第155話 父親②

 リビングのドアが開かれ、海愛の父親・正明が顔をのぞかせる。

 右手にはコンビニの袋が握られており、中にはビールとおつまみが入っていた。


「……そりゃビールとおつまみを買いに行っただけだから、すぐに帰ってきちゃうよね……」


 帰宅した父を見て、半ば諦めたようにつぶやく海愛。


 そんな海愛をよそに、雫と真穂乃は目をキラキラと輝かせながら正明に近寄っていった。


「あの……海愛さんのお父様ですよね? 自己紹介が遅れて申し訳ありません。私、海愛さんのクラスメイトの高牧真穂乃といいます」


「江畑雫です。海愛さんにはいつもお世話になってます!」


 おのおの自己紹介を始める二人。


「真穂乃ちゃんに雫ちゃんか……こちらこそ娘と仲良くしてくれてありがとな!」


 正明も娘の友だちと笑顔で会話を始める。

 世界中を飛び回り現地の人と交流している彼は、娘の海愛とは異なり初対面の人とでも物怖じせずに話せるのだ。


 外見と違ってフレンドリーな父親に真穂乃と雫がさらに詰め寄る。


「あの……私、海愛さんのお父様が飛行機のパイロットと聞いてからずっとお会いしてみたかったんです! ご迷惑でなければお仕事の話を聞かせてもらえませんか?」


「私も聞きたいです! 今までどんな国に行ってどんな人と会ってきたんですか?」


 飛行機のパイロットに話を聞く機会などなかなかないためか、二人とも完全に海愛の父親に興味津々だった。


「俺の仕事に興味持ってくれるのは嬉しいね……よし! 何でも訊いてくれ!」


 正明も顔を綻ばせて二人の質問に答える姿勢を見せている。

 いつの間にか四十歳を超えた中年男性と女子高生二人が仲良く談笑するという不思議な状況になっていた。


「だ……大丈夫かな?」


 その状況をはらはらしながら眺める海愛。


「さっきから何を心配してるの?」


 その隣では彩香が、先ほどからずっと様子のおかしい幼馴染みのことを気にしていた。


「そ、それはその……」


 海愛がまたも口ごもる。

 心配事はあるのに、話すのがためらわれるのだ。


「……海愛?」


 話しづらそうにしている幼馴染みの顔を彩香が心配そうに覗き込む。


 まさにその時だった――懸念していたことが起きたのは。


「……ところで真穂乃ちゃん」


 正明が真穂乃をじっと見つめた。


「はい。何でしょうか?」


「さっき外で会った時は暗くてよく見えなかったんだが……海愛と同い年にしてはおっぱいが大きいな! 何カップ?」


「……は?」


 その瞬間、真穂乃の思考が停止する。

 何を言われたのかすぐには理解できていないようで、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。


 そんな真穂乃をよそに、正明が隣の雫に視線を移す。


「雫ちゃんは……おっぱいは控えめだけどお尻は小ぶりで可愛いぞ! ちょっと揉んでみてもいいかな?」


「え……」


 真穂乃に続き、雫までもが絶句した。


 いや、この二人だけではない。

 近くで聞いていた海愛と彩香までもが言葉を失っている。


「……ん? どうしたんだ、みんな……」


 静まり返った空間で正明が不思議そうに首を傾げる。


 やがて先ほどの言葉の意味を理解したのか、真穂乃と雫が顔を真っ赤にして動揺し始めた。


「「な、ななな……」」


 しかし、動揺しすぎているせいで言葉になっていない。


 仕方ないので、海愛が二人の代わりに父親を非難した。


「あ〜もう! やっぱりこうなった……お父さん! 私の友だちにセクハラしないでよ!!」


 その発言に反論する正明。


「人聞きの悪いことを言うんじゃない! ちょっと雑談していただけだろう?」


「今のを“雑談”で済ませる気!? ヘタしたら事案になってもおかしくないレベルの発言だったよ!? こうなるからあんまり真穂乃や江畑さんをお父さんに会わせたくなかったんだよ……ていうか、職場でも今みたいなセクハラしてないでしょうね?」


「そんなことするわけないだろう? せいぜいキャビンアテンダントや空港の女性職員にスリーサイズを訊ねたり、女性客のおっぱいやお尻を褒めたりするくらいだ! この仕事をやってると、やたらスタイルのいい女性客を見かけることも多いからな!」


「思いきりセクハラしてるじゃない!! そういうのがアウトだって言ってるの!!」


「だからセクハラじゃねぇって! 男同士ならわりと普通の会話だぞ!?」


「だったら、せめて男性だけでそういう会話をしてよ! じゃないと、いつか本当に事案にされちゃうよ!?」


「いや……仮に一万歩くらい譲って俺の発言がセクハラだったとしても今まで大丈夫だったんだから、この先も大丈夫だろう」


「何その自信……」


 そんなふうに口論を続ける父親と娘。

 傍から見たらまるで親子げんかのようだ。


 彩香、雫、真穂乃の三人はその親子げんかの様子をぽかんとした表情で見つめるのみだった。


「なんか……こんなに強気な阿佐野さんってレアだよね」


 父親を激しく非難している海愛を見て、雫がつぶやく。

 海愛は学校では控えめで物静かな方なので、ここまで激昂している姿は珍しいのだ。


「確かに……こんな一面もあるなんて知らなかったわ。お父様も想像してた人と違ったし……意外なことばっかりね」


「海愛の様子がおかしかった理由……ようやくわかった気がするよ……」


 幼馴染みの彩香から見て、先ほどまでの海愛は本当に様子がおかしかった。

 特に用事があるわけでもないのに友人を自宅に上げることに消極的だったり、その友人と自分の父親が話すのを阻止したがっているような素振りを見せていたり……。


 だが、それも今なら理解できる。

 自分の父親がクラスメイトたちにセクハラをしないかずっと不安だったのだ。


 そして案の定、懸念していたことが起きてしまった。


 40歳超えの中年男性が女子高生たちにセクハラ発言をするという事案になってもおかしくない事態。


 基本的におとなしい海愛でもさすがにこれは看過できないだろう。


 ……まぁ、おかげで新鮮な姿を見ることができたのだが。

 海愛がここまで感情を高ぶらせるのは星の話をする時くらいなのだ。


「阿佐野さんも苦労してたんだね……」

「このケンカはしばらく終わりそうにないわね」

「お土産を渡したらすぐに帰るつもりだったんだけどな……」


 未だケンカを続けている阿佐野親子を前に、ただただ苦笑することしかできない三人。


 結局その日、海愛と正明は夜遅くまで口論を続けていた。


 

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