(5)

「皇太子妃さま、大丈夫ですか?」

「……大丈夫」

 どんな国でも、婚姻の儀式とは複雑怪奇でややこしいものらしい。両手を出すと言っても右からか左からかとか、下ろすようにか上げるようにかで違うのだから、頭の中がパンクしそうだ。

「お疲れの所申し訳ありませんが、二刻後にはお披露目の式典がございますのでご準備頂く必要がございまして」

「大丈夫分かってる……よっこらしょっと」

 こういうとシトリンには眉を顰められたが、ここにいる女官達は気にせずに流してくれた。蒼玉様が選んで下さった女官達は、大らかな性格らしい。

「せっかくの機会ですから、お披露目の衣装は皇太子妃さまの母国の衣装で、という事でしたね」

「うん。だから、選りすぐりのドレスを準備してきたわ」

 私のその言葉に、女官達が歓声を上げる。可愛い衣装や綺麗な衣装に興味を示す様は、西でも東でも変わらないらしい。

「そういえばサルティはどこに行ったのかしら。儀式用のドレスを着るとなると、流石に一人じゃ難しいのよね」

「サルティさんなら女官長と打ち合わせに」

「もうそろそろ戻られると思いますが」

 女官二人と話していたら、タイミングよくサルティが帰ってきた。侍女服でない彼女の姿はとても新鮮だが、月商帝国の女官服も様になっている。

「このドレスなのですね。懐かしい」

「お姉さまがお披露目パーティーで着てらっしゃったドレスだものね。あの頃のお姉さまほど背が高くならなかったから心配したけど、どうにか着られそうで良かったわ」

「低い分には丈を詰めればいいですから、割とどうにかしやすいですよ。むしろ、背が高くなられた方が調整難しかったかと」

「そういうものなのね」

「はい」

 会話をしながらでも、サルティは変わらずてきぱきとドレスを着せてくれる。肌着、靴下、ペチコート……久々の出番だ。

「ウエスト苦しくないですか?」

「何とか」

「よし、あと三センチは締められますね」

「待って待って、今で丁度だから何とかなのよ」

「着崩れ起こす方が困るじゃないですか」

「それはそうだけど……ひぎゃあああああ」

 悲鳴を上げる私を尻目に、サルティは容赦なくコルセットを締めていく。おろおろしだした女官二人を、安心させるように大丈夫と繰り返し宥めた。

 締め上げられたコルセットを叩いて落としどころを見つけている間に、サルティがドレスを着せて髪を結っていく。ウエスト位置のリボンを大きめに結ってもらって、無事お披露目のドレス姿が完成した。

「やっぱりドレスはしっくり来るわね」

「そりゃ十六年着てらっしゃいましたからね」

「同じように着続けていたら、月晶帝国の服も馴染んでくるかしら」

「そうだと思いますよ……どうしたの? 二人とも」

 サルティの言葉を受けて、私も女官二人を振り向いた。先ほどまではキラキラした瞳でドレスを見ていた彼女達だが、今は困惑を映した瞳をしている。

「あの、上に何か羽織らないのですか?」

「何も着ないわよ? ドレスだもの」

「ええと、でも、あの……それだと流石に……」

 明らかに狼狽している二人だが、どうしてそんなに困っているのだろう。ドレスのサイズはぴったりだし、引きずらないように丈も調整したからおかしくはないはずだが。

「準備はお済みですか?」

 何とも言えない空気の中、呼びに来てくれたらしい女官長の声が響いた。これ幸いと返事をし、彼女にも中に入ってもらう。

「失礼致しました。まだお済みではなかったのですね」

「終わったわよ? いつでも出られるわ」

「まだでございましょう? 上着はどちらに?」

「そんなの無いけど」

「ご冗談を。肩が出ているではございませんか」

「ドレスだもの。肩は出てるものよ?」

日常着のドレスならまだしも、結婚式の後のお披露目ドレスなのだから袖がないタイプが一般的である。最近は袖ありもあるらしいが、お姉さまと同じドレスが着たかったから貸してもらったこのドレスは、エスメラルダの一般例に準じた袖なしタイプだ。

