第44話 桑名
昨夜の騒動が幻だったかと思えるほど、翌朝は静かな朝だった。
「うーん、やっぱり高級ベッドは寝覚めがいいわね」
と、ミケコは体を伸ばした。
「今日はとうとう三重県に入るわね」とタマコ。
昨日のお酒も残っていない。
快適な目覚めである。
一茶たちはまだ戻っていないようだったので、早々に城を出る。
「あの人たち、どこまで行っちゃったのかしら?」
「まあ、大丈夫じゃない?」
近くの喫茶店で、ここもやはり名古屋流のモーニングを楽しむ。
そのままスポーツ新聞を広げて長居がしたくなったが、まだ旅の途中だ。
昨日と同じ船に乗り、名古屋城を後にして、堀川を下る。
順調に航行して、宮の宿の真ん前にある、七里の渡し場へ戻ってきた。
ここから船に乗り換え、いよいよ桑名へ出発である。
堀川を少し南下したら、すぐに伊勢湾上に出た。
宮から桑名へは、東海道唯一の海上路。
七里(約27.5キロ)の船旅だが、現在では埋め立てが進んで、かつての航路はその大半が陸の上。
航路もなくなっている。
近未来では、その海上に突き出た陸地を、大回りしていく。
「うーん、スキーもいいけど、船旅っていいわね」
「本当ね。風流だわ」
「こういうのを残しておいた昔の人って、粋だったんだわ」
「単調な旅にアクセントをつける必要があったのね」
なんて、呑気な会話である。
実情は、この辺りは、木曽三川を始めとする、幾つもの河川が流れ込むせいで、治水工事が難しい。
それでここの区間だけ船旅になったようだが、ここは風流と捉えた方が、旅を楽しめるだろう。
かつては4時間から6時間かかった船旅も、近未来の高速船のおかげで、あっという間。
程なくして、東海道42番目の宿場町・桑名へ着いた。
やはり、「ここより三重県」の看板の前で、パシャリ。
こういった儀式をすることで、旅の歩みを確認しながら進むことができる。
桑名の宿は、船着場のあたりが本陣。
早速、お目当てのものをいただく。
「やっぱり、これ、これ。その手は桑名の……?」
「焼き蛤!」
この辺りの漁場は、伊勢湾に木曽三川が流れ込む、栄養豊富な汽水域。
ふっくらと大粒の身は、濃厚な味わいで、江戸時代には将軍家に献上されていたほど。
『東海道中膝栗毛』にも登場する、全国的にも有名な、桑名の名物だ。
それを、一番うまいとされる、松ぼっくりで焼いていただく。
「は、はふっ。プリップリ!」
「ジュ、ジューシー!」
これが貝類かと驚くほど、滑らかな舌触り。
これぞ天下の逸品と言える。
土地の名物をしっかり味わって、移動してきた体を慣らしたら、また出発である。
「フワー、三重県よ!伊勢の国だわ。ついに関西に入ったのね!」とミケコが言えば、
「あら、ここら辺は、まだ東海じゃないの?」と答えるタマコである。
「えー、でも、近鉄の電車が走っているわよ」
「近鉄は名古屋まで乗り入れているもの」
地域的には、三重は、東部は名古屋圏、西部は関西圏だと言えるかもしれない。
土地の人が使う方言も、西に行くにつれて、関西風のイントネーションが増えてくる。
だが、所詮、行政区分や地域区分などというものは、人為的なものである。
便宜的に分けただけのことだ。
実際には、ここまでは東海、ここからは関西、などという境界線はない。
「人も土地も、だんだんと変わっていくのかしらね」
「そうよ、そうよ。人の感覚は、急に変わったりはしないもの」
空気感の変化を肌で実感しながら、市街地を四日市方面へと滑り抜けていった。
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