落ちていた人形

 落花とのデートの日から、一週間ほどが経過しただろうか。

 その間に特に変わったことや事件などが起きることもなく、俺は通常通り、ライカのメンテナンスや訓練など、日々のルーチンワークに従事していた。

 しかし、だからだろうか。

 デートの日の最後、俺は別れ際に落花に言われた言葉を、何度も思い出してしまっている。


 ――羨ましいけど、嫌いだ。


 落花は自分のことを、人間になれない機械だと言っていた。

 天神の傍に居れるよう、『人間』を学習していたのだと。

 であるとするならば、最後の彼女のあの言葉は、彼女の中の何が言わせたのだろう?


 あれもまた、学習したロジックに準じて、『人間の落花ミサならばそう答えるべき』と判断して、口を開いたに過ぎないのか?

 それとも、落花自身も気づかないうちに、彼女の望む『人間』に成ったのだろうか。


 わからない。

 答えのない哲学問題を解かされている感覚だ。


 落花は人間になりたがっている。

 機械ではなく、人間に。

 しかし、機械と人間の明確な差とは、なんだ?


 意識の有無か、それとも魂の有無とでも言うのか。

 いや、そんな存在すら証明できないようなものを差というのは、いささか強引に過ぎる気がする。

 では、何なのだろう?


 ひょっとしてそれがわかれば、ライカのことも、きっと――。



「おい、ニッパー」



 ふと、そんな声が聞こえた。

 その瞬間、意識が自身の思考の迷路から、急激に現実へと引き戻されていく。


 目の前には、見慣れたライカのコクピットがあった。

 灰色に閉ざされた空と、キャノピィに打ち付けられる雨水。

 なかなかに激しい雨の下を、飛行していた。


「何をぼうっとしてるんだ? らしくないぞ」


 先ほど俺を呼びかけた声の主が、再び無線に入る。

 駆藤だ。


「大丈夫ですか、ニッパーさん? 何か気になることでも?」


 と、別の声。

 レイが、俺にそう聞いてきた。


「……いや、すまない。少し考え事をしていた」


 ひとまず彼女らにそれだけ答えて、俺は自分の状況を思い出していた。

 そうだ、今はレイ、駆藤、そして大羽の三人と編隊を組んで、偵察任務の真っ最中だったのだ。


 俺たちが所属しているアジア圏第三ラヴェルでは、定期的に特定エリアに対しての偵察が行われている。

 ラヴェルのレーダーでは対処しきれないところ。特に、過去に人知れずランバーが潜んでいたような場所が対象だ。


 この偵察は他の任務に比べて危険度が低いために、実戦部隊に配備されて間もない新人が、半ば訓練目的でアサインされることが多い。

 基本的には新人が一人か二人、万が一のためにベテラン隊員が一人、そしてAWACS要員が一人、という編成で行われる。


 今日のレイと駆藤に大羽という構成は、まさにそれに準じたものと言っていいだろう。

 もっとも、新人――というより、特殊な実験要員として戦闘機がいるので、スタンダードとは少し外れるが。

 兎にも角にもつまり、今日はそんな偵察任務に参加し、あいにくの雨に見舞われて、今に至る……というわけだ。


 ひとまず、今のところは会敵なし。レーダーに感なし。

 雨で見通しが悪いが、クリア。

 そんなところだった。


「なんだ、ミサのやつとなんかあったのか? この間のデートしくったか?」


 と、駆藤が聞いてきた。

 なんというか、考えていたことをほとんど言い当てられたような気分になって、俺はそれに、とっさに答えることが出来なかった。

 彼女の妙に鋭いところというか、ぴしゃりと人の考えを言い当てるこの技能は何なのだろうか。

 これこそが落花の望む人の心を持つ、人間の能力だというのか?

