第5話 動機は最低だけれども
信二は茜の浮気、しかもかなりのヘビー級のNTRを食らわされてから人格が少し変わっていた。
『誰と付き合おうか……』
茜と夜景を見てきた直後にも関わらずに、信二が茜以外の女のことを考えていたことを見ても、今までの信二の思考回路とは大きくかけ離れているところが見て取れる。
こうして人は何かの出来事を通して変化していく生き物なのだと思う。良くも悪くも……
その変化が将来、どんな結末を導こうとも……
…………
…………
…………
『変化』は生物にとって非常に大切であり、進化の過程を見る限り、それは必然なのかもしれない。
生物が自らの意思とは関係なく変化していき、そしてその結果として多様性が生じ、そのなかでたまたま、そのときの環境に適応した生物が生き残り、淘汰が進んでいく。
進化というプロセスが莫大な時の流れのなかでトントンと進んでいくだけの世界……
そんななかで私たちは毎日に意味を見出したり、快楽を求めたりして、それぞれの人生を歩んでいる。
そしてまた社会という私たちによって生み出された概念、今までにはない環境のなかで……
概念の淘汰もまた、生じているのだ。
恋について、愛についての考え方の淘汰も生じているのだ……
……………………
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考え方の変化。それは人生を大きく左右させる。
果たして、この信二の選択は生命に、いや……
彼自身にどのような結末をもたらすのだろうか……
★★★★★★★★★★★★★★★★
土曜日の14時ごろ。
「くぅぅぅぅぅぅぅぅ……疲れたああああああ」
信二は人生初となるバイトをNTR事件があってからすぐに始めていた。
採用は驚くほどにスムーズだった。
バイト先は信二がたまに利用していたレトロな雰囲気がある街中の喫茶店。
個人経営のところで、定年退職をした老夫婦がひっそりと始めたのだそう。
とても優しくて人当たりのいい、マスターたち。
信二が高校生と知るやいなや、それはもう孫をでも見るかのような雰囲気で接してくれて、話はトントン拍子で進んでいった。
(本当に居心地のいいバ先で良かった。初めてがこれだと次のバイト結構キツそうだな……)
信二は高校生ということもあって、このような個人経営の喫茶店ではさすがに平日はシフトを入れることができないので、休日できるだけ顔を出してねということだった。
募集もかけておらず、人手もそれほど困っていないようだったので、本当に親切心のみで採用してもらったみたいなものだ。
「こらっ。お客さんの前で伸びしないっ!」
ふと、そんな声がした。
信二は申し訳なさそうな顔をつくり、後ろを振り返る。
「ごめんなさい、
「ごめんなさい、はそんなに軽く言うものではありませんっ」
「じゃ、じゃあ……どうすれば」
「もうっ、信二くんは本当に……」
信二のことを呆れながら注意している女性。
しかし、どこか恥ずかしそうな雰囲気もある。
人を注意することに、あまり慣れていないのだろうか。。。
この女性が、言わずもがな。
信二がターゲットにしている女性だった。
本当にこの喫茶店のマスターたちには下げた頭が上がらない……
信二はとても不純な動機でこの喫茶店のバイトの話をマスターたちに持ちかけていたのだった。
それが彼女の名前だ。
大学1年生になったばかりで、彼女も初めてバイトをこの喫茶店で始めたらしい。
高校までは女子校に通っていたらしく、あまり男の子が得意ではないとのこと。
「香住さん、今日もおいしいコーヒの淹れ方、教えてくださいっ」
「……はぁ。信二くんは本当に……。でも、ま、まぁ仕方ないわね。教えてあげるわ。わ、私もでも、まだそんなに上手じゃないんだからね。へ、変な期待されても困るんだからね」
男嫌いを拗らせてしまったのか、かなりのツンデレ気味である様子。
これには、信二も実際に話して見るまで気がつくことはできなかった。
「やったー。今日もお願いしますね、香住せんぱい」
信二がこの喫茶店で香住さんを初めて見たのは高校2年生の4月からだった。
