5 消えた男とジャンパー
休み時間にまた彼から話しかけられた。
「昨日、俺冬平みたぜ」
ああそうか、と切り捨ててしまいたかったが、彼がいったいどこで僕らを目撃したのか気になったので話の続きを聞くことにした。
「昨日の七時くらいに、女の子とコンビニに居ただろ?」
記憶を彼の言う時間帯に飛ばしてみた。そうすると確かにその時間、僕は水乃と二人でアパートから近いコンビニに訪れていた。
「な? あれ冬平だろ?」
「まあ、そうだな」
「やっぱりそうか」
彼は何故か嬉しそうに言った。
「それで、隣に居た女の子は誰なんだよ。お前、もしかして」
「多分、冬平くんの親戚じゃないかな?」
彼の言葉を遮るように、僕の後ろから現れた金緒さんが言った。
「私も偶然見かけたんだけど、この間買った服を着てたからもしかしてそうかなと思って」
「ああ、その通りだ」
僕が答えると彼は実につまらないといった様子で呟いた。
「なんだ、そういうことかよ」
「まさか、僕に彼女が居るとでも思ったんじゃないだろうな?」
「いいや、むしろその逆だ。もし冬平がその子と付き合ってなかったら、紹介してもらおうと思ったんだ」
「逆? 冗談が上手いんだな」
「おいおい、酷いな」
そう言って彼は笑った。
玄関を開けると、水乃が外出の準備をして待っていた。
「水乃、いったい何をしているんだ?」
僕が訊くと水乃は言った。
「やっぱり私もついて行きます」
「昨日も言ったが、司野先は乱暴なやつなんだ。何かあったら大変だから、水乃は待っていてくれ」
「大丈夫ですよ。いざと言う時は冬平さんがどうにかしてくれますから。それに、冬平さん、早く帰ると言ってなかなか帰ってこないじゃないですか」
「それは、すまない」
「ですから、今日は私も連れて行ってください」
痛いところを突かれた僕は「分かったさ」と言って、準備を始めた。
「その代わり妙な行動だけはしないでくれ」
「言われなくても、大人しくしていますよ」
アパートを出て、一キロほど足を進めたところに、司野の家はあった。一度、無理やり連れてこられたことがあったので、記憶に残っていた。
傷の痛みはすっかりよくなっていたが、心なしか以前より体力が衰えているような気がした。
家の前まで来ると、インターホンを押して待機した。僕は少し緊張した。停学になったのは僕が原因だ、と言いがかりをつけられるかもしれない。そして司野は僕に何か手を出すかもしれない。そうなったら、水乃に迷惑をかけることになる。
しばらくして玄関のドアが開いた。
「郵便ならポストに……冬平、お前……」
出てくるなり、睨まれた。
しかし、その目は以前の自信に満ち溢れた目とはまるで違っていた。
「何しに来た? 俺を嘲笑いに来たのか?」
ナイフで突き刺すように、司野が問う。
「まさか、わざわざそんなことしている暇なんてないさ」
僕はそう呟きながら、紙袋から司野の上着を取り出した。
「できれば来たくはなかったんだが、借りたものは返すのが一応礼儀ってものだろう?」
僕は言った。
「あぁ、そうだったな」
僕が上着を持っているのを見て、司野の態度が少し落ち着いたように思えた。
「ちょっと待ってろ。着替えてくる」
そう言って司野は家の中に消えていった。
以前と比べて随分、当たりが柔らかくなったと感じた。おそらく、教師や親から詰められて、少しは自らの罪の重さが分かったのだろう。
しばらく待っていると、司野が戻ってきた。
「待たせて悪かったな。ちょっと上がっていけ」
「どうしますか?」
水乃が心配そうに僕に訊いてきた。
正直気は進まなかったが、司野にも何かこうする理由があるのだと思い、僕は司野の家に上がることにした。
司野は僕らにリビングのテーブルに座るように指示すると、淹れたての紅茶を二人分運んできた。僕が壁の絵画を見つめていると、司野が自分の分の飲み物を持って、台所から戻ってきた。
「上着ありがとな」
僕は紅茶をひとくち飲み、言った。しかし、司野は顔をしかめただけで、何も言わなかった。その代わりに他のことを話し出した。
「俺、学校やめるかもしれねえ」
「冗談だろう?」
僕がそう言うと、司野は黙ったまま僕の顔を見つめた。その表情が僕には少し怖かった。
「親が工業系の高校に出願したらしい。そっちの方が就職もいいだろう、って。俺も別に嫌ってわけじゃないから、多分、転校することになると思う」
「それをわざわざ伝えたかったのか?」
「あぁ、そうだ」と司野は頷いた。
「だから、今までのこと謝っておきたくて。俺、お前に結構ひどいことしてきたからさ。転校する前に」
冗談だろ、と思った。
司野の口からそんな言葉出るとは思ってもいなかったし、少し怪しいな、とも思った。こうやって僕らをだまして、後から酷いことが待っているのではないだろうか。
「すまなかった。冬平」
なんだか、居心地が悪かった。今まで憎んでいた奴から謝罪されるというのは。
僕は凄くいたたまれない気持ちになった。あるいはただ謝罪を受けただけでこんな気持ちになること自体が間違いなのかもしれない。もっと疑って、相手の謝意が本物なのか見極めるべきなのかもしれない。だが、今のところ僕には司野に裏があるようには見えなかった。
「……ああ、気にしてなんかないさ」
僕は呟くように言った。
司野はおもむろに席を立つと、棚の引き出しからなにやら封筒を一枚持ってきた。
「これ、受け取れ」
