第42話 海と星々の贈り物

 メアリーにとっては思わしくない事態だった。マティアスはメアリーのよき理解者であり、気の置けない友人である。友達として大切にしてもいた。どうやらアレックスもリリィも味方するつもりはないらしい。


「そんなに急に行くこともないのに」

 メアリーがねたような口ぶりで言う。


「残念だけど、明後日あさってにはここを出てるね。〈兵舎〉の上官にはもう報告しているんだ。そんな顔するなよ。君はここにいる限り、ひとりぼっちじゃないだろ。書きたければ、手紙だってよこすし」

 マティアスが言った。


 夜が近づいてきていた。海は水色から淡い橙色だいだいいろへ、橙色から濃紺へと変化している。かもめが夜の帰宅を急ぐかのように、一羽だけ、どこか遠くへ飛んでいった。


 ジョンは相変わらず旺盛おうせいな食欲を見せている。他の四人は突然、空腹を覚えた。温かい魚と貝のスープと白ワインを飲む。アレックスが横からバターであぶったじゃがいもをすすめてきた。リリィはお皿に取り、アレックスにお礼の目くばせをする。料理はコッテリとしていて美味しい。


「贈り物があるって聞いたわ」

 メアリーがナイフで兎肉を切り分けながら言った。


「もちろんね。寝室に用意してある」

 マティアスがじゃがいもを頬張りながら言う。トルナドーレ兄弟はなぜか二人とも楽しそうな顔をしていた。


「マティアスが用意してくれたの?」

 メアリーが釈然とせずに、訊ねた。


「僕だよ。家主は誰だったっけね」

 アレックスが軽快な声音で言う。


「あら、あなたが……。またドレスじゃなければいいんだけど!」

 メアリーはそう言いながらも微笑んでいた。


「そのまた、だよ。悪いけれど。君の好みはわかんないんだ。食べたら一緒に見にいこう」


 メアリーが寝室に行くと、ベッドの上に鮮やかな青のガウンがのっていた。えりぐりが四角のかたちで、デコルテを美しく見せてくれる。ビロードの布地には小さなダイヤモンドが散りばめられている。


「今までで一番いいわ!一体どうやって、私が青のガウンを欲しがってたの、わかったのかしら」

 メアリーがすっかりドレスに夢中になって言った。鏡の前にたって、ドレスをあててみる。青色はメアリーの色白の肌によくえた。秋のお別れの時に着ようかしら……。


 アレックスは青のガウンの他に、真珠の首飾りと、洒落しゃれおりに入った小猿を贈り物にした。最後の異国情緒いこくじょうちょあふれる贈り物はメアリーを何よりも喜ばせた。


「なんて可愛らしいのかしら。ちいさな妹みたいねぇ!」

 メアリーが檻の中でキーキー言う猿にいたく感心している。


 猿はたしかに可愛かった。小さな手足に、くるんと曲がったしっぽ。丸い黒目がちなひとみでこちらを見上げている。しっぽには赤いリボンが巻いてあった。


 こういう贈り物を、アレックスはに特に理由もなくするのだ。凱旋がいせんの日だとか、聖人の日だとか、ハープの演奏が上手だった、とか、あれこれ言い訳をして。


 メアリーもリリィもそろそろ贈り物には目も肥えてきていた。それでも嬉しい。アレックスだって趣向しゅこうを凝らしているのだ。今回のメアリーのは成功したらしい。でさえ、褒めちぎっている。実際、そのドレスはメアリーの持っているどのドレスよりも美しかった。


「リリィ、お前にも贈り物がある。中庭にあるよ」

 アレックスがそう言って、リリィを中庭に連れて行った。


 中庭は暗く、アレックスの持つ松明のあかりだけが頼りである。プールの水面が反射して、キラキラと光っている。


「人魚なんて捕まえられないよ。垣根の向こうだ」


 果たして垣根をこえた先に、リリィは何かをみた。鉄の、大きく頑丈な檻である。

 リリィは怯えた目で兄を振り返った。


「本に出てたライオンじゃないでしょうね」

 暗闇の中、目を凝らす。まだ、檻の中は見えなかった。


「ドンピシャだよ。お前の兄さんの贈り物は猛獣もうじゅうさ。何も、お前を殺そうっていうわけじゃない。松明をもって、中をのぞいてごらん」

 アレックスはそう言って、リリィに松明を渡した。


 リリィがためらいながらも、檻へと近づいてゆく。想像していたよりも、可愛らしい鳴き声が檻の奥から聴こえてきた。

 松明を掲げる。すると、隅の方に仔獅子がうずくまっているのが見えた。ライオンの赤ちゃんである。思わず笑みがこぼれた。ライオンの方にリリィを怖がっている様子はなく、舌をちろちろ出しては前足をなめていた。


「かわいいわ!ライオンに赤ちゃんがいるなんて」

 リリィが頬を紅潮こうちょうさせて言う。


 プール脇の小屋から誰かがカンテラを下げてやってきた。


「おぼっちゃま、お嬢さま、可愛い子でしょう?」

 カンテラの男が二人に言う。腰に吊り下げた鍵束がチャリチャリいっている。


「ええ、ライオンの子がこんなにかわいいなんて」

 リリィが感激して言った。


「動物の子どもなんてものは、みんな可愛いんですよ。こいつは生まれてすぐに母親を亡くしちまってね、父親のライオンに殺されるところだった。縁あって、こんな遠いところまで来たわけです。母親代わりも見つかりましたし」


 男の名前はルースと言った。このライオンの赤ちゃんを本当の意味で愛してるらしい。ルースはイリヤ生まれの男らしい。若い頃に船に乗って国を出て以来、長らくイリヤに帰ってこなかった。もう一つの大陸、ルナカンティノンで暮らしていたのだ。それがどうにも、このライオンに惚れ込んでしまったらしい。長い航海を共に乗り越えて、戻ってきたのだ。


 ルースは檻を開けて、リリィに仔獅子を腕に抱かせた。赤ちゃんとはいえ、並の猫よりも大きい。


 リリィはたまらなくなって、ライオンの鼻面にキスした。ライオンが眠たげに欠伸して、頭を胸に押しつけてくる。


 幸福で、プールに飛び込んでしまいそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る