第7話 ミカエルとの対話……それから
「あの子、婚約破棄されたらしいですわ」
「え?じゃあ、ミカエル様がフリーに?」
「本当?!やだ、もっと髪の毛巻いてくれば良かった」
「あなたが髪の毛巻いたくらいで、ミカエル様の目に留まる訳ないじゃないの」
「そういうあなたは、やけにお化粧が濃いじゃない」
私の後ろで女子達がギャーギャーと騒がしい。
私が婚約破棄した側であっちはされた側。婚約破棄したという事実だけ伝わっているようで、ミカエルと私だとどっちが婚約を破棄したいと思うか……と考えると、断然ミカエルということなんだろう。
ミカエルの醜聞をあえて広めるつもりはないから、聞かれても適当に聞き流しているけれど、貴族に関わらず女子というのは本当に噂好きだ。
そして、噂好きな彼女達を喜ばせるような状況に、今なりつつある。
「久し振り」
女子の取り巻きを引き連れたミカエルと、学園の廊下でばったり会ったのだ。これまた、無視して通り過ぎてくれればいいものを、わざわざ話しかけてくるとか、ミカエルには羞恥心がないんだろうか?
「お久し振りです」
「少し話があるんだが……」
私にはないですよ。
でも、もしかしたらアンの出生の秘密とかにたどり着いたのかもしれないし、話を聞くくらいはしてもいいかもしれない。
私はため息をついて、ミカエルの横にべったり張り付いている女子達に目をやった。
「その話は、人前で聞いても良いような話ですか?」
「いや。君達、先に教室に戻ってくれ」
女子達は文句(あくまでも私に向かって)を言いながらもミカエルから離れたが、先に教室に戻るつもりはないようで、少し離れたところからチラチラこちらを伺っていた。その距離が絶妙で、普通に話せば声が聞こえるくらいの中途半端な離れ方だった。
「少し付き合ってくれるか」
ミカエルは、いつものようにエスコートをしようと腕を差し出して来たが、私はその腕に触れずに歩き出す。
ミカエルは一瞬寂しそうな表情になり、でもすぐに私の後をついてきた。
人に聞かれない場所、しかし人の目につく場所。これで人の目まで避けてしまうと、後でどんな噂話をばらまかれるかわからない。
どうせ、婚約破棄されても付き纏ってるとかなんとか言われるとは思うけれど。
私は中庭のベンチを選んだ。開けた場所で、誰からも丸見えではあるものの、ベンチとベンチ間は距離が離れていて、声までは届かない。
「座って」
ミカエルを先にベンチに座らせ、私は一つ開けて腰を下ろす。適切な距離を取ってますアピールだ。
中庭の入口で、女子達がたむろしてこったを伺っているからね。
「アンネには……謝らないとと思っていたんだ」
「もう婚約者じゃないんだから、愛称で呼ぶものじゃないわ」
「……」
いや、そんなショックみたいな顔をされてもね。
「話が謝罪についてならば、謝罪は受け入れるわ。私としては、お父様が言ったように、私に関わらないでくれたらいい。すれ違っても用事がなければ話しかけないで、挨拶も別にいらないわ」
「……怒ってるよな」
え?怒ってないけど?
ミカエルは、悲痛な表情で項垂れる。
「アンネ……ローズ嬢のことは、妹みたいに可愛いと思っていたんだ。いや、今だってそう思っている」
どの口が言うかな?小説では、私が実は平民だってなった時、私が「ミカ」って呼んだら、「馴れ馴れしく呼ぶな」って、一刀両断だったよね。本当に妹みたいに思っていたのなら、あんな場面で私のこと置き去りにしないだろうし、その後だって放置はしないだろう。
「そういうのはいいです」
ピシャリと否定すると、ミカエルはグッと唇を噛みしめる。
だーかーらー、なんでそんな態度かな?自分は被害者みたいな、自分がしたことはさておいて、私に辛く当たられて耐えてますみたいな態度。
いい加減苛々するから帰っていいかな?
「話はそれだけですか?行ってもいい?」
立ち上がると、座ったままのミカエルに手を強くつかまれた。
「待って。話はまだあるんだ。……父上がアンとの付き合いに反対しているんだ」
まあ、そうだろうな。どんな美貌の持ち主でも今はまだ平民だし、うちとの関係も壊した元凶だものね。でも、それを私に言われても困る。
「そうでしょうね。今は駄目でもそのうち受け入れてもらえるんじゃないかしら。うん、頑張って」
適当に言っているようだけど、そうじゃないことを知っているしな。第一、私に何を求めているんだか。
これ以上は無理と、本気で立ち去ろうとしたのだが、ミカエルは手を離してくれない。
「アンネならそう言ってくれると思ったんだ!アンを養女にしても良いという貴族を知らないだろうか?アンが貴族にさえなれれば、僕との結婚も父上は許してくれると思うんだ。伯爵家ならば伝手も多いだろうし、どうか紹介して欲しい」
引くわぁ……。
自分が浮気して別れた婚約者に、その元凶の世話を頼むとか、ありえないんじゃない?
「えっと……私はそんな貴族知らないし、お父様に頼んでも激怒するだけじゃいかな」
だから離してーッ。ほら、中庭の入口で見ている女子達がざわめいちゃってるから。
「アンネに甘い伯爵なら、アンネの頼みなら大丈夫だよ。そうだ、伯爵夫人の実家とかに頼めないかな?似たような髪色に目の色だし、親戚の隠し子だったとか言えば、周りも疑わないだろ」
どうだ、良い考えだろと興奮気味に言うミカエルに、唖然として開いた口が塞がらなかった。
アンネローズは、こんな自分勝手な男のどこを好きだったのか?やっぱり顔だけか!
