25.ルティーナの願い
「――はっ、はっ」
「ルティーナ様! 早くこちらへ!」
息を切らして走るルティーナに、前を走るシモンは更なる速度を要求する。
「ちょ……ちょっと……待って、よ……」
普段から訓練で鍛えられたシモンと、お嬢様として育てられてきたルティーナでは、当然体力は雲泥の差であり、2人の距離は広がるばかりだった。
シモンに強引に連れられて馬で逃げていたルティーナだったが、今は自分の足で走って逃げている。
2人が逃げ出したころには、既にグラバル王国軍の軍団長ボルゴによって兵が放たれており、すぐに見つかってしまったのだ。
それでもなんとか敵を振り切りつつ逃げていたのだが、運悪く馬が石に踏み上げた際に足にダメージを負い、2人は落馬してしまった。
不幸中の幸いで怪我こそかすり傷程度だったものの、馬はもう走ることはできず、後ろから迫る敵から逃げるため、自らの足で逃げることを余儀なくされたのだった。
「――! ルティーナ様、あそこに洞穴があります! このまま走ってもいずれ捕まることは確実……あそこならば隠れてやり過ごせるかもしれません」
「う、うん、わかった」
ルティーナは、最後の力を振り絞って洞穴まで全速力で走った。
「はぁ、はぁ……! も……動け、な……いよ……ふぅ――っ」
「ルティーナ様、静かに……!」
シモンは、精一杯空気を取り込もうとしているルティーナの口を押えて、無理やり黙らした。
「んん……っ!?」
当然ルティーナは目を白黒させて驚くが、
「――おい、途中に馬が捨ててあったらしいぞ。今は走って逃げてるかもしれん」
「ほう。でも、そいつらは囮なんじゃないか? さっき別の部隊が馬車で逃げたやつらを捕まえたらしいぞ?」
「――!」
それ以上に、聞こえてきた会話の内容にショックを受けた。
「――ああ、だが、そっちが囮の可能性もあるらしい。とりあえず、どっちも捕まえろとのお達しだ」
「まったく人使いの荒いこって……」
馬が走り出す蹄の音が聞こえ、「シモンは行ったか……」と見つからなかったことにほっと安堵した。
「……もう、いいでしょ」
「あっ! も、申し訳ありません、ルティーナ様」
口を塞いでいたシモンの手をルティーナがどかそうとすると、シモンは慌てて謝罪を述べて手を離した。
ルティーナの表情は暗く、先ほどの敵兵の会話が原因であることを物語っていた。
「やっぱり、捕まっちゃったんだ……」
「ルティーナ様……」
レオンの命令とはいえ、あの場で彼らを囮にしてルティーナを強引に連れて逃げたのはシモンであったため、安易に励ますことは憚られた。
シモンがどうすることもできずただ黙っていると、
「――うん、でもまだ望みはあるよね」
ルティーナは自分に言い聞かすように呟いた。
「さっきの話からすると、ボク達のことも探してるみたいだし、それまではきっと手を出さないと思うんだよね。そうでしょ? シモン」
「はっ、恐らくは……」
「うん。じゃあまだ諦めちゃダメだね。ちゃんと前を向かなきゃ」
ルティーナはそう言って、両手をぎゅっと握って拳を作った。
シモンは、少し前までは大泣きしていた目の前の幼い少女が、前へ進むことだけを考えるという姿勢に感服し、何があっても守り抜くと固く心に誓うのであった。
「――どこまでもお供いたします、ルティーナ様」
「うん、お願い」
その顔つきは、領主の娘たるに相応しく成長しているのであった。
◆◇◆
ルティーナがシモンと共に洞穴に隠れて、既に数日が経過した。
本来ならば、タイミングを見計らって洞穴から移動したいところだが、時折聞こえる蹄の音に、未だに動けずにいるのだった。
「この洞穴、どこまで続いてるんだろ?」
「ここまで深いと、洞穴というか洞窟ですね。どこかへ繋がっているかもしれません」
ルティーナ達は敵兵に見つからないように奥へ行こうとしたが、当然奥へ行けば行くほど光が届かなくなるため断念した。
「ねぇ、シモン……お父様は助けに来てくれるのかな……」
「ええ、きっと今頃は出軍する準備をしているはずです。クレデール砦はクレイオール領では最重要の砦ですから、必ず取り戻すはずです。ルティーナ様が逃げたことは早馬で知らせているはずなので、キール様はルティーナ様を救う手筈を考えていると思われます」
シモンは確信していた。
どれくらいかかるかは正確にはわからないが、準備が整い次第、必ず砦を取り返すために軍を動かすはずだと。そして、キールの娘であるルティーナを救出するはずだと。
「……うん、そうだよね! よーし、そろそろ日も落ちてきたし、完全に暗くなる前に夕食にしよっ」
「はっ! 今日も
「そうそう、さあて、今日はどれにしよっかな~」
ルティーナは、この世界には似つかない地味な深緑色のポーチからガサゴソと、これまたこの世界には存在しない素材に包まれたものを2つ取り出した。
「はい! 中身違うだろうから、また半分コずつにしよっか」
「承知しました。いやぁ、しかしこれを食べれるのが今の唯一の楽しみですなぁ」
それは、ルティーナに勇馬が『小腹が空いたときにでも』と、出発前に持たせた「チョコバー」だった。
どうしても家から離れると、味気なく美味しくない食事になってしまうと聞いた勇馬は、少しくらいならいいかと『ミリマート』に売っていたチョコバーをいくつかポーチに入れてあげたのだ。
