第49話:悪夢
『お母さん! しっかりしてよ! 病気なんか負けないで!』
『春日……』
小さな男の子が泣きながら必死に叫んでいる。こいつは
視線の先には、病院の白いベッドに横たわっている女性がいた。女性は今にも力尽きそうなほど弱弱しく、もはや自力で起き上がることすら困難だろう。風前の灯火といった感じだ。
そしてその人の正体は――俺の母さんだ。
ああ――
またこの夢か……
『そ、そうだ!』
ポケットをゴソゴソと探り、何かを取り出して母さんの手に握らせた。
『こ、これ……お守り買ってきたから! だからもう大丈夫だよ! きっと治るよ!』
『…………』
母さんの手にはお守りがいくつか握らされている。しかし種類がバラバラなのだ。
健康祈願や無病息災はまだ分かる。でも中には交通安全や合格祈願なんてのもあるし、安産祈願とかもあった。もう滅茶苦茶だ。
当時の俺はもう必死だった。だから種類とかよく見ずに、片っ端からお守りを買い集めたのだ。その結果がこれだ。
でも本当に必死だったんだ。折り紙で鶴を折ったり、毎日神社に通って祈ったり、お守りを買ったり……
母さんの病気が治るためなら何だってするつもりだった。
『ふふっ……ありがとう、春日』
少し困った感じの笑顔を見せたが、俺にとってはそんなのでも嬉しかった。
『でも、ごめんね春日……お母さん……もうダメみたい…………』
『そ、そんなことないよ! きっと治るよ! だから弱気にならないでよ!』
母さんの病名は乳ガン。発見された時には手の施しようがなかったらしい。
でも当時の俺はその事を知らされていない。
だから――
『お守りもあるし、毎日お祈りしてるから絶対治るよ!』
この言葉もただの慰めじゃなかった。本当に治ると信じていたんだ。信じて疑わなかった。
『もう……男の子なんだから……そんなに泣いたらダメよ……?』
『……! 泣いてないもん!』
バカだなー、速攻で分かる嘘なんてつきやがって。
あーあーみっともない。鼻水まで垂らしてやがる。
『本当は……もう少しだけ、生きていたかったけど……どうやらお迎えが……きたみたい……』
『!! や、やだよう! 死んじゃやだよう!』
『せめて……せめてあと一ヶ月……生きたかったな……』
当時の俺は小学6年生。そしてこの頃は卒業式まであと一ヶ月を切っていた。だからこそ母さんの言葉は切実だったと思う。
それも結局叶わなかったけど……
『お願いだから諦めないで! 絶対治るもん! だから卒業式も見に来てくれるよね!?』
『……ごめんね、春日……』
『見に来てくれるよね!? ねぇ!? そうだと言ってよ……!!』
『…………』
しかし母さんは答えてくれなかった。自分の寿命が残りわずかだと悟っていたからなんだろう。
『うっ……うっ……』
『春日……大丈夫よ……お母さんは、天国から見守っているわ……』
『嫌だ嫌だ!! 死んじゃやだ!!』
母さんの手を両手で握るが、もはや握り返す力すら残っていないだろう。そんな弱弱しい母さんの感触を覚えている。
『よく聞いて、春日……』
『え……?』
『春日の前に……いつかきっと、素敵な女の子が現れると思うわ……だから、その人と……幸せに暮らしなさい……』
『な、なに言ってるの?』
『私よりも……素敵な人に出会えると思うわ……だから、そんな悲しまないで……ね?』
『嫌だ! お母さんじゃないと嫌だよ!!』
もう見ていられない。目を逸らしたい。こんな光景は
母さんは声を出すだけでもかなり負担になっているはずだ。でも俺を励まそうとして力を振り絞って話しかけてくれる。
それが分かっているからこそ見ているだけでも辛い。
『卒業式、見にいけなくて……ごめんね……』
『だ、大丈夫だって! 今すぐ病気治せば卒業式これるようになるって! お願いだから諦めないでよ……!』
『ごめんね……』
早く夢から脱出したい。この後の展開も知っているから尚更だ。
けれどもなぜか目を閉じることも出来ず、耳を塞ぐことも出来ない。毎回この夢はこうだ。無情な光景を一方的に見せ付けられるだけだ。
本当に辛い……
心が苦しい……
もういやだ……
『お父さんにも……ごめんねって……伝えといてね……』
『そうだ。お父さんならきっと――』
