使いかけのハンドクリーム

天ノ悠

第1話

「あ~あ。言っちゃいましたね」

 告白の返事の一言目は、予想外の言葉であった。


 まるで英語禁止ゲームで英語を言ってしまった時のような軽いセリフだった。

 電話越しに彼女は続けて言った。


「告白ってしたくなっちゃうもんなんですか?」

 僕は、答えることはできなかった。頭が真っ白になったからだ。ただ、理解していることは勇気を出した告白に望んだ返事がこないということだった。


「先輩とは長く友達でいられると思ってました。恋人になったらいつか別れがくるじゃないですか、だから長くお友達で居たかったです」


東京でも雪が降り始める季節、僕は失恋をした。


今から二年前、今日と同じ、雪が降り始める季節に僕は初めて彼女と出会った。



 当時の僕は大学二年生で新しいバイトを探していた。


 上京してから一年が経ち、不安だった一人暮らしにも慣れ、大学の授業、サークルでの活動、カフェでの接客にもすっかり慣れた。けれど人間慣れが来れば飽きがきて、家と大学とカフェを往復する日々に退屈していた。だから、刺激を求め新しいバイト先を探していた。


 バイトの中でも塾の求人はとても魅力的だった。高時給なうえに座り仕事っていうのに惹かれた。それに、人に物事を教えるのは得意だし、子供もどちらかと言えば好きだった。働きたいと思った一番の理由は、色んな子供達と関わるのは飽きがこないと思ったからだ。


 さっそく僕は、最寄り駅の塾に応募した。採用試験は面接だけではなく、筆記のテストもあった。急いで応募した僕は、筆記テストがあることを完全に見落としていた。面接だけだと思っていたのだ。


筆記テストは、主要五科目、小学校から高校までの問題が出た。高校から卒業して一年経っていた僕は、勉強の記憶がずっぽりと抜けていた。現役から一年離れただけで問題が全く分からなかった。ーー完全に落ちた。この時僕は、そう思った。


 筆記試験の後に面接があり、採用試験は終わった。筆記試験の結果を見て、後から合否を電話で教えてくれるそうだ。


 あまりにも筆記ができなかったので自分を慰めるためにホットココアを買った。それから家に帰り、落ちたことを覚悟していた僕は、ココアを飲みながら他の塾の求人を見ていた。

 この時のココアは、いつもより甘味を感じなかった。


 携帯で求人を見ていると、急に電話がかかってきた。

 驚いた勢いで携帯を落としそうになりながらも電話に出た。


「はい、もしもし」

「先ほど、面接したものですけど」


 塾から電話がかかってきた。合格の知らせだった。

 完全に落ちたと思っていたのですごく嬉しかった。

 飲んでいたココアも味を取り戻し、今までで飲み物の中で一番甘味を感じた。最高に美味しかった。


 こうして、僕は大学二年生の秋、塾で個別授業の講師として働き始めた。

 


 始めは、筆記試験で自分の学力に不安を感じていたが、授業する為の予習や生徒に授業をして教えていくうちに、勉強の勘を取り戻し、教えるのが楽しくなっていった。何より、テストの点が上がって喜ぶ生徒の姿が嬉しかった。


 不安なんてすぐに消え、日に日に生徒に会うのが楽しみになった。塾でのバイトにとてもやりがいを感じていた。

 

 大学と塾と家を往復する暮らしをしていたら、十二月末になっていた。

 昨年まで、毎年実家で年を越していたが、上京してから二度目の正月、僕は人生初めて家族以外と年越しを過ごした。

 

 その時のことは今でも覚えている。年越しは何となく家族と過ごすものと思っていたから友人と過ごすのは新鮮だった。四人で夢中でゲームをしていると、いつの間にか年を越していた。そして、そのままぶっ遊んで寝不足のまま初詣に行った。友人と過ごす正月はすごく楽しかった。けど、すごく楽しかった気持ちと同時に、家族と過ごしていない違和感、寂しさも感じた。実家に帰れるときは帰った方がいいかもね。



 そんなことを感じた年明けだった。

そして、新しい年を迎えて二ヵ月、僕は彼女と塾で出会った、


 その当時、彼女は高校三年生だった。私立大学の合格が決まり、高校を卒業するよりも早く、塾のバイトをするようであった。彼女は、高校を卒業するまでは個別授業をやり、大学生になったら集団授業の講師をするようだった。ちなみに僕は個別授業の講師だったので少しだけ接点はあった。


 接点はあれど、彼女と連絡先を交換したのは、初めて彼女と出会って一年も経ってからだった。きっかけは、帰りのタイミングが一緒になった時だ。世間話をしながら帰り支度をし、裏口を開けたら、大粒の雨が振っていた。


天気予報になかったにわか雨に彼女は困っていた。


 幸いにも折りたたみ傘をもっていた僕は、彼女を傘にいれ、駅まで送った。その時、初めて彼女としっかり話をした。


 会話はありきたりなものだった。塾に慣れたかとか、いつから塾にいるのかとかどこの大学かとか、そんな無難な会話だったと思う。そして駅で別れる際、何となくで連絡先を交換した気がする。


 この時期にもう一人仲良くなった子がいた。その子と僕が塾でチーフという役職を任せられたのがきっかけだった。その子は僕と全く真逆な性格だった。平気で遅刻はするし、すぐ人をいじるし、仕事もよくさぼっていた子だったけど、常に笑顔で周りを明るくしていた。意外にも人一倍優しい面もあった。