「いったいなんだ?」
僕は中身を見る。すると、その中には一万円札が十枚ほど入れられていた。
「親が渡しとけって。迷惑かけたから」
「つまり、慰謝料ってわけか」
「まあ、そんな感じだ」
僕は一万円札を二枚引き抜くと、残りは封筒に戻し司野の前に突き出した。
「どういうつもりだ?」
司野が、意味が分からない、と言った。
「その上着、よく見ると真ん中の部分が破けてるだろう?」
僕が言うと、司野がその場で上着を広げて確認し始めた。
「実は暗い道を歩いていたら、瓦礫に引っ掛かってな。他の布で縫い合わせはしたんだが、その弁償代としてこれは返しておくよ」
司野は僕の手から封筒を奪い取った。
「そうかよ」
僕は黙ったまま、頷いた。
「そろそろ行かなくちゃいけない」
「ああ」
玄関で靴を履いている時に、ふと思い出したように司野が僕に言った。
「それで、その子はいったい誰なんだ?」
「あまり触れないでほしいな」
僕が無表情に返すと、司野がはじめて笑ったような表情になった。
「とんだもの好きもいるもんだな」
司野もまた、彼のように勘違いしているようだった。
僕は面倒なので、「そうだな」と返しておいた。
家を出て行く時に、司野がもう一度僕の名を呼んだ。
「上手くやれよ」
その表情には、何とも言えない感情が含まれていた。
「思ったより、乱暴な方ではなかったですね」
司野の家から帰る途中で、水乃がそんなことを言った。
「司野も、少しは反省しているんだろう」
次の角を曲がればアパートに着く道だった。
「冬平さん、少し寄り道していきませんか? 私、行ってみたいところがあるのです」
「水乃がそんなことを言うとは意外だな」
僕は少し驚いた。これまで僕が寄り道を提案することはあっても、水乃の方からそうすることがなかったからだ。
「嫌でしたら、無理にとは言いませんが」
「まさか。ちょうど、どこかで気を晴らしたい気分だったんだ。もちろん行こう」
水乃の行ってみたい場所というのは、商業施設の隅に展開しているゲームセンターのことだった。
どうやら、水乃は今までの人生で一度も訪れたことがないらしい。騒がしい場所はあまり好きではなくて一人で来る勇気がなかったそうだ。
「僕も同じようなもんさ。軽快な音楽の中、幸せそうに騒いでいる連中を見ていると、自分がここに居ていいのか疑わしくなる」
「そうなんです。でも、今日は冬平さんが居るので大丈夫ですね」
「さあどうだろう」
僕はわざとらしく首を傾げた。
まず僕らはクレーンゲームの台に八百円を使った。
「冬平さんなら、いけます。頑張ってください」
僕は言われるがまま台の前に立ち、ボタンを押してクレーンを操作した。はじめは景品にかすりもしなかったが、二回目、三回目と回を重ねていくうちに僕の腕は上達し、七回目を迎える頃には少しだけ景品を動かせるようになっていた。しかし、動かせるようになったところで景品が取れるわけではなく、僕は八回目の挑戦で断念した。
「惜しかったですね」
どうして水乃がやらなかったのだろう、と僕が疑問に思っていると水乃が「今度はあれをやってみたいです」と僕の腕を引いた。
連れてこられたのは無免許でスポーツカーを運転するゲームだった。もちろん運転なんかしたことがないので、僕は終始ガードレールに衝突し続けていた。僕らの後ろで待っていた大学生くらいの連中が笑っていたような気がしたが、特に気には留めなかった。
その後も僕は水乃に連れ回された。メダルゲームで延々にメダルを増やしてみたり、パンチの威力を測定する台で腕を壊してみたり、ゾンビから街を守るのに失敗してみたり、実に色んなことをした。司野からもらった二万円のうちの八割を、僕らはゲームセンターで消費した。
そして、フードコートで早めの夕食を採った。
「冬平さん。私、はしゃぎすぎてしまいました」
水乃が少し恥じらうように言った。
「いや驚いた。まさか水乃が車の運転が上手いなんて」
「冬平さんが下手なだけですよ」
「酷いな」
「酷いのは冬平さんの運転の方ですよ」
水乃は楽しそうに笑った。
アパートに帰る途中でスーパーに寄った。
冷蔵庫の食糧が底をついていたからだ。本当はコンビニで明日の朝食だけを買うつもりだったが、二人で居るところをまた誰かにに目撃されるのを避ける必要があった。このスーパーなら学校から遠いし、誰に目撃されることもないだろうと思い。
しかし、そんな僕の思いとは裏腹に、僕はある人物にその状況を目撃されることになる。
レジを通している時だった。店員の方から何度も視線を感じた。僕が顔を上げるとそこには金緒さんの姿があった。
「冬平くん?」
「奇遇だな。まさかここでバイトしてるなんて思わなかった」
「うん。年末の間だけだけどね。今日もその子と一緒なんだね」
金緒さんが水乃の方を見て言った。
「ああ、これから親戚の家で夕食を食べるんだが、買い忘れに気が付いて買いに来たんだ」
「そうだったんだ」
レジが終わると僕は千円札を取り出した。
「明日の補習は遅れないようにね」
金緒さんが百円玉を二枚、僕の手に乗せた。
「気を付けるさ」
スーパーを出て家路を歩いていると、水乃が尋ねてきた。
「さっきの人は知り合いですか?」
「ああ、他人に住所を教える心配なクラスメイトだ」
と僕は答えた。
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