第2話
まあ、他の進学校に在学中の高校生には分不相応なカリキュラムを受けられるというのは、興味深いものではある。
入試の難易度を考慮すれば、俺と一緒に入学した寛のやつも、ただの変態馬鹿ではない。と、認めざるを得ない。
学校の教育方針に不満がない。そんなところから察するに、やはり俺のメンタルの損傷は、あの事故が絡んでいるとみて間違いないだろう。
「……ッ」
胃袋の底が抜けそうになったのを感じて、俺は一旦考えるのをやめた。
こんな状態であるにもかかわらず、どうして俺はこの高校入試を突破することができたのか?
理由は簡単で、勉強以外にやることがなかったからだ。
あの事故のことで頭が一杯になっていた。考えても考えても、死んだ人間は生き返りはしない。
それが恐ろしくなってきて、気づいた時には、気分転換の手段として受験勉強をこなしていたのだ。
成績が悪いと、分校に移籍させられることになるという。確かに『分校』というのは聞こえが悪いかもしれないが、分校の方でこそ通常レベルの公立高校の勉強はできるようになっている。安全策は取られているわけだ。
ま、繰り返すようだが、俺には関係のないことだ。
さて、現在の状況に話を戻そう。
今は背の高い寛が、編入生通知一覧を上から下まで、じーっと眺めている。
この高校の特性上、音読してくれるあたり、なかなか気の利くやつだ。俺は聞いてなかったけど。
いつもの掲示板だったら、俺は一瞥をくれるだけで、じっくり読みこんだりはしない。
だが今日は違う。俺が、というより寛が。唐突に短く口笛を鳴らし、彼は俺の方へと振り返る。
「おい柊翔! 俺たちのところにも来るぞ!」
「あん?」
「なんだその薄いリアクションは! お前の血は何色なんだ!?」
いや、普通に赤ですけど。
目線でそう伝えると、寛はがっくりと肩を落とし、首を捻った。
「俺っちだって、柊翔とは長い付き合いだからな。お前がいろいろ無関心なのは知ってるよ。でもさあ、うちのクラスに来る編入生って、二人だぜ? それも女子!」
ああ、やっぱりそういうことか。道理で寛のテンションが高いわけだ。俺は否応なしに納得させられた。
「あんまり早々にコクって玉砕なんかするなよ、寛。お前の心理的看病をしている俺の身にもなってくれ」
「そうシケたこと言ってる暇があったら動け! 若者よ、大志を抱け!」
あーもう、こいつが何言ってるのか分からない。解読できた方はお知らせ願うところだ。
呼び鈴が鳴ったので、皆は昇降口を離れて、三々五々自分の教室に向かう。
「おい寛、俺たちも行くぞ」
「へいへい! そう慌てんなよ!」
慌てているのはお前だろうが。もしかしたら、今日中に連絡先交換くらいは済ませてしまうかもしれない。親友ながら、まったく不可解な野郎だ。
だからこそ、付き合っていて落ち着きを得られる。逆に、あの事故のことは話せずにいられる。
結局のところ、俺のメンタル回復を望むなら――我ながら酷い言い草だが――、寛は最適解とは言えない。
俺は階段の手摺をぎゅっと握りながら、俺は冷たい溜息をついた。
※
そんなこんなで、俺たちは教室で自分の座席に腰を下ろした。
ちなみに進学した際のクラス分けは、三年間ずっと同じになる。クラス替えというものがないのだ。
コミュニケーション能力がどーたらこーたらで、一時的に別なクラスの生徒とシャッフルして授業を受ける日もある。が、基本的にはこの面子で授業を受ける。
ホームルームでは、中年で背の高い、そこそこイケメンの教諭が、ルーティンとしての時間割の説明をしていた。ということは、この男性教師が僕らの担任なのだろう。
学年ごとのクラスメイトの変更はないが、担任教諭は目まぐるしく変わる。
「――というわけで、今日からまたクラスメイトが増える。仲良くトラブルのないように生活すること! では……」
教諭は軽く廊下に向かって手招きした。俺たちは、転校生という存在にさっぱり慣れていない。
いったいどんなやつが来るんだろうか?
転校生に自己紹介をさせ、あとは、野となれ山となれ、だろうか。
「さあ、月野摩耶さん、月野美耶さん」
するすると教室前方の扉が引き開けられた。誰もが彼女らを応援すべく、パチパチと拍手を開始。そして、その拍手は一瞬で静まり返った。
入ってきたのは、簡単に言えば暴走族のヘッドみたいなやつだ。リーゼントは使っておらず、真っ黒な長髪は綺麗に整えられている。代わりに、学ラン(どうして女子なのに学ランなんだ?)のボタンは全開で、シャツも開けっぴろげ。ってこれ、下着が見えそうな気がするのは俺だけか?
