お洋服を買いに行こう

 桂木レイという少女は、ごく平均的な感性の持ち主だ。

 少なくとも本人は、そう思っている。


 好きなものは恋愛モノの漫画、ドラマ、はたまた映画。

 ヒロイン役の女優に憧れ、使っている化粧品や着ている洋服を雑誌やネットでリサーチしては、その値段を見て溜息をはく。

 現在もそういったことをルーティンにしている少女であった。


 だがその平凡さに反して、その半生は波乱万丈と言って差し支えなかったと言える。

 小学生の頃に両親が蒸発し、親戚は皆引き取ることを嫌がったために、子供であるうちから、シズクと二人で自立することを余儀なくされた。


 ただ幸いなことに、生活できるだけの金はあった。

 シズクが高校生の頃にその才能を企業に見出され、早期に開発職に採用されたことで、定期的にサラリーを得ることができたからだ。


 とはいえ、シズクが特別高給取りというわけでもなかったし、いつも帰りも遅いため、家事や家計簿はもっぱらレイに任せられていた。

 そういった事情もあり、同年代の子供たちのように、どこか遊びに行けるような時間も資金もなかったのだ。


 こと恋愛ごとに関しては、特にその影響が顕著に出たといってもいい。

 告白も何度かされたが、色々と余裕がないことを理由に全て断った。


 興味がないわけではなかった。むしろ憧れていた。

 告白された日には、断った罪悪感を抱きつつ、このまま一生、誰とも付き合ったりできないのだろうか。

 なんてことを考えたりもしたものだった。


 そんな日々を、フェアリィの適性が発覚するその時まで、繰り返し過ごしていた。

 フェアリィ学園は当然、生徒が全員女子なこともあり、余計色恋からは遠ざかってしまったかな、なんてことをレイは当時思っていた。


 女の子同士で――などということも考えないでもなかったが、レイには今ひとつピンと来るものがなかった。

 それに加えて、同年代の雲黒という少女を普段から見ていることもあり、あのノリについて行けそうにないというのが、彼女の正直な感想だ。


 こりゃあ少なくとも、大人になってフェアリィを卒業するまでは、ロマンスなんてありそうもないな――なんてことを、漠然と彼女は考えていた。


 だから、わからなかった。

 急に異性ニッパーと二人きりになったこの時、どう対応するべきかが。





「このルートだ」


 現在では珍しい、紙媒体の館内マップを見ながら、ニッパーはレイに話しかけていた。


「ここから一階上に上がるのが、一番雑貨店に近い。これでいいか、桂木?」

「……あー、うー」


 しかし、それにレイは答えない。

 俯いて何やらぶつぶつと呟いているだけだ。


「桂木」

「え!? あ、はい!」


 ニッパーが何度目か呼びかけたところで、ようやく気付いたように反応した。


「……大丈夫か? 体調が不安なら、一旦休憩したほうがいい」

「あ……すいません、大丈夫です」

「ならいい――で、こういうルートで行こうと思うんだが、問題ないか?」


 レイはそう言われて、ニッパーが提案した、目的地までのルートを確認する。


「……ちなみに、雑貨店の前に、どこかに寄り道したりとかは?」

「なんだ、必要なものでもあるのか?」


 ――この人らしいというか、やっぱりというか。

 そんなことを、聞きながらレイは思った。

 ニッパーが提示したルートは、文字通り雑貨店まで最短で行けるものだった。


 逆に言うと、それ以外の要素が全て排除されている。

 どこかついでにお店でも覗いていくとか、お菓子を買い食いするとか。

 そんな、ウインドウショッピングとでも言えばいいのか、『せっかくこんな大きなショッピングモールに来たのだから』みたいな、余暇を楽しむ要素が微塵も無いものだった。


 ひょっとしてニッパーさんに限らず、男の人ってみんなこんな感じなのだろうか?

 なんてことをレイは考えたが、同年代の男性と買い物などしたことがない彼女にとっては、答えが出ようもなかった。


 と、そんなことを考えていると、ニッパーとレイ、両方の携帯端末に通知が来た。

 二人が手に取って内容を確認すると、それはミサからのものだった。


「ナナさんたち、ついでに気になるお店回って行くそうです」

「みたいだな」


 届いたのは、寄り道すると言う報告だった。

 レイはこれを見て、チャンスだと考えた。


「じ、じゃあ私たちも――」

「ああ、向こうの用事が終わるまで、雑貨店で待機してよう」

「いやいやいや!」


 本当にこの人は!

