第3話 炎の別れ
翌朝、飛び込んできた衝撃的な報せは、三人を保安官事務所へと駆けさせた。
──カーリーが、釈放された。
その真偽を確かめるべく、リンゴ、イング、そしてイーグルは事務所の前に辿り着く。
だが、そこで彼らが目にしたのは、思いも寄らぬ光景だった。
黒光りする毛並みの馬にまたがるのは、まぎれもなくカーリー本人。 その背後には、いかにも胡散臭い風体のならず者が二人、護衛のように立っていた。
「よう、保安官諸君! ……ああ、一人は賞金稼ぎだったな。ま、細かいことはいいか!」
カーリーは挑発するように笑顔を浮かべながら、両手を広げて見せた。
「俺もびっくりさ。まさかこんなに早く、シャバの空気を吸えるとはな──!」
その皮肉たっぷりの態度に、リンゴは目を見開いた。
カーリーの背後で、ならず者たちが嘲るように笑いながら馬の腹を蹴り、ゆっくりと歩み去っていく。
「それじゃあな、保安官ども! ま、これからも精々頑張ってくれや! ワハハハッ!!」
遠ざかるその背中── その声が町に響くたび、三人の胸の内は煮えたぎるようだった。
呆然と見送っていたリンゴの隣で、イングが拳を握りしめながら怒声をあげる。
イーグルは、何が何だか分からぬという様子であった。
「ビルの野郎に抗議してくる! こんなのが通るなんて、ありえねぇ……何故あいつが無罪なんか──!」
と怒りを顕にすると、リンゴはそれを制止するが、何処か不気味なほど冷静な様子で何かを呟いた。
「いや、やはりこういう事になったか……あのタリスマン、まさかとは思ったが……」
リンゴの口からタリスマンという言葉が漏れた瞬間、イングの眉がぴくりと動いた。
「……おい、それって──」
言いかけながら、彼は無意識にポケットへと手を突っ込む。
指先が触れたのは、硬くて冷たい、あの銀色のアクセサリー。
ラカーヌのポケットから転がり落ちた、あの得体の知れないこれを拾った瞬間のリンゴの妙な反応──あれがずっと気になっていて、彼はそれをリンゴへと見せた。
「やっぱり、これが何か関係してるのか……?」
イングがポケットから取り出したタリスマンを見て、イーグルはぽかんと口を開けたまま、それを見つめた。
「へぇ、綺麗ですねこれ。アクセサリーか何かですか?」
その反応は、ごく自然なものだった。
何も知らない者からすれば、ただの装飾品にしか見えない。
だが、リンゴは違った。
それを見た瞬間から、彼の顔には明らかな緊張と苛立ちが浮かんでいた。
「……それについて、大事な話がある」
と、リンゴは低い声で言った。
「イーグル、イング。今夜、酒場の裏部屋で落ち合おう。ここでは……話せない」
それだけ言うと、彼は背を向けて歩き出す。だがイングが呼び止めた。
「待て、リンゴ。一体このタリスマンは……」
しかし、リンゴは深刻な表情のまま、何も言わずにその場を離れて行く。
静かに遠ざかっていくリンゴの背中を、イングは目を細めて見つめていた。
(──あいつ、何を知ってる?)
胸の奥に、何か得体の知れない不安がじわりと広がっていくのを、彼は強く感じていた──
───────────────────────
それから、夜になる頃には、町には仕事帰りの鉱員たちが溢れ返っていた。
ざわめく通りを抜け、イングは旅立ちの予定を取りやめて、酒場の二階に部屋を借りていた。
グラスには、濃いバーボンがなみなみと注がれている。
窓の外を眺めながら、イングはひとり、琥珀色の酒をゆっくりと傾けた。
「……あいつは一体、どこまで知っているんだ」
なかなかリンゴが現れない中、イングの思考は次第にある一点へと絞られていった。
──カーリーと、ラカーヌの関係である。
馬車の襲撃。それは悲しいことに、このニューグロウズバーンでは珍しい出来事ではなかった。
だが、ラカーヌほどの悪党が、護衛が大勢いた馬車をわざわざ狙うものだろうか?
