第15話 吉原

 しばらくして次の宿、吉原へ到着した。

 ここは万葉の歌人、山部赤人やまべのあかひとの歌で有名な、田子の浦がある。

 ちなみに、万葉集では「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」


 と、詠まれているが、百人一首だと「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」

 となっていて、若干意味が違っている。


「田子の浦ゆ」が「田子の浦に」に変わっているのは、「ゆ」という助詞が平安時代にはすでに使われなくなっていたからであるが、意味合いも違う。

 万葉集だと、田子の浦を通って海に漕ぎ出した舟の上から富士山を眺めているが、百人一首では、田子の浦から富士山を眺めている。


 また、「降りける」を「降りつつ」に変えたことで、今まさに富士山に雪が降っていることになっている。

 より技巧的でドラマティックになっているのだ。


 その田子の浦から北へ。

 ここは江戸から京都へ行くときに、東海道で唯一、富士山を左手に見るところ。

 左富士と言われるところだ。

 歌川広重の「吉原左富士」でも有名だ。


 二人がスキーのスピードを緩めて、その左富士を堪能していると、後ろから声を掛けてくるものがいた。

「もしもし、そこのお二人さん」

 振り向くと、背の低い怪しげなオヤジが、なにやら丸いものを持って近寄ってきていた。


「なーに?土産物の押し売りなら、お断りよ」と、ミケコ。

「いえいえ、違いますとも」と、怪しげなオヤジは言った。

「お二人さんはもしかして、弥次喜多グループのミケタマさんではありませんか?」

「そうだけど?」と、タマコ。


 するとオヤジは喜んだ。

「あー、良かった」

 顔を見合わせるミケタマ。

 日本橋OLきっての美人受付嬢である二人は、社外にもファンが多い。

 ミケタマ目当てに、用もなく会社に来てしまう人もいるくらいだ。

 きっとそういう人だと、二人は思ったのだ。


「なーに?サインなら、してあげてもよろしくてよ」と、若干お嬢になるミケコ。

「アイドルになっちゃったしね」と、タマコは平塚でのステージを思い出す。

 だが、違っていた。

 怪しげなオヤジが持っていたのは、何やら丸いもの。

「これをお二人に渡すよう、会社の方からご用を仰せつかったのであります」

 よく見ると、玉ねぎの形をしている。


「何かしら、これ?」と、首を傾げたタマコだったが、

「これは、擬宝珠だわ」と、ミケコはそれが何かわかった。

「そうです、そうです。これは京都・三条大橋の擬宝珠です」とオヤジは言った。

「三条大橋の擬宝珠と言ったら、例の新撰組が刀傷をつけたと言う?」と、歴史に詳しいミケコである。


 擬宝珠とは、橋の欄干の先端の、玉ねぎ状の頭の部分だ。

 ミケコが言うように、京都・三条大橋の擬宝珠には、新撰組の刀傷と言われる傷が、生々しく残されている。


「実はですね、今、東海道各地でシステムにバグが起きておりまして」と、オヤジは説明しかけたが。

「ああ、そのことなら、一茶さんから聞いてるわ」と、タマコが遮った。

 オヤジは一瞬、ドキッとした表情を見せたように思ったが、あまりにも刹那のことで、二人がそれに気づいたかどうかはわからない。


「え、ええ。一部の方にはすでに知られているのですが、実はこれは極秘事項でして」

「極秘?」とタマコ。

「そ、そうです。一茶さんにも内緒なのです。お二方以外には、内緒にしておくようにと、会社の方から念を押して釘を刺されておりまして」

 ミケタマの二人は顔を見合わせた。

 一茶にも内緒のこととは、一体何であろう。


「実は、この一連のバグの原因が、三条大橋の擬宝珠にあることが判明したのです」とオヤジは言った。

「擬宝珠が?あんなの、ただの飾りじゃないの?」とタマコ。

 だが、ミケコは、あることを思い出した。


「そういえば、弥次喜多グループが三条大橋を今の形に建て直したときに、擬宝珠をどうするかっていう話があったわね」

「なにぶん、入社前のことだわ」とタマコ。

「老朽化が進んでいるからって、最初は全ての擬宝珠を変えるつもりだったんだけど、一つだけ、やっぱりこれは残しておこうっていうことになったのよね。それが、幕末に新撰組が刀傷をつけたという、例の擬宝珠よ」