『じゃあ……そろそろお別れね……』
『!? だ、ダメだよ! まだ死なないでよ! 病気なんかに負けないでよ!』
『春日……』
『な、なに!?』
その時の母さんは病人とは思えないほどいい笑顔だった。
けれども最後の力を振り絞ったんだと思う。
『今まで……ありがとう……愛して……る……わ………………』
これが母さんの最後の言葉だった。
『え……? お母さん……? ねぇ……返事してよ……!』
しかし二度と返事することは無かった。
『ねぇ……ねぇったら! お母さん! お母さん!!』
体をゆさぶるが反応は無く、急速に体温が失われていったのを覚えている。
『う、う、うわあああああああああああああああああああああああああああああん!!』
そして母さんは帰らぬ人になった。
俺の卒業式を見に行くという母さんの願いが、永久に叶わなくなった瞬間でもあった。
「……はっ!」
目が覚めると同時に勢いよく起き上がった。
息が乱れていたため、落ち着くまで少し時間がかかった。
「くそっ……」
またあの夢か……久々に見たな……
最近は見ないと思ってたのにな……
「どうした? なんかうなされたみたいだけど……」
隣を見ると、晴子が心配そうにこっちを見つめていた。
「…………」
「春日? おーい?」
「久々にさ……」
「うん?」
「…………あの夢を見たんだよ」
「……っ!? なるほどな……そういうことか……」
そうか。こいつもあの夢のことを全部知っているんだったな。
夢の内容を思い出したのか、晴子の声は落ち込むようにトーンが低くなっていった。
朝から気分最悪だ。あの夢を見ると一日中
今日はもう学校休もうかな。どうせ授業に身が入らないし、行くだけ無駄だ。
でもそうすると美雪のやつが心配する。だから休むわけにいかない。
「はぁ……」
――学校に行きたくない。
――家から出たくない。
――布団から出たくない。
――動きたくない。
――でも学校に行かなければならない。
そんな矛盾した気持ちが頭の中を駆け巡っている。
でも、いつまでもこうしているわけにいかないか……
全身がまるで鉛にように重く感じる体を動かし、布団から出ようとした時だった。
「……ん? 晴子?」
「…………」
いつの間にか晴子がすぐ横に立っていて、俺を見下ろしていたのだ。
「どうした? 何か用か?」
「…………」
晴子は近づいてしゃがみこみ、両手を伸ばし――
「っ!? お、おい!」
そのまま俺を抱きかかえてきたのだ。
「は、晴子? 一体なにを――」
「安心しろよ。
「なっ……」
ああ……ちくしょう……
こんな時は以心伝心な関係は嫌だ。
知られたくない気持ちまで伝わってしまうからだ。
そしてゆっくりと優しく俺の頭を撫で始めた。
「ったく、世話の焼けるやつだな」
「うるさい……」
「はいはい」
なんだろう、すごく安心できて心地いい。
以前晴子が男性恐怖症になったときに、俺のベッドに忍び込んだことがあるが……今ならその気持ちも分かる気がする。確かにこれは安心感に包まれそうだ。
こうやって人にくっついて体温を感じるだけで、こんなにも精神的に楽になるんだな。
しばらくの間、晴子に身をゆだねる事にした。
その後、お互いに一言も喋ることはなかった。
十分ほど経った頃、晴子のほうから話しかけてきた。
「今日は学校休むか?」
「……いや、行くよ。いつまでも休むわけにはいかないしな」
「そっか」
晴子から離れ、ゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫なのか?」
「もう平気。お陰でだいぶ楽になったよ」
「何かあったらすぐオレを呼べよ? すぐに駆けつけるからさ」
「分かった」
そのままドアまで歩き、そして開けてから止まった。
「晴子」
「ん?」
「サンキューな」
「……おう」
部屋から出たあとドアを閉めた。
本当に晴子感謝している。今日ほど晴子が居てよかったと思う日はなかった。あいつが居なかったら憂鬱なままで学校に行く事になってただろうし。
帰りにまたケーキでも買ってきてやるか。そう思いながら階段を下りていった。
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