第漆話
(うん、マズい状況になったな)
正座している駿之介の心中はそんな一言で埋め尽くされていた。
首の下にぶら下がっているのは『登校拒否した挙句夜の街に繰り出し、女子を掻っ攫った不届者です』と記した木製の看板。そして目の前に立ちはだかっているのは、“泥棒騒ぎ”の犯人――もとい、不良転校生の計画を阻止した功労者達。
したり顔の光風と柚。普段と同様なのほほんとした表情の大石、そしてやや後方でどこか気まずそうにしている夏目。『アタシ一応止めたんだよ?』みたいな苦笑が、今の彼にとって一種の煽りにしか映らない。
「い、いつから知ってたんですか」
苦虫を食い潰したような顔におほほほほ、と笑いをする大石。
「さあのう〜、いつからじゃろうのう〜」
これが勝者の余裕か、と心中の負け犬が奥歯を噛み締める。しかし敗北が喫された以上これ以上の抵抗は無駄だ。が、負けじと柚と光風の真ん中に立っている大石を睨み付ける。
普段の調子とは何ら変わりはないように見えるが、裏を返せばそれは殊勝な態度の表れでは、という結論に辿り着く。
結局のところ、腹の底でぐつぐつ煮え返る苛立ちを消火するにはどうしようもないと知った彼は、代わりに重い息を吐き出す。
「どうしてこんなことに……」
「おぬしがわしらになーんも相談しないからではないか」
「いや、相談しようとしましたよ。はい。ですが時間も時間ですし、明日でもいいかなと」
「おほほほ、最初から相談する気もない癖に何を申すのか」
「うぐ」
一瞬で見抜かれ、返答に窮した。答えすらくれず、用意していた方便もあっさりと一蹴され。彼の心中に残っているのは最早敗者の屈辱しかないと言えよう。
「いやあ~、我ながらナイスアイデアを思い付いたもんですよ。駿兄の時間感覚を狂わせるように特定の時間になったら早めるように設定をちょっちょいと。だから今はまだ10時だよ」
「嘘だろ……。なんで、あんな手の凝ることを」
「そんな決まってるじゃないっすか……。愛しい兄の悔しそうな顔が見たい理由以外にないじゃないですくあ~」
「この――」
「これこれ、良さぬか。家族のためにやったこととは言え、柚を巻き込んだこのわしじゃ。文句なら、遠慮せずわしに申すが良い」
真正面から言われると、逆に言い辛いので仕方なく出掛かった言葉を押し込んで、代わりに溜息吐く。
本当、どうしてこんなことになったのか――それが顔に出たのか、「強いて申すならそうじゃのう~」という前置きに視線を戻す。
「おぬしは一人で何でもかんでも背負いしそうに見えてのう~。何が大事に巻き込まれる前にちょっと懲らしめようと思ったのじゃ。おぬしには申し訳ないことをしたのお~」
「い、いえ、そこまで気にしてませんので」
条件反射で答えた直後、彼も自身の返事に違和感を覚え、当惑。
「それにおぬしはわしの知り合いによく似ておるでのう~」
「え――」
幼稚な顔に内包する大人らしさはやはりどこか似つかわしくなくどこか歪で。だけどそれ以上に彼の心に響いた。
「二階の厠と風呂場が修理中だと聞いてひんやりしましたよ。あの時はどうして嘘を吐くのかと思いましたが、まさかこの時のための布石でしたとは」
突如背後からやってくる小夜の返答に駿之介は唖然とし、逆に大石はむすーとした。
「これ小夜、あっさり暴露するのでない」
「暴露なんてとんでもありません。駿之介さんだって自分なりに彼女を助けようとしましたではないですか。ねえ、久遠さん」
「え、あっそ、そうだよ! ほら、皆ももう終わりにしよ。ね?」
「おほほほ、それもそうじゃのう~。どうじゃ、皆の者。そろそろ彼を許す気になったじゃろう?」
彼女の一言で三人は小夜の方へと移動した。雑談に興じる彼らの姿を見てどこか誇らしげに眺める大石の横顔を見ている内に、段々違和感を覚える駿之介。
「え、待て。嘘? あ、あれが嘘だったの、か?」
「うむ、そうじゃ」
「……一応理由をお聞きしても」
「おぬしは将来何かをやらかすと思ってのお~。それで試しにカマを掛けてみたのじゃが、まさかまんまと引っ掛かってくれるとはのう~」
「あんな説明されたらそら信じるわ!」
こちらを尻目におほほほほ、と笑いながら四人のところへ向かう大石。そもそも論で行くと、嵌めるだけならこんな大掛かりな計画は必要ないはずだ。
精々玄関を見張ればいいだけ。あとはこちらの帰りを待つだけで終わり。
なのに、どうしてこんな手の掛かるような――。
(いや、もう考えるのはよそう)
疲れた頭で幾ら考えても埒が明かないので、代わりに溜息一つ。そもそも負けたのに清々しい気持ちになれるのは実に不思議なものだ。
何故だろう、と一考した後。それ程までに完膚なきまで敗北しただろうという結論に苦笑一つ。
「して、あの可愛い
「あれ、おかしいですね。先程は確かにここにいるはずなのに……それにしてもまだ顔合わせしていないのによく可愛いと断定しましたね」
「おほほほ、わしにとって全ての
「やれやれ……」
小夜の呆れをよそに、鼻をすんすんと動かしていた光風に「どうじゃ?」と尋ねる大石。
「はい、あの雌はまだここにいますぜ会長殿。オレ様の鼻がそう教えてくれたんだからな!」
(いや犬か)
駿之介のツッコミをさておくとして、光風の嗅覚は侮れない程の強力な情報源である。にも関わらず、大石はただ「そうか」とだけ言い、いつもとは違えぬ様子で廊下に出て仄かな明るみに湛えていた日本庭園に向かって。
「そこにいるのが分かっておる。大丈夫じゃ、ここはおぬしに危険を加えようとする輩なんぞどこにもおらん。この大石漣の名に誓ってのう~。じゃから安心して姿を見せてくれぬかのう~」
けれど沈黙だけが過ぎ、次第に後ろに立つ四人の表情に不安が浮かぶ。そもそも姿を隠す暇があるぐらいならすぐに門を潜って行ったはずだ。距離も然程離れていないため、むしろそうした方が妥当というもの。
やはりもうここにいないのでは。
誰もがそう諦め掛けたところで――ふと茂みが微かに揺れた。
まさか、と期待が膨らむ中、薄闇の向こう側から姿を現す女性らしさの影。どことなく綺麗な歩き方がより一層女らしさを引き立てたが、本人がおどおどしているからか、どこかぎこちないようにも見える。
淡い月光がゆっくりと彼女の輪郭を浮かび上がらせるのに、本人の表情には遠慮という名の影が差す。ボサボサの空色の髪の上に、駿之介が貸した衣服のあちこちにも葉っぱが付いている。
健康とは縁遠い、痩せこけた身体に四人の顔に驚きが満ち、普段どんな状況下でものほほんとしている赤瞳でさえ見開いている。
ワイシャツの袖下に見え隠れする無数の生傷。折角の美貌が疲弊で台無しにされ、急いで避難したと思われる裸足が少し汚れ、深紫の瞳の奥には僅かに揺れ、
「……ど、どうも」
言葉を紡いだ唇でさえ心細く震える。地面に目を泳がせる彼女の姿は、見るに堪えない。
「おおお~。これはまた随分と可愛らしい
「えっと、
「華凛か。よい名じゃのう~。わしはここの管理人の、大石漣と申す者じゃ。よろしくのぅ~」
「よ、よろしく……」
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