 ニッパーに言い返しながら、レイはそんなことを考える。

 なんで私はこの人にコントみたいな突っ込みをせねばならないのか。


 もっと、こう……なんかないのだろうか?

 曲がりなりにも同年代の女の子と買い物に来ているのだから、一緒に服を見たいとか、ゲームセンターに行って楽しみたいだとか。

 当の本人はというと、そんなレイの心も知らず、ただ不思議そうに首を傾げているだけだ。


「……せっかくなんですし、私たちもどっかに寄りましょう、て言ってるんですよ」

「ふむ、なるほど。了解した」

「はあ……」


 なんだかなぁ、と思いながら、レイは溜め息を吐く。

 今のところ、結局いつも通りに、私がニッパーさんのペースに巻き込まれてるだけだ。


 なんで私が毎度毎度、ここまで心を乱されなければならないんだろうか。

 ……なんだか段々、腹が立ってきた。

 いい加減、ニッパーさんはこういう時くらい、逆に私のペースに合わせてくれてもいいのではないか。


 いや、そうあるべきだ。

 今まで散々振り回してきたのだから、今日くらいはニッパーさんは、私に付き合うべき、うん。


 などと、もはやシズクに言われたことも忘れて、レイの目的は、ニッパーに日頃の仕返しをすることに、完全にシフトしていた。


「……ニッパーさんは、行きたいとこってあります?」

「特には」

「でしょうね……じゃあ、雑貨店に集合するまでは、私の買い物に付き合ってください」

「了解した――で、どこへ?」

「ここ行きましょう」


 そう言って、レイが指差した場所は、若い女性向けの服屋だった。

 そろそろ、夏物が売り出されるという、広告が記載されている。





 二人が服屋に着くと、そこには女性向けの、華やかな服が所狭しと展示されていた。

 無論、彼ら以外の客も、その商品の数に負けないほどに溢れ返っている。


「うわぁ、やっぱりすごい人ですね」


 レイがその様子を見て、そう嘆息する。

 果たしてこれで、試着室は使えるんだろうか。

 などという一抹の心配事が彼女によぎった。


「……とんでもない量の衣類だな」


 すると、ニッパーが思わずといったように、呟いた。

 レイはそれを聞いて、彼の方に振り向く。


「こんな膨大な量、持て余したりしないんだろうか?」

「まあ、オシャレしたい子はたくさんいますからね」

「オシャレ?」

「そうです。服っていうのは、ただの生活必需品じゃダメなんです。自分の憧れ、なりたい自分に近づくために、重要なものなんですよ」

「プロパガンダ的な?」

「そういうのも無きにしも非ずですけど……普通の人はそんな、小難しい感じに考えてませんって」


 ニッパーとの問答をしている最中、しかしレイは心の中で笑っていた。

 そんなお惚けたようなことを言ってられるのも、今のうちだけ。

 今日の私は一味違うのだ。


「ニッパーさん」


 レイに呼ばれて、ニッパーは彼女の方に顔を向ける。


「私、欲しい服が幾つかあるんですけど、試着するんでどれがいいのか見てくれませんか? それを買うので」

「全部買えばいいじゃないか」

「流石にそんなお金、ありませんもん」


 嘘である。

 レイはフェアリィになってから――とりわけウルフ隊に入隊できてからは、学生の身には余るほどの給与を貰っている。


 服の2、3セット程度なら何も問題なく買えるのだが、それでは面白くない。

 買う服を選ぶことを理由に、かわいい私服姿でも見せて、ニッパーをドギマギさせてやろう。

 彼女はそんな、彼の心を揺さぶるための思惑を巡らせていた。


「そういうのは、俺以外に適任者がいるんじゃないか?」

「ニッパーさんに選んで欲しいんです」

「なんで……? まあ、了解した」


 疑問が残りつつも、ニッパーは特に断る理由もないと考えたようで、ひとまずといったように同意した。

 レイは、よし! と心の中で勝鬨をあげ、ニッパーを連れて意気揚々と夏物の服を取り扱っているコーナーへと向かう。

 途中、何やらえらいことを口走ってしまったのではと思ったが、そこは考えないことにした。