大学の新入生にとってこの4月という時期はサークルの新歓や歓迎会などで食費が驚くほど浮く滅多とない時期となるのだが。
あまりその空気に馴染めない学生も、もちろんいるわけでして。
それがどうやら香住さんだったらしい。
『私、ああいうウェイ系男子がもう無理で無理で……。絶対に大学では素敵な彼氏つくるんだって思ってたのに。落ち込んじゃって』
香住さんの入ったサークルはかなりひどかったらしく、新入生に一気飲みをさせるようなところだったらしい。
その光景が焼き付いてしまった香住さんは、怖くてサークルとか新しい交流の場に出ていくことができなくなったらしく。。。
それを見かねた母親に進められてこの喫茶店で社会経験を積むようにと言われて来たらしい。
香住さんは、そういうお家柄であり、人であるらしかった。
「まずはコーヒー豆の挽き方についてね……。挽いたことある?」
「すみません、僕。あんまりコーヒーが好きじゃなくって」
「……不思議な子。どうして喫茶店なんかにしたのよ」
「……それはその」
信二は口をもごもごさせて、口ごもる。
(まだ、言うべきではないタイミングなはずだ。それにここで言っても、あまり絵にならない。少し遠回しにふざけたことでも言っておこう……)
「香住さんのコーヒーが飲みたかったからです」
信二は精一杯の決め顔で、わざとらしく、ツッコミ待ちのような感じでそう言った。
(あ……でも。なんか結構きもち悪いこと言ってるような気が……)
信二は慎重に行くつもりが、意図せず口を滑らせてしまったような気がしているみたいだ。
「えっ……。それって……」
しかし、どういうわけか。
香住さんは恥ずかしそうな素振りをして、頬をぽっぽと赤く染めている。
「それって。私のお味噌汁が飲みたいってこと……。えっ……。そういう感じの……」
香住さんから発せられた予想外の言葉。
どうやら、かなりの勘違いをしている様子。
「えっ。違いますけど。香住さん……。それ拡大解釈しすぎですよ」
「……………」
みるみるうちに香住さんの顔が、さらに真っ赤になっていく。
(あ……ちょっとミスったかも。でも、やっぱり香住さん。ちょっとチョロすぎないか……)
「べ……別にそういうつもりで言ったんじゃないんだからねっ!!そこは関西人らしく、おもしろおかしくツッコんでよ!」
「いや、自分ごりっごりの関東人ですやん……」
「……………」
その日のバイト中。
信二は全く香住さんに口を聞いて貰えなかったが。
不思議と嫌な雰囲気は流れていなかった。
たぶん、それはこのレトロな雰囲気の喫茶店のおかげであり……
そして香住さんの
なのかもしれない。
チラチラとたまに香住さんからの視線を感じる信二。
たまに振り返ると、挙動不審になって……小さな声で、
『べ、別にあんたのことなんか見てないんだからね!!!』
そう言う、香住さん。
(香住さん……あんた、ちょっとチョロすぎない。僕のこと、余っ程好みじゃない限り、こんなツンデレ対応ありえなくね……)
信二にとって初めて、学校の外でする恋愛。しかも彼女ありの状態で。
世の中にはこんなにも心配になってしまう存在がいるのかと、信二は驚きを隠せない。
(いろんな人がいるなぁ……世の中って)
喫茶店のアルバイトを始めた動機はあまり褒められたものではないかも知れない。
しかし浮気をするという選択をしたことによって、信二の行動範囲は学校外へと広がり、交流する人もそれなりに今後増えることになるだろう。
そう考えると、浮気も捨てたもんじゃないってことに……
いや、そうはならないか。。。
兎にも角にも、信二の行動力は浮気をしたことによって、着実にレベルアップしているようだ。
「ふぅ……そろそろ、告白してみようかな」
信二はぼそりと、バイト中にそんなことを言った。
まだまだコーヒーの味はわからない。
しかし確実に、着実に、茜の辿った道を、信二も歩み続けている。
「なんか、人生楽しくなってきたな」
店内に流れるレトロ溢れるジャズミュージック。
その甘美な世界のなかで、信二はその日も、夜までしっかりと働いたのだった。
【続く】
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