朝食

 怒ったような表情でこちらを見つめ、マーサは目に涙を溜める。

腹立たしいと悲しいが入り交じった様子に、私は戸惑いを覚えた。


 昨日、手を切った時に見た大公の表情と少し似ているけど……それより、ずっと強くて複雑。


 嫌悪感や不快感といった感情以外、ぶつけられたことのない私は困惑を示す。

『一体、どう答えるのが正解なのか』と思案する中、マーサは一つ息を吐いた。

そして、何とか気持ちを落ち着かせると、肩の力を抜く。


「いきなり怒鳴ってしまって、申し訳ございません。ビックリしたでしょう?」


「だ、大丈夫……慣れているから」


 『こんなの日常茶飯事だ』と述べる私に、マーサはまたもや複雑な表情を浮かべる。

でも、先程のように取り乱すことはなく……ただただ悲しそうにしているだけ。

その様子が妙に気になって、胸を締め付けられた。


「私なんかより、マーサの方が辛そうだよ。大丈夫?」


「ええ、大丈夫です。心配して下さり、ありがとうございます。奥様はお優しいですね」


 エメラルドの瞳をうんと細め、優しく笑うマーサはこちらに手を伸ばした。

宝物にでも触るかのように私の手を掬い上げ、ギュッと握り締める。

ただそれだけの事なのに、なんだかとても嬉しかった。


「小さな奥様。どうか、これだけは覚えておいてくださいね。マーサは────決して、奥様を傷つけません。これは絶対です」


 力強い口調でそう宣言するマーサは、私の目を真っ直ぐに見つめた。

真剣さが窺えるエメラルドの瞳を前に、私は小さく頷く。

ここで反論したり、質問したりしてまたマーサを悲しませたらと思うと、何も言えなかった。


「ご理解頂けて、何よりです。では、お風呂から出ましょうか」


 『このままだと、のぼせてしまいそうです』と言いながら、マーサは私の頬を撫でる。

思ったより体温が高かったのか、ギョッとしたように目を見開くと、慌てて私を持ち上げた。

かと思えば、そのまま脱衣所へ向かい、フカフカのタオルで私の体を包み込む。


 『風邪を引かないように』と急いで水滴を拭き取るマーサは、髪の毛一本まで丁寧に扱ってくれた。

気持ちよくて身を任せていると、今度はリボンやフリルのついたドレスを着せられる。

そして、髪の毛もハーフアップにされ、アクセントとしてルビーの髪飾りを取り付けられた。


「まあまあ!なんて可愛らしいの!」


 着飾った私を見て、大興奮するマーサは『天使みたいです!』と褒めちぎる。

お世辞とは到底思えない剣幕に狼狽えつつ、私は姿見に目を向けた。

マーサの身長ほどあるソレには、赤系統の衣類に身を包む自分が映っている。

可愛らしい服装に反して、私の表情は無そのものだった。

『すっごく無愛想』と思う中、上機嫌なマーサに連れられて屋敷の食堂を訪れる。

そこには、既に大公と執事の姿があった。どうやら、私達の到着をずっと待っていたらしい。


 先に食べていれば、良かったのに。料理だって、もう出来上がっているんだから。


 などと思っていると、大公が顔を上げた。

と同時に、私達の存在に気がつき、スッと目を細める。


「やあ、ティターニア。昨日はよく眠れたかい?」


「ティターニア様、おはようございます。一先ず、席へどうぞ」


 大公の向かい側に誘導する執事は、椅子を後ろへ引いた。

座りやすいよう気遣ってくれる彼に少し驚きながら、私は歩みを進める。


「大公も執事も、おはよう。昨日はぐっすり眠れたよ」


 『あと、椅子ありがとう』とお礼を述べ、私は大公の向かい側に腰掛ける。

そして美味しそうな料理と向かい合う中────大公と執事は何故か固まっていた。

二人ともショックを受けたような様子で、じっとこちらを見つめている。


「た、大公……?名前で呼んでくれないのかい……?」


「もしかして、名前を忘れてしまいましたか……?もし、そうなら言ってください。もう一度、自己紹介しますから」


 マーサと同様、呼び方に異議を唱える大公と執事はどこか寂しそうな表情を浮かべる。

懇願するような眼差しを前に、私はパチパチと瞬きを繰り返した。


「名前はちゃんと覚えているよ。でも、呼んでいいのか分からなかった。皆、私に名前で呼ばれるのは嫌がるから」


 『基本的に職名や爵位で呼んでいる』と説明する私に、彼らは言葉を失った。

ことの成り行きを見持っていたマーサまでもが目を見開き、ワナワナと震え上がる。

怒ったような……でも、ちょっと悲しそうな表情を浮かべ、彼らは暫し押し黙った。


 あれ?私、変なこと言ったかな?


 『皇城では当たり前のことだったんだけど……』と狼狽える中、大公が沈黙を破る。


「僕は嫌じゃないよ。むしろ、嬉しい。だから────名前で呼んでおくれ」


 『もちろん、君さえ良ければだけど』と付け足しつつ、大公は柔和な笑みを浮かべた。

場の空気を変えるように明るく振る舞う彼を前に、執事も同調する。


「私もです。職名で呼ばれると、距離を取られたように感じて寂しいので」


 職名で呼ばれると、寂しい……?私には、理解出来ない感覚だな。

でも、昨日・今日とお世話になっている人達にそんな想いはさせたくない。


「分かった。これからはカーティスとクロウって、呼ぶ」


 呼び方の変更を快く受け入れた私は、『これで寂しくないよね』と考える。

────が、クロウに注意された。


「名前で呼んでいただけて大変光栄ですが、カーティス様にはきちんと敬称をつけた方が……」


「いや、呼び捨てで構わない。曲がりなりにも、僕達は夫婦なのだから」


「ふむ……確かにそうですね。これは出過ぎた真似をしました」


 『申し訳ございません』と頭を下げるクロウに、私は首を左右に振る。

『気にしないで』と声を掛けると、彼はホッとしたように胸を撫で下ろした。

────と、ここでマーサが口を開く。


「お話も一段落したことですし、そろそろ朝食にしませんか?せっかくのお料理が、冷めてしまいますわ」


 『勿体ない』と主張するマーサに、私達は顔を見合わせた。

と同時に、『そういえば、まだ何も食べてなかったな』と気づく。


「マーサの言う通りだね。冷めないうちに頂こうか」


 そう言って、カーティスはスプーンを手に取った。

かと思えば、湯気立つスープを掬い上げ、口に含む。

それを合図に、私も食事を始めた。

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