 レイはお目当てのコーナーへ着くなり、何パターンか服を見繕って、試着室へと足を運ぶ。

 一室だけ空いており、これ幸いと彼女はそこに服を持って入った。


「ちょっと待っててくださいね」


 ニッパーにそれだけ伝え、カーテンを閉めた。

 さて、まずはどうやって攻めるか……。

 持ってきた服のセットを見比べて、レイはニッパーへどうアプローチすべきかを思案する。


 選んだ服は3セット。

 最近、その手の雑誌を読んで、それを参考に構築したもの。

 そのどれもが、最近のトレンドを押さえた、目当ての異性の目を引くことを目的としたコーディネートだ。


「……ち、ちょっと露骨かな?」


 改めて自分の持ってきた衣類を見て、少し怖気付きそうになるレイ。

 しかしかぶりを振って、いまさら後には引けないと、なんとか気を持ち直す。

 そして意を決して、自分の服のボタンを外し始めた。



 レイが試着室に入ってから数分後。

 ニッパーは彼女を待ちながら、所在なさそうに棒立ちしていた。


 彼があたりを見回してみると、フェアリィなのであろう、同年代の女性グループが、何着も服を持って、何やら言い合っているのを見かけた。

 とは言っても、その雰囲気は険悪なものでもなく、むしろ和気藹々としている。


「……ああいうことをやりたいのか?」


 誰にでもなく、ニッパーはそう独りごつ。

 彼にとって、今日のレイの様子は、不可解の一言だった。


 なぜ自分と買い物など行きたがるのか。

 なぜ自分に服の検閲などして欲しいのか。

 そんな、レイが自分に求めてきたことの意図が分からずにいた。


 天神たちと一緒の時に来た方が、よほど楽しいだろうに。

 何の狙いがあって、こんな。


 ……まあ、今はいいか。

 ニッパーは心の中でそう考える。

 まだ、レイとの買い物は終わっていない。

 判断材料が全て揃っていない段階で、あれこれ推論するのはナンセンスだ。

 考えるのは、終わった後にしよう。

 そう決め、彼は一旦、思考を中断した。


「ニ、ニッパーさん!」


 そうしていると、レイが試着室から声をかけてきた。

 少し、強張った声色だ。


「お待たせ、し、しました……」


 どこかぎこちなく、目をそらしながら、準備ができたことを告げるレイ。

 何をそんなに緊張しているのだろうか、とニッパーは考える。

 俺がネガティブな意見を言ったからと言って、その服が買えなくなる、というわけでもないのに。

 となると何故、こんなことを頼んできたのかが、余計に疑問であるが。


「ど、どうぞ!」


 そう言ってレイがカーテンを開ける。

 出てきた装いは、当然ながら先ほどのものとは違う。

 少しスリットの入った短いタイトスカートに、ゆったりとした薄手の白い長袖シャツというものだった。

 レイが雑誌で見た、『異性を落とす夏コーデその1』に記載されている構成だ。


「どう、でしょうか?」


 気恥ずかしいのか、両手を弄りながら、レイはニッパーに聞いた。


「ああ、見たところ通気性がよさそうだ。夏季を想定したとすれば、いい選択だと思う」


 と、それに対し、ニッパーは淀みなく答えた。


「……ぁりがとう、ございます」


 そう言うことじゃなくって。

 レイはできれば、思いきりニッパーに対して、そう言ってやりたかった。

 服の性能的な話ではなく、もっと可愛いとか、似合ってるとか、そういう部分に触れて欲しかった。


 だが、レイは言うに言えなかった。

 今の感想も、ニッパーなりに考えて、無理にでも褒めてくれたことがなまじ理解できてしまったからだ。

 『いいんじゃない』で適当に済ませることもできたのに、彼なりに気を遣ってくれたことがうれしかったので、贅沢は言うまい、と思ったわけだ。


「う……じ、じゃあ、次! 次のやつ行きますよ!」


 そう言って、再び試着室のカーテンを閉める。

 さらに数分後。

 レイは次の服を着てカーテンを開けた。

 今度はショートパンツに、ストライプのタンクトップ。

 『異性を落とす夏コーデその2』だ。