日がな洞穴で1日を過ごす2人にとって、チョコレートという甘味を口に入れるその瞬間が最も幸せな時間だった。
「~~~ッ!!」
ルティーナは、白いホワイトチョコレートが掛かったものを頬張って、悶えるように体を震わせた。
「んんっ! はぁ、これは……どれを食べても、とんでもない美味しさです」
シモンは、シンプルなチョコレートコーティングされた中にキャラメルが入っているチョコバーを一口齧り、しみじみとその甘さに酔いしれる。
「すごいよねぇ、ほんと。今まで味わったことないような、こんな貴重なものをいくつもくれたんだもん」
「ええ。兵士だったら、これを褒美に死に物狂いで戦ってもおかしくないですね」
チョコレートのような甘さはこの国に存在していないため、2人はすっかりチョコレートの虜となってしまった。
「ん~~っ! こっちも美味しい~」
「この白いものが私には好みですなぁ……いやしかし、本当に助かりました。運良く湧き水もありますし、無事にここから出ることができましたら、ユウマ様というお方に直接感謝のお言葉を述べさせていただきたいですな。この食べ物のお陰で生き長らえることができるのですし」
「うん、そうだね。……ユウマ、一緒に来てくれるかな」
「それは難しいと言いますか、ユウマ様が中央諸国の大貴族でしたら、むしろ祖国に帰ってしまうかもしれませんね。普通であれば、戦争に巻き込まれる前に逃げるでしょうし」
「ユウマはそんなことしないもんっ!」
「……失礼いたしました」
常識的に考えればシモンの言っていることが正しいのだが、そもそも勇馬には帰る術がない。それでなくても、ルティーナには勇馬が自分達を見捨ててどこかへ行ってしまうとは思えなかった。
「――おい、あっちから声が聞こえたぞ」
「なに? 様子を見てみるか」
洞穴の外からそんな会話が聞こえ、ルティーナは慌てて口を押さえたが、
「――! おい、あそこに洞穴があるぞ」
「よし、見てみよう。十分警戒しろよ」
ザッザッと、ルティーナ達のいる洞穴に向かって2人分の足音が近づいてくるのだった。
「……ルティーナ様、離れてください。2人ならば、私の命を賭してでも必ずやお守りします」
「シモン……」
シモンは、音を出さないよう気を付けながら鞘から剣を引き抜く。
先手必勝で斬りかかれば、1人は確実に倒せるし、気付いたもう1人も最悪相討ちに持ち込めるだろうと、シモンは考えていた。
「――ここだな。中に人は……」
「おい、だから気をつけろって――」
「ふんっ!!」
ザシュッという音とともに鮮血が飛び散り、先頭にいた兵士は力なく崩れ落ちた。
「くっ、この――ッ!」
「ハアァッ!!」
もう1人の兵士が慌ててシモンに斬りかかろうとするが、それよりも早く、シモンは相手の喉を剣で貫いた。
「がふっ……」
シモンは、突き刺した相手が口から血を大量に逆流させるのを確認し、相手の腹を前蹴りして強引に剣を引き抜いた。
「ふっ、ふっ……ルティーナ様! ここは危険です、場所を替えましょう!」
肩で息をしながら、シモンは洞穴の中に向かって呼び掛けた。
「う、うん、わかった。――シモン、後ろ!!」
「――ぬぉ!?」
ルティーナの突然の叫び声に後ろを振り返ったシモンは、目の前に迫っていた敵兵の1撃を、間一髪で防ぐことができた。
だが――、
「いたぞ! こっちだ!!」
その後ろからは少なくとも3人の敵兵が向かってきており、
「ルティーナ様! ここは私に任せて、お逃げください!」
シモンは自身を盾に、ルティーナを逃がす判断を下したのだった。
「で、でも……」
「早くッ!!」
「ち、違うの……脚が……」
「――!」
ルティーナの脚は震え、走るどころか立っていることすらできずに、その場にストンッと尻餅をついてしまった。
「ぐはっ――!」
「シ、シモンっ!」
「ようやく見つけたか。手こずらせやがって」
新たに加わった敵兵に、シモンは吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。
「ぐっ……ここまでか――ッ!」
シモンは覚悟を決める。
「へっ、悪いようにはしないからよ。まあ、連れてく前に少しくらい味見してもいいよなぁ?」
「へへへっ」
兵士達は、ルティーナを舐め回すように見て、下卑た笑みを浮かべた。
「い、嫌……!」
「まぁ、そう嫌がるんじゃねぇよ」
「や、やめろ……やめてくれ……っ!」
兵士がルティーナに手を伸ばす。
「誰か……助けて――ユウマぁ……」
ルティーナは、今ここにはいない人物に
――タンッ!
森の中に聞き慣れない音が響き渡り、驚いた鳥達が一斉に飛び立ち始める。
――タンッ! タンッ! タンッ!
今度は3回連続して音が鳴った。
森の中に反響する音が消えぬうちに、4人の兵士は突然気を失ったかのように倒れてしまった。
「――え?」
「な――っ」
目の前で起きた信じられない出来事に、ルティーナとシモンはそれ以上の言葉が出てこない。
「――ルティ!」
聞いたことのある声――。
辺りはすっかり暗くなってしまい、声の聞こえたほうを向いても、誰がいるのかは見えない。
でも――、
「――ユウマぁ……っ!」
ルティーナには、それが誰なのかすぐにわかった。
駆け出した彼女は、願いを叶えてくれた勇馬の胸に飛び込み、大きな声で泣くのだった。
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