 ……いや、なんだかこれは少し違う気がする。


「え、デート失敗しちゃったんですか!?」


 と、驚いた様子で聞いてくるレイ。

 声が若干上ずっているのは何故なのか。


「……呆けていた身で言えた義理じゃないが、任務に集中させてくれないか?」


 どうにも回答に困り、俺ははぐらかすようにそう言った。

 というのも、あれを失敗と呼べばいいのかすら、俺にはわからなかったから。

 説明するにはあまりにややこしく、少々面倒だった。


「ニッパーの言う通り。任務中にあんまりお喋りするもんじゃないよ」


 と、無線越しに大羽がそう言った。

 彼女はそのまま続ける。


「特にレイ。これはアナタの実践訓練も兼ねているんだから、気を引き締めて」

「う……ご、ごめんなさい」


 大羽に諫められ、レイはわかりやすく落ち込んだ声を出す。

 レイが他のベテランに叱られるという光景は、なんだか妙に久しぶりに見た気がした。


「別にいいじゃないか、リリア」


 すると、駆藤が割って入る。


「そもそも、レイは初任務から立て続けにランバーとの連戦をこなしてきたんだぞ? 今更、こんな形式ばった偵察任務なんか何になるっていうんだ」


 と、駆藤は大羽にそう返した。

 ただまあ、彼女の言うことも一理ある。


 実際のところこの偵察任務では、ランバーに会敵する可能性はほとんど無いと言っていい。

 ランバー側も学習しているのか、わざわざ撃墜記録がある場所に、考えなしに突っ込んできたりはしないようだ。

 もはやベテラン顔負けにまで実戦経験を積んできたレイにとっては、今更大した経験にはならないだろう。


「そうやって慣れてきたころに油断して、命を落とすフェアリィだっているんだよ。それにランバーを倒すだけがフェアリィの役割じゃない。人命救助や災害救援だってするんだ。ヨーコも授業で聞いたでしょ?」

「それがくだらないっていうんだよ」


 大羽の言葉に、しかし駆藤は納得がいかないようで、不機嫌そうに言い返す。


「フェアリィもSUも、ランバーを殺すために造られた。ならランバーを殺してればいいじゃないか。それが存在意義のはずだ、違うか?」

「……そんなの、兵器と変わらないよ」

「変わらないから、なんだっていうんだ? 自分のアイデンティティが何だとしても、やることは同じだろうが。高いところに居すぎて忘れたか?」

「ッ……それは、ヨーコだからそう言え――」


 と、大羽は言い切る前に、ハッと口を噤んで、息を呑んだ。

 まるでしまったとでも言うような、そんな感じ。

 それに対して、駆藤は何も言わない。

 ここからでは前を飛んでいる彼女の後姿しか見えない故に、その表情を伺うことはできなかった。


「……ごめん」

「……いや、いい、私も言い過ぎた」


 それから少しの間、静寂。

 間もなくして、大羽が口を開く。


「索敵に戻る」

「了解」

「り、了解!」


 その言葉に駆藤とレイがそれだけ答えて、一旦会話が終了した。

 何と言えばいいのか、あんな風に突っかかる大羽を見るのは初めてで、なんとも意外だと思った。

 普段は天神と同じか、それ以上にウルフ隊のブレーキ役に徹した立ち回りをしているのに。

 何か、駆藤に思うところがあるのだろうか?


