公爵令嬢の外つ国婚礼物語
吉華(きっか)
プロローグ
喧噪の中を抜け、壁の方へと向かう。並べてある椅子の一つに座り、ゆっくりと目を閉じた。
(……やはり晩餐会は苦手だ)
皇太子という立場上、華やかな場に出席する機会は多い。今回このエスメラルダ王国にやって来たのだって、新王の戴冠式に参加するためだ。道中一か月はかかるこの国へ、それでもやって来たのはこの国が数少ない西の大陸の同盟国だからである。
同盟国とは言え物理的距離が距離なので、普段の交流は多くない。だから、今回はまたとない機会だという事で皇帝直々に命を受けやってきた。各国の要人への挨拶は無事に終えたので、頃合いを見て退席するとしよう。
「具合が良くないのでしたら、医者を手配致しましょうか?」
気分が落ち着いてきた頃合いに、下の方から鈴の音のような声が聞こえてきた。誰だろうかと思って目を開くと、そこにいたのは青緑の髪に黄緑色の瞳をした少女。戴冠式に参列しているのを見た記憶があるので、この国のご令嬢だろうか。
「……大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
「そうですか? それにしては、あまり顔色が良くありません」
黄緑色の瞳に憂いが乗った。成程、彼女は俺を案じてくれているのだ。よく見ると、右手には水がなみなみと入ったグラスを持っている。その状態で屈んでこちらを見上げているというのだから、器用な事だ。
「人酔いする質なのです。こうやって休んでいれば大丈夫ですので」
「そうですか……分かりました。大事無いなら良かったです」
目の前の少女が、緩やかに口角を上げて笑った。柔らかい微笑みが、心の奥の方へじわじわと染み込んでいく。
「貴女は、確かこの国のお方でしたね」
「はい。わたくしはマリガーネット・ランウェイ、新王妃であるスピネル王妃の妹でございます」
「……スピネル王妃の?」
戴冠式で王妃本人を見たが、確か紅緋色の髪に栗色の瞳をしていた筈だ。エメラルド王の方が色合い的には似ているから、そちらの方の血縁だと思ったのだが。
「ああ、私達は異母姉妹なんです。それぞれ自身の母に似たので、色彩等の見た目は結構違いますね」
「そうでしたか……不躾な真似を致しました、申し訳ありません」
「お気になさらないで下さい。こうしてお会いするのは初めてですから、驚かれるのも無理からぬ話です」
にこにこと人好きのする笑顔で答える彼女の言葉に驚いた。こうしてお会いするのは初めてだから……そういう言葉が出てくるという事は。
「もしかして、私の事をご存じですか?」
彼女の瞳を見つめながら問い掛ける。憂いの無くなった黄緑が、ぱちぱちと瞬いた。
「ええ、勿論。我が国にいらっしゃった、大切な来賓のお一人ですもの」
「……そうですか」
肯定と共に紡がれた言葉が、何故かちくりと胸を刺した。俺は来賓の一人……別に、彼女は何も間違った事は言っていない。それなのに、どうして。
「では改めてご挨拶致します。私は月晶帝国の皇太子、劉蒼玉と申します。宜しくお願いしますね」
「こちらこそ。わたくしはエスメラルダ王国の公爵家の一つである、ランウェイ家の次女マリガーネットでございます。宜しくお願い致します」
目の前ではにかんだマリガーネット嬢は、そう言って立ち上がると優雅に一礼した。揺れた髪から香油らしき香りがして、どきりと心臓が跳ね落ち着かない心地になる。それなのに、どうしてか目が離せなくて……彼女が頭を上げるまでずっと見つめていた。
「手に持ってらっしゃるのは水ですか?」
気を紛らわせたくて、ふと思いついた言葉を口にする。唐突な流れではあったが、マリガーネット嬢は眉一つ寄せずに笑顔で答えてくれた。
「そうです。レモンを絞って入れてくれたので、さっぱりしていて美味しいですよ」
「檸檬水ですか。確かに、料理の合間に飲むには良さそうです」
「お持ちしましょうか?」
「ああ、いえ……自分で取りに行きますので大丈夫ですよ」
「来賓の方のお手を煩わせる訳にはいきません。持ってきます!」
言うや否や彼女は勢い良く後ろを向いた。なみなみと檸檬水が注がれたグラスを持ったまま。
「きゃっ!?」
グラスから零れた檸檬水が、容赦なく彼女のドレスに掛かって染みを作っていく。どうしたものかと思っていたら、薄緑色の髪と目をした女性が近づいてきた。マリガーネット嬢よりもシンプルなドレスを着ているので、女官の一人だろうか。
「マリガーネット様!?」
「ごめんサルティ、零しちゃった……」
「レモン水なら落としやすいから大丈夫ですよ。以後お気をつけ下さいね」
「はーい。でも、見つかったのがサルティで良かった」
「そんな事言ってたらシトリンさんに怒られますよ? そのままにしていたら冷えてしまうかもしれませんし、着替えてきて下さい」
「分かったわ……あ、私の代わりに蒼玉様へお水を持って行ってくれる?」
「かしこまりました」
てきぱきとマリガーネット嬢の状態を確認していたサルティ嬢は、一礼してからこちらを離れた。サルティ嬢を見送ったマリガーネット嬢も、くるりとこちらを振り返る。
「申し訳ありません。一旦失礼致しますね」
「大丈夫ですよ。お気になさらず」
「もし宜しければ、是非料理の方もお食べ下さい。料理長の力作が勢ぞろいですので!」
そう言って朗らかに笑う彼女は、とてもとても眩しかった。
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