 チーフの仕事はめんどくさいことの方が多かったけど、この子とならまぁ楽しめた。途中、どうしたらいい教室になるのかというテーマで全国の校舎のチーフがプレゼンする大会があった。


 チーフの子はどうせやるなら楽しんでやろうと言って、真剣にやった。チーフの子の実家にお邪魔して泊りで練習するほど、真面目にやった。


けど、僕は練習する度になんでこんな真面目にやってるのか分からなくなっていた。時給も出ないし。


 そう思い始めた時、チーフの子はふと言った。

「私たちなんでこんなのに本気でやってるんだっけ?」

「だよね。なんでたかがバイトなのに原稿考えてパワポ考えてプレゼンの練習してんだろうね」

「よし、ゲームしよ。ボッコボコにしてあげる」

「じゃあ、負けた方お菓子代出すってことで」


 僕たちはこの日、寝ずにゲームをした。この馬鹿らしい時間は楽しかった。


 プレゼン大会は皆が真面目に発表していく中、僕たちは漫才形式でプレゼンした。これが逆に受けたのか僕たちはプレゼン大会で二位になった。


 正直、今でもなんでこんな大会があったのか謎だ。


 そうこう過ごしていると、上京して三度目の年を越えた。

 

 大学三年生の冬、就職活動が本格的に忙しくなる前、唯一の遊べる時間だった。けれどその頃、未知のウイルスが世界的に広がった。不要不急の外出が規制され、遊ぶ予定は全てなくなり、大学のサークルも活動中止となり、大学、塾の授業でさえリモートになった。僕たちは、急に人との繋がりを断たれ、いつパンデミックが終わるのか不安を抱きながら生活していた。


 娯楽施設のお店は締まり、飲食店、スーパーでさえも時短営業になった。感染拡大を防ぐためにも、自身の防衛をするためにも、マスクでの生活が必須になり各スーパー、ドラックストア、コンビニからマスク、消毒液が売り切れる事態に陥った。


 けれど、そんな状況になってもメリットが二つあった。就職活動が早く終わったことと彼女との距離が縮まったことだ。


 就職活動は、パンデミックの影響を受け、企業説明会も面接もすべてリモートになった。これがとても助かった。この頃、ちょうど親から連絡があり、祖母の寿命が少ないから看取り介護がしたいという話を受け、施設に居た祖母を実家での介護を手伝うために、僕は実家に戻ることを決めた。


 リモートでは、実家に帰る必要がなかったため、就職活動がすごく楽だった。


 未知のウイルスの感染条件が分かってきた六月頃、僕は就職活動を終えた。

 しかし、感染条件が分かったとて、相変わらず不要不急の外出は禁止され、お店も時短営業を強制されていた。けれど、密閉、密集、密接を避ける条件の上で規制が緩和されたものもあった。塾がそうだった。


 塾の授業は生徒との席の間隔を開ける、適度に換気する、フェイスマスクをするのを条件に、対面授業も行われるようになった。塾でのバイトが対面になったのはすごくありがたかった。今まで人との繋がりが断たれていたため、塾でバイト仲間達と話すのが憩いの場になっていた。


 個別授業の講師だけでなく、集団授業の講師ともよく話すようになり、以前では考えられないほど頻繁に、休憩室で会話が行われていた。


 そんな時に彼女とは仲が良くなった。


 塾で雑談している間に、彼女と共通の趣味があることが分かった。

 二人とも芸人が好きだった、彼女は特に芸人のファンで、ラジオも良く聞いていたみたいだ。


 僕もたまに、ラジオを聞く人だったのでオススメを教えてもらった。

 オススメされたラジオはすぐに聞いた。とても面白かった。


 僕は、すぐに彼女に感想を連絡した。それ以降、よく連絡を取り合うようになった。

 すっかり彼女おすすめの芸人の虜になった時に、たまたま近いうちにその人が出演する公演があることを知った。僕は、迷わず彼女を誘った。


 こうして、僕と彼女はデートに行くことになった。


 この時点でもう、僕は彼女のことが好きだったのかも知れない。


 好きなものについて一生懸命話す彼女は可愛くて魅力的だった。


 芸人の公演では、二時間同じ物を見てお腹を抱えて二人とも笑った。その後、ご飯食べに行った。公演以外にも身近な話もした。


「私人見知りなんですけど、先輩だと全然人見知りしないです。話しやすいです」


 僕は、その言葉が嬉しかった。


 その日を境に連絡だけではなく、塾でも良く話すようになった。塾終わりにも、時短営業のお店が閉店するまでの限られた時間で話すようになった。時間があえば、チーフの子も一緒にカフェで良く話した。そうしていると自然に三人グループで話すようになり、通話も毎日のようにした。


 ある日の夜、いつものように三人で電話しているときに彼女とチーフの子が提案をした。「そろそろ3人で遊びたくない?」


 少し考えながら、僕は了承した。


 けれど、未だパンデミックの影響で遊ぶ場所が制限されていた。そんな中、僕はボードゲームカフェを提案した。二人とも興味深々でボドゲカフェで遊ぶことになったがもう一人、人数がほしかった。


 だって女の子二人、男一人で遊びたくなかった。なんか街中でその組み合わせ見ると、なんでそうなってんのって思うんだもん。


 だから、僕はその時塾で仲が良かった、同級生の男の子を誘った。彼は自身が人見知りなことを懸念していたが、彼女とチーフの子が来ることを伝えたら食い気味で「行く!」と答えた。


この選択が誤りだと思ってもみなかった。

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