「なりませぬ! 皇太子妃ともあろうお方が、遊女みたいに肌を晒すなんて!」

「え……え?」

「上着を見繕ってきますから、一歩も部屋から出ずにお待ち下さいませ! そんな恰好を誰かに見られでもしたら、皇太子様が何とお言いになるか」

「ちょっと待って下さい! こっちの言い分も聞かずに横暴では!?」

「黙らっしゃい! そんな恰好で人目に晒されれば、悪く言われるのは皇太子妃様の方なのですよ!」

「二人とも落ち着いて……」

 サルティの言い分も分かるし叫んでいる女官長に思う事が無い訳ではなかったが、これ以上騒がしくするのは迷惑ではなかろうか。とは言え何が問題なのかもよく分かってない状況なので、どうすれば良いのか見当もつかない。

どうしたものかと困っていたら、ふいに廊下が騒がしくなった。

「一体何の騒ぎですか?」

 そう言って、一人の女性が入ってきた。赤い髪に赤い瞳……いらっしゃったのは、側妃である珊瑚様だった。


  ***


「……なるほど、そういう事」

「国によって事情や風習は違うと思いますが……」

「そうね」

「こちらの風習や文化の事も出来得る限り調べてから参りましたが、足りなかったようです。申し訳ありません」

「いえ……こちらこそ御免なさいね。勝手にこの国の常識ではかって貴女達の服を貶めるような事を言ってしまったのだもの」

「……お気遣いありがとうございます」

「でも、普段はああまで騒がない女官長があれだけ絶叫していたくらいには、この国では肌を出すというのが一般的な事ではないの」

「なるほど」

「この一か月暮らしていて思っただろうけれど、この国の服は男性でも女性でも長い袖が多いでしょう? その上で、下の服もくるぶしまで覆うような丈が主流だから顔と手以外は基本見えないのね」

「言われてみればそうでしたね。夏場は暑そうだな……と思っていました」

「夏はもう少し薄い生地を使うから案外大丈夫よ。でも、特に今回みたいな祝い事の時は、普段よりもさらに着飾っていくものだから余計に肌は隠れていくの」

「……では、ドレスは辞めた方が良いのでしょうか?」

 本当は着たいけれど。お姉さまがエメ兄さまの妃となった、と知らしめた時の晴れの服を、私も自分の晴れの日に着たかったけれど。ここまで大事になってしまうのならば止めた方が良いのかもしれない。

「その状態のまま出るのは、やっぱりお勧めしないわね。でも、上から何か着ても良いなら着替える必要はない。要は、肩を出していなければ問題ないの」

「顔と手以外を見せなければ良いという事ですね」

「それでしたら、はい。国でも冬場はショールを巻いたりコートを羽織ったりしますし……着る事自体は問題ありません」

「分かった……ちょっと待っていて」

 そうおっしゃった珊瑚様は、いったんこの部屋を出て行かれた。そして、しばらくして再び戻っていらっしゃる。

「これを貸してあげる。色とかも問題ないと思うわ」

 差し出されたのは、金の糸で豪華に刺繍が施されている青い羽織だった。夜空をそのまま映したかのような色合いで、豪華ではあるが派手派手しい印象はなくて品がある。

「ありがとうございます!」

「ドレスが薄いパープルだから色も合いますし……少し着方をアレンジすれば大丈夫と思います! 早速着付けますね!」

「お願いね、サルティ!」

 言うや否や羽織を受け取ったサルティは、私に羽織を被せてウエストのリボンやピンを使って器用に着せてくれた。即席にしては十二分な仕上がりである。

「本当にありがとうございます、珊瑚様。何とお礼を言ったら良いか」

「気にしないで。あの皇太子殿下が漸く連れてきたお妃さまなのだもの。無礼をしたら罰が当たるわ」

「……そうなのですか?」

「ええ。ご自身の責務はきちんと理解されていたみたいだけれど、いくつになっても浮いた話が出ないし花街にも行かないし、一部では男色趣味なんじゃないかって噂されていたくらいだもの」

「……そうなのですね」

 確かに、自分は側妃を娶るつもりはないとおっしゃっていたが。あれはあの時の私を落ち着かせるための言葉で、本心ではないかもしれないと思っていたのだ。でも、今の話が本当ならば、あの言葉も本心なのかもしれない。

「そんな訳だから、貴女は貴重な、あの皇太子殿下を射止めた女性としても有名よ。慣れぬ異国の地で風習も違って大変とは思うけれど、どうか見放さないであげてね」

 珊瑚様はそれだけおっしゃって、そのまま会場へと向かわれた。小さくなっていく背中を見届けた後で、自分で自分の頬を張る。

「何はともあれ、これで大丈夫ね! 急いで会場へ行きましょう!」

 気合を入れるように張り上げた私の声に、みんなが一斉に返事をした。

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