「そうです、そうです。さすがはミケコさん」と、オヤジが割って入ってきた。「ご存知のように、その擬宝珠だけが、今も残っています」

「でも、何かあったときに、いつでも取り替えられるようにって、ねじ式になっているのよね」とミケコ。


「そうなのです。ですが、それが古いままになっているせいで、東海道ゲレンデ全体との調和が取れなくなっているのです」とオヤジ。

「そういえば、今まででもちょくちょく小さなバグは発生していたわね」とタマコ。


「そこで、擬宝珠を新しいものと取り替えると同時に、バグを解消しようという、こういうわけです。これはただの擬宝珠ではありません。この中には、バグを治すプログラムが入っているのです。この擬宝珠を、お二人に京都まで持っていって、三条大橋にセットしていただく。そうすれば、東海道全域に影響を及ぼしていたバグが、一気に解消されるのです」

 と、オヤジは新しい擬宝珠をミケコに渡した。


 まじまじとそれを点検するミケコ。

「ふーん、これにも刀傷がついているわね」

「そうです、そうです。一見して新しいものとはわからないようになっております。まさか古い擬宝珠が原因で、バグが発生しているということが世間に知られれば、会社の一大事。このことは極秘に進めねばなりません。本来であれば、専門のスタッフの仕事ですが、公式にやってしまうと世間にバレてしまいます。そこで、現在休暇中のお二人には大変申し訳ないのですが、他にできる人がいないのです。というわけですので、くれぐれも頼み申しますぞ」

 それだけ言うと、怪しげなオヤジは一目散に去って行った。


「行っちゃった。何だったのかしら、あの人」

 タマコは今し方オヤジが去っていった方を眺めたが、もうどこにも彼の姿は見当たらなかった。


「要するに、京都に行ったら、この擬宝珠をはめ替えればいいってことよね?」

 と、ミケコはもらったばかりの擬宝珠をリュックに入れた。

「よくわかんないけど」

「とりあえず、行きましょうか」

 何事もなかったかのように、旅路を再開する、ミケタマである。


 ところが、これが実は、東海道と弥次喜多グループすべてをひっくり返す、恐るべき陰謀だったのである!


 その頃、例の怪しげなオヤジは。

 ベリベリっと、顔にかぶっていたマスクを剥いだ。

「ふう、よし、成功だな」

 中から現れたのは、甲賀忍者の末裔、多羅尾たらおユラであった!


 なぜ、甲賀忍者の彼がここにいるのか。

 それは、弥次喜多グループのライバル企業、十返舎開発が、彼を雇っていたからである。

 何を隠そう、東海道49番目の宿、土山と、50番目の宿、水口みなくちは、滋賀県甲賀市にあるのだ!


 そこで、十返舎開発は、甲賀忍者を使って、ある計画を実行しようとしていた。

 それはなんと、東海道のシステムを変更し、ゲレンデを一気にゴルフカントリーにしてしまおうというものである!


 ミケコが受け取った擬宝珠には、そのためのプログラムが入っていた。

 彼女が京の三条大橋にセットすると、プログラムが発動するようになっているのだ。

 ここで恐るべき偶然が。


 小田原城で、一茶は口から出まかせを言った。

 それは、十返舎開発が風魔忍者を雇って、東海道にバグを起こしていると。

 だが実際は、一茶も知らないことだが、真実は、十返舎開発が甲賀忍者を雇って、一気にプログラムを書き換えようとしていたのだ!


「しめしめ。あとは言ったことが怪しまれないように、適当にバグを起こせばいいだけだ」と、多羅尾ユラ。

 煙のように消えていった。

 それを陰から見ていたのは、日影ウスオである。


「まずいな。このままだと、風魔忍者のせいになってしまう」

 おまけに、弥次喜多グループが倒産してしまえば、彼の唯一の趣味である、ミケタマの観察もできなくなってしまう。

「なんとかせねば…」

 こっそり、ユラの様子を見張ることにした。

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