が、私の耳に戻ってきた。その音を、私は土俵下で聞いていた。

 見上げると、横綱が仁王立ちして私を睨んでいた。

 落ちたのは私だけだ。

 横綱はしばらく私を睨んでいたが、踵を返すと、勝ち名乗りを受けに悠然と東に戻っていった。

 私は一度土俵に上がり、一例して西の花道を下がっていく。

 負けた。ああ、負けた。でも、どこかホッとするところもあった。


 今場所の全ての取組が終わり、あとは表彰式を残すのみになった。

 土俵の上では親方がマイクを握り、優勝した若泉関にインタビューをしている。

 流石に元極悪ヒールのプロレスラーだけあって、マイクパフォーマンスはお手の物だ。

 若泉関も2場所連続優勝で、自信に満ち溢れた表情である。

「えーっと、続いて三賞の発表にいくぞ。まず殊勲賞は、優勝した若泉を倒した愛里女アリョーナ!」

 客席からワーッと歓声が上がり、続いて、キャーッと、オーバーなリアクションの愛里女アリョーナ関が土俵に上がった。

「アリガトゴザイマース!」

 たどたどしい日本語でお礼を言うと、また、ワーッと客席が盛り上がる。こういうときの愛里女アリョーナ関は愛嬌を振りまくのが本当に上手い。流石欧州人。実に自然にやってのける。

「続いて、技能賞。技能賞は、まあ、色々と意見はあると思うんだが、今場所初めて勝ち越したんでご褒美の意味も込めてこいつにくれてやる。桃優奈!」

 エッと思った私の戸惑いは、ワーッという一際大きな歓声にかき消された。

 キャーッ、キャーッ、キャーッと外国人よりもオーバーなリアクションをしながら、桃優奈が土俵に上がった。桃優奈は変化だけであったが、今場所4勝したのだ。

「わ、わ、私、勝ち越せるだなんて思ってなくて、本当に、嬉しいです。これも、応援してくれた皆さんのおかげです。あ、ありがとう。みんな、愛してる!」

 ヒューッという歓声が上がり、桃優奈は四方八方に投げキッスを送った。

 やはりこの女だけは許せない。くそっ、私がこいつに勝っていれば………!私がこいつに勝っていれば…………………!!

「えーっと、じゃあ、最後に敢闘賞の発表な。あたしはさあ、今場所でニューヒロインが誕生したと思ってるんだよ。よくやった、褒めてやる。敢闘賞は、玉桜!」

 ワーッという歓声と、オオーッというどよめき。

 エッ?玉桜って、私?

「おいおい。何ボヤッとしてんだよ。早く上がってこいよ」

 親方に促され、半信半疑で土俵に上がる。エッ?私、敢闘賞?私、ニュ、ニューヒロイン?


「あたしは玉桜に特別賞をあげたいぐらいだ。よく頑張った。もう少しで優勝だった。こいつがニューヒロインだ。な?お前らもそう思うだろ!?」

 親方に乗せられて会場が沸き返る。この人たちは私をニューヒロインだと思っているのか。

「あたしはさあ、夢があるんだ。5年前に女子大相撲を立ち上げて、やめとけだとか、うまくいくはずないだとか、心無い奴らになんだかんだと言われて、苦しいのをずっと耐えてたけど、今場所のこいつらの活躍を見て確信したよ。女子大相撲はこれからもっと大きくなる。これからもっともっと大きくなる」

 そこで親方は一息入れると、一際大きな声で言った。

「お前らを、両国国技館に連れてってやる!それまでずっと、付いて来いよ!!」

 ワーッなのかオーッなのか、キャーッなのか。

 わけのわからない歓声が地鳴りのように響く。

 両、両国国技館………。両国国技館………。

 それって、女子大相撲の大会が両国国技館で開催されるということなのか。

 私たち力女はそこまで行くのか!

 両国国技館。あの両国国技館。もしそうなったらどえらいことだ。

 わ・か・い・ず・みーーーー!や、も・も・ゆ・う・なーーーー!や、ア・リョー・ナーーーーー!の中に、た・ま・ざ・く・らーーーー!の声が混じっている。

 大歓声を受けて、私たち4人は土俵に立っている。

 膨れ上がった体を晒して、レオタード廻しだけを身につけて立っている。

 若泉、桃優奈、愛里女アリョーナ、そして玉桜。

 私以外は、みんな美女。

 私は思った。これって、公開処刑ではないか。

 くそぉ、みんなぶっ飛ばしてやる。

 次の場所よ、早くやってこい。

 そう思うと私の血は、滾って滾ってしょうがないのであった。

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乙女の柔肌でぶちかまして シルコ・シルラ @warabizenzai

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