「防御面に不安が残るが、運動性が高そうだ。SUを付けても干渉しなさそうなのもいい」

「じゃあラストです!」


 レイはもはや負けん気だけになりながら、最後の服に手を出す。

 『異性を落とす夏コーデその3』。

 着替え終わったレイがカーテンを開けようとして。


 ――しかし、止まった。


 レイは考える。

 このままこれを見せても、先の2つと同じ結果になるのは、火を見るよりも明らかだ。

 なにか、ワンアクション必要だ。

 ニッパーさんが私を意識するために、必要な何かが。


 レイはカーテンをつかんだまま、しばし制止する。

 およそ数秒間。

 そして、苦し紛れながら、彼女は思いついた。


「ニッパーさん!」


 彼女はカーテンから顔だけをのぞかせて、ニッパーを見る。

 それを見たニッパーは、不思議そうにしながらも、彼女の言葉に耳を傾けた。


「……例えばですよ、例えば」

「なんだ?」

「例えば、ライカちゃんが普通の人間の女の子だったとして、この服が似合うかどうか、考えてみてください」

「……何言ってるんだ?」

「私もよくわかりません!」


 ほとんどやけくそ気味に、レイはそう返した。

 自分でも、しっちゃかめっちゃかなことを言っているのはわかっている。

 だけど、この際プライドは抜きだ。

 まず私の前に、ニッパーさんが普通に、人間の女の子を意識するように仕向ける。

 そのためには、こうするしかない。

 そんな思いと共に、彼女はついにカーテンを開けた。


「……これで、最後です」


 彼女が見せた最後の服装は、ミニ丈のプリーツスカートに、ベージュのオフショルダートップスという、先ほどの2つと違い、夏限定ではなくオールシーズンで着れるコーディネートであった。


「に、ニッパーさん?」


 レイがその姿を現してからしばらく、ニッパーは沈黙したままだった。

 ただ、先ほどまでとは違い、今度は食い入るように観察されていることが、レイはわかった。

 これまでにないその真剣な顔は、しかしさっきまで、ニッパーが如何に興味がなかったかを示しているように、レイには思えた。

 思えて、しまった。


 ニッパーが先ほどのレイの言葉を真に受けたのかは、定かではない。

 だが、レイは確信していた。

 ニッパーさんがこんなに真面目になるのは、ライカちゃんが絡んだ時しかない、と。


 ……やっぱり、ライカちゃんのことばっかりなんだな、この人。

 あの子のこと以外は、どうでもいいんだ。

 他人も、自分も。

 ましてや、私なんて――。


 レイはそれに気づいた途端、言いようのない気持ちになった。

 寂しいような、馬鹿らしくなってしまったような。

 飛んでいないのに、地面に接地していないような、そんな感覚。

 自由落下。

 それに似た不安が、身体を巡った。


「……そうだな」


 ニッパーがその口を開く。

 先ほどと同じ、感想が来るはずなのだが、レイにはそれが何か、ひどく怖く感じてしまった。

 まるで死刑宣告でも言い渡されるように、強く目を瞑る。


 そして、彼がその続きを話そうとした。



「あー、アナタ! レイ様と何やってんですか!」



 と、その瞬間、二人の意識外から、そんな大声が聞こえた。

 その声には、2人とも聞き覚えがあった。

 レイは学園のクラスで。

 ニッパーはクレームの受付にて。

 2人は素直に、声の方に顔を向けた。


「また何か、無礼なことしてるんじゃないでしょうね、ニッパーさん!」


 そこにいたのは、案の定見知った顔の、雲黒ミモリ。

 ――と、さらにもう一人。


「あらぁ、奇遇じゃない、アナタたち」


 なぜかそこにいたのは、ハウンド隊のリーダー。

 来栖エリサが、こちらに笑顔で手を振ってきていた。


「……お疲れ様です。二人とも」


 なんでこんなタイミングで……。

 そう思いながらも、レイは精いっぱいの愛想笑いで、そう返事をしたのだった。

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