第8話 〈襲撃者視点〉暗殺者は宦官

 男の名前は、ウェイジン

 元禁軍の兵士であり、今は後宮で宦官をしている。


 偉静は金鸞国を事実上支配する董太妃の派閥に属している。

 その繋がりは偉静の祖父の代からであった。


 皇太子である憂炎皇子に跡を継がせたい前皇帝に少しずつ毒を盛る手伝いをしたのも、新皇帝として即位した憂炎皇帝の母親である杜太妃 を暗殺したのも、偉静であった。


 汚れ仕事には慣れている。

 その代わり、偉静の一族、ひいては親兄弟たちが旨い飯を食べれるのであれば、それで良いと思っていた。


 それでも、罪がない杜太妃を暗殺したあの日は、さすがに心に来た。

 今でも杜太妃の最期の表情が忘れられない。


 その後は、銀龍国の王都陥落の兵士に志願した。

 他国の兵士、そして王宮にいる女子供たちを切り殺すのは、格別であった。

 

 沈んだ気持ちを、他国の侵略ということで解消した偉静に、再び命令が下される。


 それは、皇帝の側近の暗殺である。

 

 皇帝の母親である杜一族は地方貴族とはいえ、一応は貴族。

 それなりの人員を息子である皇帝にも配置していた。


 その側近たちを、偉静は一人ずつ消していく。

 半年経った頃には、皇帝はひとりぼっちになっていた。

 

 皇帝の毒味役ですら、今では董太妃の手の者。

 皇帝が死ぬのは時間の問題。

 そう思っていたのに、なぜか毒ではなかなか死ななかった。

 どれだけ強力な猛毒を飲ませても、ちょっとむせるくらいで、まったく死ぬ気配がない。

 まるで伝説の鳳凰のような、生命力あふれる皇帝だった。


 しびれをきらした董太妃は、直接命を絶つことにした。


 あるじである董太妃は、今度は皇帝陛下を暗殺しろとおっしゃった。

 まさか母子ともに自分が手をくだすことになるとはと思うのと同時に、いつかはこうなるとどこかで思っていた自分がいたと偉静は密命を受諾する。


 やり方は簡単だ。

 まず、皇帝に手紙を渡した。


 

『陛下の母君の死の真相を知っている』



 杜太妃が亡くなってちょうど一年後のこの日の深夜、竹林の先の瓢箪池ひょうたんいけでお待ちしていると言葉を添えて。



 それでも一応、皇帝の行動を把握しなければならない。

 どうやら皇帝は、毎晩のようにこっそりと寝所を抜け出していることを偉静は突き止めた。


 向かう先は、後宮の外れにある竹林の先の瓢箪池。


 陛下が池で何をしているのかまでは、偉静は知ることはできなかった。


 だが明日は、作戦を決行する大切な日。

 その前に下見したみもかねて、陛下が何をしているのかを探ることにする。


 尾行びこうを続けて瓢箪池にたどり着いた時、向こうから女が走ってきた。


(いったい何者だ? まさか陛下の密会相手?)


 まだ若い皇帝陛下は、どの妃の宮にも寄り付かないことで有名だった。

 それなのに、あんな下女をこんな場所でお手付きにしていたとは、やはり陛下も男だったらしい。


(だが、さっきの女は少し様子がおかしかった)


 後宮でも珍しいと思うほどの美少女であったが、それよりもその表情だ。

 泣いていたようにも見えなくもなかった。

 もしや、自分の尾行が陛下にバレていたのではないだろうか。

 だがそうであるのならば、あの下女が泣いていたのとは話が合わない。


 皇帝には星の数ほどの女がいる。

 銀龍国の銀公主ほどではないが、絶世の美女と呼ばれる者ばかり。


 美女とはいえあんな汚い服を着ている下女に、皇帝が本気になるはずがない。

 お手付きにしても、妃にはせずに捨てるだけだ。


(きっとただのお遊びだったのだろう。だからもう二度とここには現れまい)



 そして翌日。

 

