第8話 博愛の町(中)

 町は活気に溢れています。

 赤ずきんさんが町を訪れてから五日、日課となった周囲の山や森の散策(というか索敵)を経ても、それは変わりません。


「平和ね…」


 どこか感慨深く、赤ずきんさんは呟きます。

 故郷の村と違い、多くの人に溢れ、その笑顔は笑顔ばかり。

 散策の結果、周囲の自然環境はやや枯れ気味というのが正直な感想でしたが、近くに川が流れ、地下水も出ており水源には困らず、町近辺の天候も安定しているためか、町の外縁の農地は豊作と言っても過言ではありません。

 食に困らない。

 これだけで、人々の不安は少なくなり、心に余裕が出ているのかもしれません。


 一方、赤ずきんさんはというと、もうそろそろこの町を離れようと思っていました。

 付近の山や森に入っていきましたが、狼の姿どころか、その痕跡すら見つかっていません。

 だから、もしあと数日見て回って何もなければ、次の場所に移動しようと考えていたのでした。

 実は、この町に何も問題がないわけではありません。


「おい、これ見てくれ」

「ん?なんだ、この跡は?」


 農地の外縁部で、青年たちが地面にしゃがみ込んでいました。

 作物が荒らされていたのです。

 全体からすればほんのわずかな、取るに足らない被害です。

 恐らくは野生の動物のもので、地面を掘り返されて根菜をいくらか食べられてしまいました。


「まぁ、これくらいならだいじょうぶだろう」

「動物だって生きているんだ。腹が減って、たまたまここにあったイモを食べたんだろう」


 そう言って、特に問題視もせずに笑い合っていました。


 そんなやりとりがあった翌日、六日目の夕方。

 今度はまた別の、葉物野菜でした。

 ですが、ここでも町の青年は笑います。

 おすそわけってやつだ。

 あいつらだって、生きるのに必死だろうからな。

 そう言っていました。



 事件は、その翌日に起きました。

 赤ずきんさんが散策から戻ってきた、夕暮れ前のことです。


「う、ぁぁぁっ⁉」


 少年の悲鳴が上がりました。


 赤ずきんさんは慌てて町を走ります。

 畑の中を駆け抜けて、悲鳴の上がった場所へとかけつけます。

 畑と畑の間に、腰を抜かした少年と、大きな猪がいました。

 少年はガタガタと震えて動けそうになくて。

 少年の何倍も大きな猪は、興奮した様子で少年を睨んでいました。

 緊張の空気。

 赤ずきんさんは自分の装備を――ローブの内側から短銃身化した猟銃を取り出します。

 臨戦態勢のために弾を込めたままにして、結局撃たずに毎日帰ってから弾と火薬を取り出していました。

 そんな、無為な行動に思えた準備が、今この瞬間、役に立とうとしています。

 少年と猪の距離は、ちょうどその猪が二頭入るかどうかくらいの至近距離です。

 畑の間を飛び出して、赤ずきんさんは少年と猪の間に割って入ります。


「ちっちゃいお姉――」

「黙って」


 少年に背を向け、赤ずきんさんは猪と向き合います。

 その手には、構えられた猟銃が。

 そして、ためらいなく引鉄ひきがねを引きました。


 ドォォン――!!

  ドォォン――!!


 少年は至近距離での轟音に目をぎゅっとつむり、反射的に耳を塞ぎました。

 再び目を開けると、目の前には赤ずきんさんのローブの赤、そして、その足元に倒れ伏す茶色い毛色。

 猪が、その場に倒れました。

 顔面に散弾を喰らい、首元にスラッグを喰らった猪は、しかしまだ死んでいませんでした。

 ふーふーと荒い息を吐きながら、血走った眼を向けています。


「ひっ」

「じっとしてて」


 思わず悲鳴を上げてしまった少年を振り返りもせずに、急いで銃弾を装填し、何度も何度も撃ち込みました。

 最後はナタを取り出して、慎重に猪の死角に回り込むと、躊躇なく、全力で、動かなくなった猪の首に向けて刃を振り下ろしました。


「おねえ、さんっ」


 少年は赤ずきんさんに抱きつきました。


「だいじょうぶ。もう、仕留めた、から」


 赤ずきんさんの声はやや呼吸荒く、しかし左手で少年の頭を撫でます。


「もう、だいじょうぶ」


 在りし日の記憶。

 狼に襲われた自分を助けてくれた猟師のおじさん。

 赤ずきんさんは自身の姿をその猟師に、少年をかつての自分に重ねました。

 記憶との違いは、嘗ての自分は全身傷だらけだったのに対し、目の前の少年は無傷であることです。

 それを、赤ずきんさんは内心、少しだけ誇らしく思いました。

 改めて、無力だった自分は力を持ったのだと自覚できました。


「おい、なんださっきの音は⁉」


 騒ぎを聞きつけて、町の人たちが集まってきました。

 赤ずきんさんに抱きつく、涙を浮かべる少年と、たくさんの銃弾を受けて息絶えた猪を見て、言葉を失っています。


「マリウスッ」

「お母さんっ」


 母親もやってきて、少年がそちらに向かって走り、抱きつきます。

 それを見た赤ずきんさんは小さく息を吐き、さてこの猪をどうするかと思っていると、


「何をしてるんだっ!!」


 怒号が上がりました。

 

「ああ、なんてむごい……」

「命をなんだと思っているんだ……」


 周囲の人たちも、それに同調します。

 たくさんの銃弾を受けた猪と、それをやったであろう赤いローブの少女を見て、町の人々は非難の視線を赤ずきんさんに向けています。


「仕方なかったの。わたしだって、無暗に殺すことをいいなんて思っていないわ」


 ここで撃っていなかったら、少年は猪に襲われていたかもしれない。

 少年の安全のためにはこうするしかなかった。

 赤ずきんさんは説明しますが、町民は聞く耳を持ちませんでした。


「銃を持っているんだから、空砲とかで追い払えただろ」

 農夫のおじさんが言いました。


「脅かして山に帰ってもらえばいいじゃないか」

 その隣に立つ一回り若い青年が口を開きます。


「こんな惨たらしく、何度も撃つなんて、あんた、殺すのを楽しんでいたんだろう」

 老人が体を震わせて、赤ずきんさんを指差します。


「ああ、なんてかわいそうに……」

 農婦が口元を手で覆いながら、憐憫の声を漏らします。


 この場のほとんどの人間が、赤ずきんさんの行動を非難しました。

 騒ぎを聞きつけてやってきたお留守番のタリアは、この四面楚歌の状況に絶句しています。

 タリアも動物を無暗に殺すのはいけないことだと思っていますが、状況から察するに、少年を守るために仕方なくやった結果だとわかります。

 少年の命と猪の命を秤にかけ、少年を選んだ結果なのだと。

 だから、赤ずきんさんが責められるのはおかしいと、非難の声に異議を唱えようと決心して、息をすっと――


「タリア、荷物、取って来て」

「あ、う、うん……」


 赤ずきんさんはフードで表情を隠しながら、群衆の中のタリアに向けて言いました。

 タリアは吸い込んだ息をゆるゆると吐き出して応じ、近くにいた少年とお母さんに声をかけて、家に預けていた自分と赤ずきんさんの荷物を取りに戻ります。


 しばらくして、荷物を回収した赤ずきんさんとタリアは、この町を出ました。

 すでに真っ暗になった空など気にせずに、町の近くで野宿をしました。

 これ以上こ町にはいられない。

 そう思っての決断でした。

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