そして何より、あまりにも襲撃のタイミングが良すぎる事に彼は疑念を抱いた。
ラカーヌの死体とカーリーを保安官事務所へ届けた後の、あまりにも早すぎる釈放。
それに、まるでそれを予見していたかのようなリンゴの態度──イングは、自分の知らない“何か”が背後にあるのを感じていた。
「とにかく、リンゴとイーグルが来ないことには始まらねぇ……一体何してんだ、アイツらは」
コップのバーボンを一気にあおり、瓶に手を伸ばす。だが、もう空だった。
仕方なく、新しい酒を求めて酒場の一階へと降りようと立ち上がったその時──ふと異変に気づく。
いつもの酒場に響いているはずの、楽しげなざわめきが……どこか違う。
それは楽しさではなく、何かに事件があったかのような不穏なざわめきであった。
「……なんだ?」
イングは眉をひそめ、階段を降りる。
見渡すと、店の入り口の方で町の住人たちが次々と外へ走り出ていくのが目に入った。
何事かと立ち止まって様子を見ている男に声をかける。
「おい、何があったんだ?」
と、イングが問いかけると、男は興奮気味に声を震わせながら話し始めた。
「向こうの通りですげぇ大火事になってんだよ、どこの家だか分かんねぇけどこりゃ全焼じゃねえかなぁ」
イングは男の言葉を聞くや否や、すぐに外へと飛び出した。
辺りは騒然としており、群衆のざわめきと走る足音が入り混じる。
遠くの空には赤い炎と黒い煙が夜空を焦がし、リンゴの家の方角から煙が立ち昇っているのが見えた。
「まさか──!!」
彼はすぐさま、リンゴの家のある方角へと駆け出す。
まさか、彼の身に何かあったのではないか──
そう思いながらも、ただの杞憂であってほしいと強く願っていた。
だがその願いは、無情にも打ち砕かれる。
イングが息を切らして辿り着いたその場所には、昨日まで笑い声と団欒に包まれていたはずの家が、今や炎に包まれ、燃え盛っていた。
「どうなってやがる……!」
イングが目の前の光景に衝撃を覚えていると、聞き覚えのある声で、劈くような悲鳴が響いた。
「いやぁああっ!! 兄さん!!」
「あ、アニィさん危険です!」
野次馬たちの群れの向こうで、それは起きていた。
自宅が燃え上がる様を前に、顔面蒼白で絶望に沈むアニィ。
そして、炎へ飛び込もうとする彼女を、必死に肩を抑えて止めるイーグルの姿があった。
「アニィちゃん! イーグル! 一体何があったんだッ!?」
「い、イングさん!」
イーグルとアニィはすぐに彼の呼びかけに反応し、まずイーグルが口を開いた。
「そ、それが……リンゴさんがなかなか来ないので、様子を見に家に行ったら、もうこの状態で……」
続いて、アニィが涙をこらえきれず、震える声で訴える。
「兄さんが出かけようとした時、突然、窓から何かが投げ込まれて……そしたら、火が……。私は先に逃がしてもらったんですけど、兄さんは、まだ……!」
「なんだと……!」
イングは歯噛みしながらも即座に判断し、イーグルに叫んだ。
「イーグル! アニィを頼むッ!!」
「イングさん……!」
イーグルにアニィを託すと、イングは炎に包まれた宅邸へと迷わず飛び込んだ。
窓から飛び込んだ瞬間、凄まじい熱気が全身を襲う。
しかし彼は構わず、リンゴの部屋へと足早に駆けていく。
元々親交が深かったので、彼の部屋がどこにあるかは把握している為、迷う事無く炎の中を前進して行き、ついに部屋の前へと辿り着く。
「リンゴッ!!」
叫ぶと同時に、思いきり扉を蹴り破る。
破片と煙が弾け、彼は咳き込みながら室内へ飛び込んだ。
だが、そこでイングの足は止まった。
部屋の中央、倒れ伏す男の姿。
うつ伏せになったまま、シャツの背から血が滲み、床に赤い染みを広げている。
その光景を見て、イングは呆然となった。
「……リンゴ?」
燃え盛る炎の中、信じられない光景を目にし、彼は一瞬動きが止まる。
しかし、家屋が焼ける音に我に返った彼は、すぐさまリンゴの側へと駆け寄った。
しゃがみこみ容態を確かめると、リンゴは誰かに酷く傷つけられながらも、まだ微かに息をしていた。
「おい、しっかりしろリンゴ! 死ぬんじゃねえ!」
イングはなるべく傷に触れぬよう、そっと肩を抱く。しかし――認めたくはなかったが、彼の容態は明らかに悪い。ここから運び出しても、持たないだろう。
それでも諦めず肩を貸そうとした瞬間、リンゴがかすかに口を開いた。
「……イング、か?」
「……お、俺だ! リンゴ、喋っちゃダメだ!」
イングの言葉も虚しく、リンゴは残る力を振り絞り、懐から一枚の紙を取り出す。
「……これを、頼む……」
その手から血に濡れた紙を受け取ったのを見届けると、リンゴはどこか安堵したように微笑み、力なく腕を垂らした。
その瞬間、彼の全身から生気が抜けていくのを、イングははっきりと感じた。
「リンゴ……!!」
炎が軋む音の中、リンゴ・マクレディは静かにその生涯を閉じた───
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