「だから!愛称で呼ばないでください。それに、あなたに好きな人ができるのは勝手ですけど、関係を持つ前に私との婚約を精算するべきじゃなかったのですか」
「それは……。幼いアンネ……ローズ嬢にはわからないよ」
私にギロリと睨まれて、ミカエルは愛称呼びを控えた。
「はあ?私、もう十七ですけど。見た目がちょっと幼いからって、中身まで幼稚な訳じゃないんです。あなたが素っ裸でアン・ガッシとしていた行為だって、きちんと理解してますから。性欲だけで行動するなら、猿と同じですよ!」
「猿……」
天下の美青年ミカエル・ブルーノをお猿さん扱いしたのは、私が初めてでしょうよ!
フンッと鼻息も荒くミカエルの手を振り解く。
「私はお役に立てませんし、立つつもりもありません」
「な……」
ミカエルからしたら私はイエスマンで、ミカエルの頼みを断るなんて思ってもみなかったのだろう。
「わかった!もういい!!」
え?逆ギレ?
ミカエルは立ち上がると、私のことを押し退けて歩いて行った。私はその拍子によろけてしまい、足を盛大に捻ってしまう。
イッタァッ……。
私はベンチに座り込み、去って行くミカエルの後ろ姿を見つめた。私のそんな姿を見た人は、ショックでよろけてベンチに座り込み、別れた婚約者を偲んで涙ぐんでいるように見えたかもしれない。
違うからね!
足が痛過ぎて、涙ぐんでるんだよ。逆ギレして人を押し退けて怪我をさせるとか、人間としてどうなの?!
これから選択授業なのに、とてもじゃないけど歩いて行ける気がしない。脈動するようにズキンズキンと足首が痛み、立ち上がることも難しそうだ。
「そんなに未練があるのか?」
低い男性の声がし、いきなりザザザッて目の前に人が降ってきた。
「ウオッ!……ッ」
女の子っぽくない悲鳴を上げ、思わず立ち上がろうとしてしまい、ベンチに倒れ込んで激痛に悶える。
「なんだよ?!おい、どうした?」
「足……足……」
「足?」
降ってきた人物が私の足元にしゃがみこむが、私はその人に足をさらけ出している状態に頭が回らない。
「俺か?俺がビックリさせたからか?ウワッ、腫れてる!」
ふくらはぎを持って足を持ち上げるようにされ、私は思わずその人物の頭を引っ叩いてしまった。
スカート履いているのよ?!足を持ち上げられたら、パンツ見えちゃうじゃない!
「イテッ!」
私の足を持ち上げた人物は、一年の校章をつけた少年だった。(ちなみに学園は十六歳に入学、六年生まである)
身長はそんなに高くなく、体も薄いけれど、骨太なガッシリとした手を見ると、まだまだ成長途中なのが伺えた。黒髪、黒目には勝手に親近感が湧く。日本人特有の色だが、顔つきが東アジアじゃない。
切れ長の一重は睨んでいるかのようにキツめに見えるが、高く整った鼻はバッチリイケメンの証だ。鼻穴が縦長が美形の条件だと、私は勝手に思っているけれど、この子の鼻穴もバッチリ縦長。ちなみに私の鼻穴は真ん丸だ、残念。
将来かっこ良くなるだろうこと間違いなし。
それにしても……どっかで見覚えがあるんだけれど、どこだったかな?アンネローズの記憶も探ってみるが、いまいちヒットしない。
「淑女の素肌に簡単に触れるもんじゃないわ」
「淑女はいきなり頭叩かないだろうよ」
それもそうね。
「とにかく痛いから離して。それともあなた、私のパンツが見たいの?」
「バ……ッ、誰がチンチクリンのパンツなんか!」
手を離してくれたのはいいが、持ち上がっていた足が地面に辺り悶絶する。
「イ……」
痛いとすら言えず、涙がブワッと溢れた。とにかく痛くてベンチの背もたれにしがみつくような体勢で痛みに耐える。
「ごめん!悪い!申し訳ない!」
少年は私の周りでオタオタとする。さすがに今のは自分が悪かったと理解しているのだろう。どうしたら良いのかわからずに、でも関係ないと立ち去ることもなく、ただ慌てている。
とりあえず、息が吸えるくらいには痛みが落ち着いて、私は顔を起こした。
「……あなたのせいじゃないわ。さっき一緒にいた人に突き飛ばされて捻ったの。別に未練があって、ショックで動けなかったんじゃなくて、物理的に足が痛くて動けなかっただけだから。誤解しないで」
「俺も、あんたのパンツ見たくて足を持ち上げたわけじゃないからな。誤解すんなよ」
「わかってる。足の具合を見てくれようとしたんでしょう。じゃあ、もう一つ。私はチンチクリンじゃないわ。そこだけは謝って」
少年は、キョトンとしてそれから吹き出した。
「なんだよ、足に触ったことじゃなくて、そっちを気にするのかよ。あんた、チマッとしてて実際にチンチクリンじゃん」
「失礼ね、あなたとそんなに変わらないわよ。私がチンチクリンなら、あなたもチンチクリンじゃない」
「いや、俺のがデカイ!それに俺はこれから成長期だ。おまえは成長限界だろ。いろんな面で」
あ、視線が失礼なところにきた!
日本人だったまな板状態の胸の時よりは、かろうじて前後ろがわかる程度にはあるんだら。
「確かに身長はもう大分前に止まったけど、その他はまだ期待大なんだから!」
「へえ……そんなふうには思えないけどな」
「失礼な奴!!将来かっこ良くなるのは撤回!今のまま成長限界を迎えてしまえ!」
あ……声に出てた。
心の中の罵声が自然と口について出てしまい、私は慌てて口を押さえた。
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