04 試され、応え、反発し

 専従加術士は基本、主となる皇族の元で生活を送る。ここまで許されるには、能力だけではなく身元や過去の経歴など厳重な精査を重ね、瞭然たるものにしているからだ。


 このときばかりは、太白家の老夫婦の息子に成り代わったのは正解だと感じる。


 加術士は味方であれば力強い存在だが、邪な考えを持って皇族に近づき取り入るような者ではけっしてあってはならない。いわば加術士自身の情報を皇族に明けわたし、一族すべてを人質にされている状況に置かれているのが実態だ。


 持ち込める物も限られており、事前に入念に調べられる。必要なものはすべて皇族側で用意してもらえるが、春咏は、術に使う道具だけで十分だった。なんならこんな広い部屋も必要ない。


 専従加術士として、仕える主が何者かによって呪術を受けないよう細心の注意を払い、結界や護符でその身を護る。星を詠んで吉兆を占い、災いを除けて主をよりよい方向へ導くのも役目だ。


 ひとまず白雉殿の中を偵察がてら見て回るか。春咏がそう考えたときだった。


「歓咏殿」


 名前を呼ばれ意識を向ける。声をかけてきたのは乾廉の側近、慶雲だ。年齢は春咏と同じくらいか。乾廉以上に嫌悪に似た侮蔑を向けられている印象だ。それは加術士に対するものなのか、春咏自身に対するものなのかまでは判断できない。


 さり気なく探る目つきで慶雲を見る。すると慶雲は、反対ににこりと微笑んだ。続けて彼は液体の入った盃を春咏に差し出す。


「こちら、本日華楼宮に輿入れなさった家の蝶艶ちょうえんさまから献上された品です。故郷で作られる貴重なお酒だそうで。乾廉さまに献呈する前に毒味をお願いできますか?」


 藪から棒とはまさにこのことだ。そもそも主のためとはいえ毒味は加術士の役目ではない。それを知らない慶雲でもないだろう。


 案の定、彼は皮肉めいた笑みを浮かべた。


「いえね、素晴らしい能力をお持ちの加術士さまにこんなことを申し上げるのも失礼ですが、過去にはこの瑚家に禍をもたらそうとして族滅したところもあったでしょう?」


 春咏の眉がピクリとつり上がる。慶雲が、話題にしているのは汪青家の件だ。彼は春咏の正体についてなにか勘づいているのか。


 春咏の睨みを効かせた視線を慶雲はものともしない。


「あれから専従加術士に対する警戒も強まりまして。他の加術家の皆様には迷惑以外のなにものでもないでしょうが……」


 そこで合点がいく。つまり彼は試しているのだ。新しく乾廉の加術士となった人間が信用に足るのかと。


 いわば踏み絵だ。主のために命を掛けられるか、手っ取り早い方法で様子を見ている。


 断っても問題はない。そもそも毒味は加術士の仕事ではないのだ。しかし、それで彼は納得するのか。すでに抱いている不信感を助長させるのは避けたいが、実際なにが入っているのかわからない。即妃の差し入れもどこまで本当の話なのか。


 術を使えばそれらは判明するが、慶雲が求めているのはそういう話ではないのだ。


 逡巡したのち、春咏は口元の布に指をかける。加術士は術を唱える際、相手に見破られないよう口を隠すのが常だ。


 露わになった口元を見て慶雲の心臓は跳ねた。細い輪郭の線に染みひとつない色白の肌、淡い桜色を乗せた薄い唇になんとも言えない気持ちになる。


 これが男なのだから加術士はやはり恐ろしく、人を惑わす存在だ。そう思っている間に、目の前の相手は盃を受け取り、端に口をつけた。


 あまりにもためらいなく優雅な動きに慶雲は目を見張る。もう少しごねるか拒否の姿勢を見せるかと予想したのだが――。


「なにをしている?」


 そこへ突然現れた人物に慶雲は息を呑み、春咏は無視をして傾けた盃の中身を飲み干す。すぐさま口元を覆い、現れた乾廉の方を向いた。


「少なくとも即効性の毒はないようです。遅効性の可能性を考慮するなら、しばらく様子を見ますか?」


 冷静に尋ねたが、これは慶雲に訊くべきだったのか。乾廉は眉をひそめる。


「歓咏」


「なんでしょうか?」


 気迫に満ちた乾廉に、春咏は涼しげな表情で返す。


「毒味は、お前の……加術士の役目ではないはずだ」


 彼の言い分に春咏は内心でため息をついた。


「専門ではないので、信頼性に欠けますね。お役に立てず申し訳」


「そういう話じゃない!」


 春咏の話を遮る剣幕。自分に会ったときから、どこか冷めた印象で興味なさそうな面持ちだったこの男のここまで激しい感情の揺れを春咏は初めて見た。


 とっさとはいえ声を荒げて乾廉も思うところがあったのか、春咏から視線を逸らし冷静さを取り戻す。


「慶雲には俺からよく言っておく。しかしお前も簡単に言うことを聞くな。自分を大切にしろ」


 春咏の胸の奥がすっと底冷えする。凍てついて感覚がなくなるのと似ていた。


「恐縮でございますが、乾廉さまは皇族としてのご自覚をもう少しお持ちになったほうがよろしいかと」


 口を衝いて出た言葉は、ほぼ無意識だった。


「なっ!」


 慇懃無礼さを纏う発言に先に反応したのは慶雲で、乾廉本人は虚を衝かれた顔をしている。


 乾廉の瞳を春咏は真っ直ぐに見つめた。


「あなたの態度や言葉ひとつで、大勢の者の運命や命が左右されるのです。綺麗事や偽善を口にされる前に、その重みをよく考えるべきかと」


「歓咏殿、不敬! 不敬です! 誰に向かってそのような口を」


 慶雲の非難めいた叫び声に、春咏は口角を上げる。


「では、私は本来の役割を果たすため、失礼します」


 言い終えるや否やその場を一瞬にして後にする。慶雲は憤慨し、乾廉は呆然と春咏のいた場所を目に映していた。

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