剣と盾の怪奇録

宵待昴

第1話 始まり


僕が叔父さんと出会ったのは、祖父が亡くなり明日が通夜という晩だった。

寝苦しい夜。暗い縁側で叔父さんがぼんやりと煙草を吸ってるのが見えて、何となく小さなペットボトルのお茶を持って行った。

「ビールの方が良かったかな」

呟いた独り言に、叔父さんが振り向く。青い髪に無精髭。左耳だけに着いた大きな金魚のピアスが、揺れた。強い見た目だ。気怠げな目と合ったけど、黒地に、浮世絵に描かれてそうな雲の主張が激しい柄シャツが、何か良いなと、この場には見当違いなことを思ってしまう。

「よお。くれんの?それ」

「そのつもりで持って来ましたけど、ビールですよね、多分」

「いや。それもらうわ。サンキュ」

差し出したお茶を、叔父さんはするりと持って行く。僕もお茶を持っていたから、蓋を開けて飲み始める。庭からは、虫の声が聞こえた。じんわり蒸すような熱気が、身体にまとわりつく。お茶の水滴が、指を濡らした。煙草の吸い殻を片付けた叔父さんは、お茶を一気に半分くらい飲み干す。

「冷てえ、生き返る。助かったー」

そんな大仰に喜ばれると、逆にリアクションに困る。

あさひは大学生だっけ」

「一年です」

他人ひとの子は成長が早いな」

横目で僕を見る叔父さんは、不敵に笑っている。

何か返そうとして口を開いた時、りーん、と涼やかな音が響いた。お鈴みたいな。僕と叔父さんは顔を見合わせる。祖父が眠っている部屋から。叔父さんがやれやれと首を横に振る。

「サボってるの早速バレたな。丁度いいから付き合ってくれよ。一人でやんなきゃならねえって決まりはないから」

何でもないように言って怠そうに立ち上がる叔父さんに、僕も結局ついていく。そこで初めて、叔父さんは火の番だったなと思い出す。静かに襖を開けて入る祖父の部屋は、奥に作られた簡易的な祭壇にある二本の蝋燭の明かりだけが、おぼろに照らしていた。しんと静かな空気が、ひんやりしてるように感じた。真ん中に、祖父が眠っている。胸元には、昼見た時には無かった黒い鞘の短刀が置かれていた。短刀への視線に気付いたのか、叔父さんは

「ありゃ、家に代々置いてある模造刀だよ」

と、どうでも良さげに言いながら、入って来た入口付近に腰を下ろす。叔父さんにならい、僕も隣に座る。胡座あぐらをかいて、前のめりに片手で頬杖をつく叔父さんは心底退屈そうだ。

「だりー」

しばらく祖父の足元を見るとも無く見ていたが、段々と何か聞こえて来た。部屋の外。がやがやと大勢の人たちが談笑してるような声。ああ、なにか人がいるな、というだけで、特に何とも思わなかった。こんな時間におかしいとも思っているのに、ぼんやりして上手く頭が働かない。

「入ってこれねーくせにやかましいよなあ」

嫌に響く声だった。ハッとして、叔父さんを見る。

「旭は俺なんかにもお茶くれたし、教えてやるけど」

何も言えずにいると、叔父さんは構わず続けた。

「朝までふすま開けなきゃ大丈夫だろ」

叔父さんにもこの声が聞こえているのだろうか。

聞こうとしたら、襖一枚向こうから、祖母の声がする。

「まだ起きてるの。火の番は一人でしょ。ここを開けて出といで」

ドキリとした。タイムリー過ぎる。答えられずにいると、今隣にいるはずの叔父さんの声も聞こえた。

「おーい、空けてて悪かったよ。戻るからさ。開けてくんねぇ?」

全く同じ声。混乱する。

「いるんだろ?何言われたか知らんが開けてくれよ」

僕はそろりと、襖から距離を取る。耐えられなかった。気付くと叔父さんも祖父のかたわらに移動している。教えてほしい。僕も叔父さんとは反対側に来た。祖父を見下ろしながら、深呼吸する。カタカタと微かな音がして見てみれば、祖父の胸元の短刀が震えていた。変なことばかり起こる晩だ。焦燥感の中で、妙に冷静になってそんなことを思う。

「開けるか?向こうの俺の方を信じて」

祖父越しに、叔父さんがまた不敵に笑う。

「どっちでも良いぜ。面白そうだし、向こうは俺には興味無さそうだしな」

丸投げだ。大体今日会ったばかりの親戚の真贋しんがんなど分かるものか。僕は考えるのが半分面倒になったところで、じっと目の前の叔父さんを見た。にやにや笑って僕を見ている叔父さんに、段々腹が立ってくる。

「開けませんよ」

「ほう、その心は?」

楽しんでるような叔父さんの声に、僕は呆れてしまう。

「別に。考えはありませんけど、」

「けど?」

「目の前にいる叔父さんは僕の名前言えるし、良いかなって」

「へえ。なるほどねぇ」

感心するような声音で言われて、僕は眉をひそめる。そんなすごいことは言ってない。短刀の音がうるさくなって来た。胸元から落ちるのでは。襖がバン!と叩かれる。肩が跳ねた。揺れる短刀を少し上から押さえた。僕らはまだ自分で動けるけど、祖父の身体はもう祖父には動かせない。何かあるのは忍びない気がした。

「開けてくれよ」

「開けてちょうだい」

「開けて」

いろんな知ってる声が襖の向こうから懇願こんがんして来る。刀を押さえながら、頭がぐわんぐわんした。

「ちぇ、じじバカだな」

叔父さんの不貞腐れたような声で、僕は顔を上げた。その瞬間、ふわりと優しい手が僕の頭に乗る。

「愚息で悪いね。寝ておいで」

紛れも無い祖父の声。肩を強く引かれて、振り向くことも出来ないまま意識を手放した。


「起きろー旭。朝だぞ」

叔父さんの声が降ってくる。それで初めて寝ていたのだと気付いた。朝になっている。

起き上がると、叔父さんがにやにや笑って僕を見ていた。祖父は昨夜と変わらぬ様子で横たわっている。短刀は静かになっていた。

「寝てたんですか、僕」

「ぐーぐー寝てたな。暇で大変だった」

「あの、襖の向こうの声は」

「日が昇る頃にはいなくなったな。お前も寝たし、諦めたんじゃないの」

何を、とは聞けなかった。

「あーあ。旭が襖開けてたらどうなってたのか、興味あったのになあ」

「叔父さんが開けたら良かったじゃないですか」

「それだと対岸の火事になんないじゃん」

「僕と同じ部屋にいる時点で当事者になりません?」

「自分の手は汚したくない」

意味が分からない。僕は溜息をつく。とんでもない夜だった。

「まあ。何で親父が旭旭言ってたかは、何となく分かった」

「え?」

叔父さんは僕を見て笑う。

「もう帰りてーなあ〜。まだ通夜前だぜ、これ。そっちのが怖くないか?」

確かに。全て終わった気になってたけど、本番はここからだ。ゾッとした。


祖母や両親に聞いてみたけど、昨晩は誰も祖父の部屋に来なかったし、僕が起き出した時点で親戚は皆寝静まっていて宴会なども無かったそうだ。

それから叔父さんにやたら絡まれるようになり大変なことになっていくことは、その時の僕には分からなかった。

























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