 ……いや、違うな。

 こんなこと、考えるだけ詮無いことだ。

 いくら考えたって、駆藤や大羽の脳内でも覗けない限り、その解を知ることなどできやしない。

 それに解を知ったところで、俺には関係のないことだ。

 気にするだけ無駄というものだろう。


「に、ニッパーさぁん……」

「……なんだよ」


 と、思っていた矢先、何やらレイが情けない声で俺を呼んできた。


「この空気で飛ぶのきついですよ……何とかなりません?」

「雨だから仕様がないだろ。少し雲の上に行ってみたらどうだ? 空気は薄いが澄んではいるぜ」

「そういうことじゃないですって! ていうかもうわかっていってますよね!?」


 まあ、レイの言う通り、彼女が言っているのは天気のことではなく、このぴりついた雰囲気を何とかしてくれという意味だというのは、なんとなくわかっていた。

 というのも、レイが駆藤と大羽に聞こえないよう、わざわざ個別回線プライベートチャンネルに切り替えてきたことから推測したに過ぎないが。


「すまんがな、相談するにしても絶対人選を間違えてるぞ。俺に対人能力は期待するなよ」

「うぅ……でも、この空気であと数時間耐えるの嫌すぎますって」

「……まあ、チームワークの訓練の一環ってことで」

「他人事みたいに……」

「他人事だろうが。俺にとっても、アンタにとっても」


 そう答えると、頬を膨らませるような音が、レイから聞こえた。


「最近ちょっとは変わってきたかなと思ったのに、相変わらずですね」

「そうか。ご期待に沿えずすまないな」

「むぅ……」

「ま、ランバーでも来れば、いつも通りの二人に戻るさ。戦闘に私情を持ち込む程考えなしでもない。そうだろ?」

「……もういっそ、弱っちいのが一機くらい来ませんかね?」


 よっぽど今の気まずい空気から逃げたいのか、レイはそんなことを呟いた。

 天神辺りが聞いたら怒りそうな言葉だな、なんてことを思いながら、なんとなしにレーダーに目をやる。


「……なんだ?」


 レーダーを見た次の瞬間、その画面上に、黄色い点が表示される。

 それとほぼ同時に、警告を示す電子音がヘルメットに響いた。


 IFF UNKNOWN


 黄色い点には、総文字が表示されていた。

 敵機?

 どういうことだ。なんで大羽は気づかない?


「どうしました?」


 俺の声を不思議に思ったのか、レイがそう聞いてくる。 


「少し待ってくれ。オープンに切り替える」


 この事態を全員――特に大羽に伝える必要があると判断し、無線の回線をウルフ隊の共有回線に切り替えた。

 回線変更を確認し、無線に声を当てる。


「ドギー1からウルフ4、聞こえるか」

「こちらウルフ4。感度良好。どうしたの?」

「こちらのレーダーで所属不明機を確認した。そちらで確認できないか」

「え?」

「なんだと?」


 俺の言葉に、大羽だけでなく、駆藤も驚いた声を上げる。

 一瞬の間が空くも、大羽は答えた。


「いや、こっちには何も映ってない。雨風のエコーじゃなくて?」

「少なくともエコーじゃない。ライカのIFFにも引っかかってる」

「位置は?」

「……距離30ノット、ヘディング021。エンジェル・ゼロ。この位置は海岸か。制止してる」


 エンジェル・ゼロ……つまり、空を飛んでいるのではなく、地上に接地している、ということだ。


「地上に……? 地対空のランバーかな?」

「確かめるしかないだろ。レイ、ついてこい」


 大羽の言葉に対し、駆藤がそう言った。


「う、ウィルコ!」


 レイがそう言った次の瞬間、二人はSUの翼を翻し、急激に高度を下げていく。


「リリアとニッパーは空の敵に備えてくれ。目視会敵タリホーになり次第、連絡する」

「了解」

「了解。ヨーコ、気を付けて」


 駆藤の言葉に、俺と大羽はそれだけ答える。

 大羽が言葉を言い終えるころには、既に駆藤とレイは雨の中に消え、その姿は目視では完全に見えなくなっていた。


 しかし、なぜライカのレーダーには映って、大羽は感知できなかった?

 言うまでもないが、大羽が身に着けているAWACS用のSUは、一等性能の良いレーダーを積んでいる。

 ライカも戦闘機にしては高性能なものを装備しているが、それにしたって『戦闘機にしては』だ。

 索敵を最優先目標として作られたAWACSのレーダーには、当然性能は一歩も二歩も下がる。


 ではなぜ、ライカにだけ感知できた?

 ここに映っている、こいつは一体……。


「こちらウルフ3」


 と、その思考を遮るように、駆藤から無線が入った。

 彼女は続ける。


「所属不明機を確認した……が、何と言えばいいのか」


 だが、妙に歯切れが悪い。

 まさに、対応に困っている、といった感じだ。


「何があったの? 攻撃は?」

「こ、こちらウルフ5。こちらは攻撃を受けてません」


 大羽の問いに、レイがそう答える。

 こちらも駆藤と同様、今の事態に困惑しているような、そんな声色。


「何があったの? もしランバーなら、ラヴェルに連絡を――」

「ランバーじゃない。が、連絡は必要かもな」

「え?」


 駆藤の言葉に、大羽はそんな声を上げた。

 声こそ出さなかったが、俺も大羽と同じ気持ちだ。

 ランバーでないなら、一体なんだというのか。

 そう思っていると、駆藤はその答えを、すぐに口に出した。


「人間だ……いや、違うな。この言葉は正確じゃない」


 駆藤はため息を吐いて、言葉を続けた。



「旧型の『ホムンクルス』……まだ何のデータも入っていない、真っ新な自動人形オートマタだ」


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