【皇国編完結】刀華繚乱忠士伝
才式レイ
序章
月夜のわらう先に
『愚者の無知と、賢者の空虚。
どちらの方が罪が重いのか、天秤に掛けなくとも自ずと知るだろう。
言葉の違う誰かに、色の違う誰かに裁かれても、決して贖罪にはなれぬ。抑圧されようと、迫害されようと、虐殺されようとも決して。
それは献身的な信者であっても、歴戦の武士であっても覆すことができぬ。
故に、思考を放棄した無知で蛮勇で愚かな我らは皆、等しく咎人である。』
――大石漣 『大石漣報国戦場日記』
商店が所狭しと軒を連ねる古い町並み。行灯で彩られる石畳の道を歩く町人達が笑いさざめく。けれどそんな平和の一幕は、黒塗りの車による急停止で打ち破った。
キイイーと空気を鋭く切り裂いた車から黒ずくめの男が三、四人が下り、続々と路地裏に入っていく。
怪しげな黒ずくめの集団の登場により、町人達が目を背けて足早に歩くようになった。男の子が物珍しそうに見ようとしたら母親に見ちゃダメだと強引に手を引かれ。そんな親子連れが立ち去ったのを確認した黒ずくめの一人が耳元にある小型通信機に報告する。
「猟犬隊総勢
クックック、と喉の奥で低く笑う声が鼓膜を震わす。
『予定時間よりも早くて重畳重畳。共和国の連中に察知される前に、何としても彼女を捕らえろ。丁重に扱え。掠り傷の一つでも見掛けたら――分かるよな?』
「ハッ」
軍人でもない彼でも反射的に靴の踵を鳴らし胸を反らせ直立の姿勢を取った直後、無線が一方的に切られ、男もすぐに路地裏に入った。
「いたぞ!」
「追え追ええええ!!」
黒ずくめの怒声が路地裏にこだまして、深紅のパーカーを纏う少女の耳まで届いた。
「ああもう、しつこい!」
振り返りざまに吐き捨て走り続ける少女はフードを深く被っていて顔まで見れぬが、吐き出す息が確実に荒くなってきた。
それでも彼女は、複雑に入り組んだ路地を躊躇いなく駆け巡る。
ただ一心不乱に走っているように見えるが、実は彼女はここ一帯の地理情報を把握していた。故に知識ではこちらの軍配が上がるわけだが、何せ相手は人海戦術を用いて捕らえようとしている。
いずれにせよ、多勢に無勢に変わりはない。
最終的に体力勝負になるのが目に見えている。しかしここ数日まともな食事を摂らなかった少女にとって、この勝負は極めて劣勢。
一刻も早く撒かないと――と、焦り出したその時、小石に躓いて転んだ拍子に大きな音を立ててしまった。言わば、追手に居場所を知らせた愚かな一手だ。
「そこにいたのか!」
「逃してはいかん! 追え追えええええ!!」
複数の足音が確実に迫り寄って来ている――だというのに、少女は起き上がろうともしない。
(ここまで、か……)
たった一回の転倒で心に巣食っていた絶望と諦念がじわじわと精神を蝕み。空腹で痺れていた身躯が固い
むしろ、骨と皮だけの身体で
もうどうでもいい。これ以上逃げ回って何の意味があると言うんだ。
数分後、黒ずくめの集団に呆気なく捕まえられ車に乗せられる――それが本来ならば、起こり得た未来だっただろう。
『何してるの!? 早く起きなさい! 追い付かれちゃうよ!』
直接脳内に必死に訴えかける幼さを帯びた声音にハッとなった。
ついこの間まで大喧嘩したとは思えない程、本気でこちらを心配する気配が伺える。一瞬、少女の唇が震えた。
「うるさいなぁもう……」
鼻詰まりの声でいつもの憎まれ口を言っても、こちらに微笑む姿も返ってくる声もない。けれど裏を返せば『帰ったらまた話し合おう』の意とも受け取れる。
少女は奥歯を噛み締め、僅かな力を振り絞ってなんとか起き上がり。衣服に付いた埃を振り払い、両の足首を軽く回し動作確認。
腹が底に付いたとしても、何か不思議な力みたいなものが
「よしっ」
右足を後ろに滑らせ脹脛に溜め、地面を蹴り上げ猥雑な路地裏を抜ける。
柔らかい灯りに包まれた人里に迎えられても、少女はなりふり構わず森へと逃げ込んでいく。
遠方の国の権王から遁逃してきた寵姫の、流涙から生まれた花。
或いはかつて蛮夷の侵略に為す術もなく鏖殺された武士達の親族の涙川に咲いた花。
道端で咲く一輪の瑠璃唐草の微笑を、月夜も返答するように嗤う。今宵の月の微笑みは、狂気のように美しかった。
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