大股で悠々と教室の前方から入室した人物は、そばにあったパイプ椅子を引っ張り、教卓との角度を合わせた。
どうやら見た目によらず、几帳面な性格らしい。五、六秒間観察しただけで、分かったつもりになるのもよくないけれど。
対する転校生には、気負うところがまったく感じられない。何故か場慣れしているような印象すらある。
「よっこらせっ、と!」
ひょいっと椅子に腰かけ、体重を背もたれにずいっとかける。
両足は膝下が綺麗に交差されて、ちょうど教卓の上に下駄の踵部分が乗っかった。って、校内は指定されたシューズがあったはずだが。
ううむ、ツッコミどころが多すぎてどうにもならんな……。
正直俺たち、元のクラスメイトはドン引きである。それはそうだ。このヤンキー女子の能力は、まったくの未知なのだから。それでいてこの態度のデカさ。本当に何者なんだ? 教諭はそれを注意しようともせず、淡々と腕を組んで背中を壁に預けている。
クラスメイトと転校生、それに教諭の間で、なんだか奇妙な三角関係が生成される。
退屈なのか、それとも肝が据わっているのか。どちらなのかは分からないが、編入生はぺんぺん草を口にはさんで、随分と気楽そうである。
僅かな沈黙。それを破ったのは、転校生だった。
「あっれ~? お前、もしかして風見柊翔か?」
突然の名ざしに、俺は狼狽えた。
「おいおい、そんなに引かないでくれよ。あたいのこと、覚えてねえのか?」
「そ、それって、いつか君に会ったことがある、って意味……?」
「でなきゃピンポイントで声かけやしねえよ。あたいだ。月野摩耶だ」
月野? って、もしかして――。
「君は……。ゴホン、君はあの月野摩耶なのか?」
「おいおい、『あの』は余計だぜ。いろいろあってな。まあ、お前さんのところでクラスメイトになるとは思っちゃいなかったが、まあよろしく頼むわ」
そう言って、摩耶は立ち上がって教卓に手をついた。
「ってなわけだ! 何か分からねえことがあったら、あたいか柊翔のどちらかに尋ねてみてくれ。ああ、でも柊翔は口下手だからな……。ま、いいや。そのへんは皆に任せる。よろしく頼むぜ」
「では、月野摩耶の席は……。ああ、ちょうど風見の隣が空いてるな。風見、お前にとっちゃ、月野は幼馴染だろ? いろいろ教えてやってくれ」
「は、はあ」
不良化した幼馴染が隣席にいる。こんなに我が身の心配をせざるを得なくなったのは初めてだ。
「よっしゃ! じゃあ早速、あたいは席に就かせてもらうぜ。あ、そうだ」
俺の隣席に腰を下ろそうとした摩耶は、しかしそうはしなかった。
「おい美耶! お前も来いよ!」
そういえば、このクラスに編入される生徒は二人だったな。美耶、美耶、美耶……。
ああ、よく俺たちと一緒に遊んでいた、摩耶の妹だ。
これは補足だが、美耶は摩耶より三歳ほど若い。今は、本当だったら中学一年生になっているはずだ。
だが実際は違う。中学校に上がった時点で、すぐさまこの学校に編入させられている。どうやら、美耶の頭脳は桁違いに優れているようだ。
「おはようございます。月野美耶と申します。中学校を飛び級してしまったので、まだまだ幼稚な言動が見られるかと思いますが、何卒よろしくお願い致します」
深々とお辞儀をする美耶。やや長めの髪をポニーテールにしているところは、なるほど、見覚えがあるなと実感される。
「それと――」
そう言いながら顔を上げ、美耶は俺を睨みつけた。
え? 俺、何か気に障るようなことをしてしまったのだろうか?
と思ったら、美耶の視線の狙いは俺ではなくて摩耶だった。
「もしかしたら、私よりも姉の方がご迷惑をおかけするかもしれません。その際はきちんと言って聞かせますので、遠慮なく私にお声がけください。以上です。よろしくお願い致します」
ぱらぱらと、掌を打ち合わせる音が上がった。本当なら拍手喝采するところなのだが、とんでもなく破天荒な姉・摩耶と、あまりにも強く礼儀を重んじる妹・美耶の月野姉妹を前に、クラスメイトの半分は呆気に取られていたと思う。
結局、美耶もまた俺の隣席が宛がわれることになった。
女子に挟まれて羨ましい! とか馬鹿を抜かす野郎(例えば寛とか)がいるかもしれないが、勝手にやってろというのが俺の意見だ。
月野姉妹には申し訳ないが、自分の過去を掘り返すのは性に合わない。
これでお開きということなのだろう、教諭はまた、転校生には親切に、とだけ言って、さっさと教室を出ていった。
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