 偉静の計画通り、皇帝はノコノコと瓢箪池へとやって来た。

 運が良いことに、今夜は大雨。

 他人に見られることがなければ、誰かとばったり遭遇することもない。


 作戦は順調だった。


 皇帝の隙をついて得意の棒術で奇襲し、組み伏せて拘束する。

 そのまま池に捨てれば、あとは待つだけ。


 翌朝、皇帝を拘束していた縄を回収すれば、ぱっと見は皇帝の溺死体の完成だ。

 検死する医師もこちらの仲間。

 腕に残る縄の跡など、どうにでもなる。


 皇帝を池に捨てた今、難所はすべて突破した。

 どこかの東屋あずまやで雨宿りでもしよう。


 そう思った瞬間だった。



 ──ぴちゃん。


 背後の池から、音がした。

 雨音ではない。

 もっと大きなものが、歩くような音。


 

 ──ぴちゃん。


 また音がした。

 皇帝は気絶したまま溺れている。だから違うはず。

 もしかして蛙が池で跳ねているのだろうか。


 そう思いながらも、一応は確認しなければならない。


 偉静はゆっくりと、池へと振り返る。



 ──そこにいたのは、幽鬼だった。

 

 池の上を、女が歩いている。


 あの池は、大人でも沈んでしまうくらいの深さがある。

 現に、皇帝は池の底へと沈んでいった。


 それなのに、なぜか女が池のに立っていた。


(水の上を歩いている!? 絶対におかしい。しかも月も出てないのに、なぜこの女の体がはっきりと見えるんだ?)


 偉静のその疑問は、すぐに解けることになる。

 その幽鬼の女の髪を見た瞬間に。


「銀色の髪……?」


 まるで神仙でも見ているのではないかというような、人ならざる髪の色。

 しかもよく見てみれば、その幽鬼は仙女と見違えるほどの美女であった。


「美しい……」


 こんなに整った顔の女を見たのは、生まれて初めてのことだと偉静は思う。

 どことなく、どこかで見た下女と似ていなくもないが、あの女は普通の黒髪だ。別人に決まっている。

 なにせ銀髪なうえにこんなに綺麗な女が、人間であるはずない

 

 しかもだ、あの女は池の水面に立っている。

 人間ではない。

 幽鬼か、物の怪か、もしくは神という線も……。



 そこで銀髪の幽鬼の周囲で、何かが動いた。


 それは池から伸びあがった水流のようにも見えたが、偉静にはこう見えた。


「水神様……!」


 銀色の龍が、幽鬼の周囲を舞い始める。

 その龍が、池に沈んだはずの皇帝を抱えていたのに気が付いた時、鳥肌が立った。


(そうか、この幽鬼は神なんだ。水神様と一緒に、俺を罰を与えにきたんだ!)


 悪事に手を染めている自覚はあった。

 でも、それを仕方ないと割り切っていた自分もいた。

 それを、水神様は見逃してはくれなかったのだ。


 きっと、一年前に杜太妃 を池に沈めたむくいだ。


 だが、本当にそうだろうか。

 幽鬼など、ただの迷信。

 水神だって、見た者は誰もいない。

 冷静に考えればわかる。現実的ではない。


 それならあの女と龍は、きっと幻か何かだ。そうに違いない。


 偉静のその考えは、早々に打ち砕かれることになる。

 

 なんと龍が、偉静の腕に噛みついたのだ。

 冷たい水のような感覚もしたが、たしかに噛まれた。

 

「お、お許しおぉおおおお!」


 偉静は勇猛果敢な戦士であった。

 だが、幽鬼や龍と戦う手段は持ち合わせていない。


 瓢箪池から逃走して、しばらく経った。



 不思議なことに、龍に噛みつかれた右腕に、外傷はまったくない。

 なぜかその部分だけ冷水にでも浸かったかのように、水にビッショリと濡れているだけだった。


 瓢箪池に戻ると、そこには誰もいなかった。

 池に沈んだはずの皇帝も消えている。


「やはり、あれは本物の幽鬼?」


 この世のものではない、何かと遭遇したのだと、偉静は実感する。

 

 自分が皇帝暗殺に失敗した事実には、朝日あさひを拝むまで気がつくことはなかった。

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