第9話 凄いを通り越して怖いね

 私は一度摘まんだクッキーを、静かに箱の中へ戻す。


「これ、実は美味しくないんでしょ」


「そんなことないわよ。その証拠に……ほら、オッサンも二枚目を食べてるじゃない」


「ええ? 顔の険しさ増してるけど大丈夫?」


 見ると、ジノスが喉元を押さえて悶えていた。

 毒物以外を口に入れて、どうやったらその反応が出来るのか逆に教えてほしい。


「なんか、夜光大陸一ってのも疑わしくなってきたんだけど。本当に向こうで人気あるの?」


「もちろん! 夜光大陸で魔王クッキー専門店の数は三万を越えるんだから!」


「三万店舗って、もはや魔王クッキーに土地が支配されてるレベルだね」


 そんなに売れるクッキーなんて、むしろ気味が悪い。

 裏で依存性の高い薬物とか混入させている疑いがあるのでは?

 マリーカが私に顔を近付けて、そっと囁く。


「ここだけの話、近々こっちの大陸にも出店予定があるのよ」


「へえ、それは怖いね」


 うっかり本音が漏れてしまった。

 けど、怖いものは怖いのだ。

 街中がクッキーを求める人間で溢れ返る社会なんて、私は見たくない。


「まあ、とりあえず一個食べてみなさいよ。そしたら、あんたにも魔王クッキーの良さが分かるわ」


「いや、大丈夫。今、お腹空いてないから」


「そう、残念……ニーナなら『魔王クッキーは別腹です!』って食後でもバクバク食べるのに」


「そうなの!?」


 まさか、ニーナがこんな得体のしれない物を好んで食べていたとは。

 私が知る限り、ニーナの作る料理はどれも絶品。

 味覚がまともな彼女が好んでいるとなると、案外食べても平気な物なのだろうか?


「ニーナ、これ好きなんだ……」


「そうね、前に『多い時は一回で百枚食べました!』って豪語してたこともあったかしら」


「そこまでいくと、凄いを通り越して怖いね」


 はたして、この劇物をニーナはどんな表情で百枚食べきったのだろう。

 ダメだ……俄然、興味が湧いてきた。


「あの、やっぱ一枚だけ貰うね」


「ええ……! 一枚と言わず何枚でも食べなさい!」


 どうしよう。怖いもの見たさが勝って、つい手に取ってしまった。

 ジノスが顎に手を当てて微笑む。


「そうだ、味変がしたいならカピバルミンチョのジャムもあるからな」


「ようやく覚悟が決まったのに、訳の分からない単語で揺さぶってくるのやめて?」


 仕方ない。ここは勢いに任せてパクっといってしまおう。

 私は浅い呼吸を数回繰り返した後、クッキーの端をかじった。




 ――瞬間、強烈な味の波が口いっぱいに広がる!




「おお! 口にいれた瞬間、身体のどこかから表情を押さえきれなくする何かが込み上げてくるね!」


 私は一体、何を言ってるんだろう?

 けれど、そうとしか言い表せない。

 この感動は、きっと食べた人にしか伝わらないものなんだ。


「ふふっ、初めて食べた人はみんな満面の笑みで抽象的な感想を述べるのが魔王クッキーの特徴よ」


「うん、これは思ったよりイケる!」


 何に近い味なのか、そもそも美味しいのか不味いのかすら判断できない摩訶不思議な味付け。

 気付けばクッキーは口の中から綺麗さっぱりなくなっていた。


「おかわり、いるかしら?」


「ちょうだい!」


 私はマリーカから箱ごと受け取り、次から次へと口に放り込む。

 一枚、二枚、三枚……どれだけ食べても全く飽きはこない。


 むしろ、食べれば食べるほど身体が次の一枚を求めてくる。

 異様な盛り上がりが食堂を包む中、キッチンで作業していたニーナが私たちの元へお茶の載ったトレイを運んできた。


「わあ、魔王クッキーじゃないですか! 美味しいですよね、これ!」


「ニーナも好きなんだってね」


「はい! 特に、このアルピカンヌザバストリー味には目がありません! 流石、魔王城限定発売なだけあります!」


「ふーん……ん?」


 魔王城って、つまり物語に出てくるような魔王が住んでいるお城ってこと?

 ファンタジーな世界観だとは思っていたけど、そんな存在まで居座っているとは驚きだ。


 ニーナは腕組みしたまま、何度も頷く。


「うんうん、分かります! 驚きますよね! なんたって、あのアルピカンヌザバストリーなんですから!」


「いやいや、私が驚いてるのは、この世界に魔王城とかいう物騒な建物が平然と存在しているという事実に対してなんだけど」


 ついでに、魔王城に売店があるという点についても。

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