第31話 バトル本番

「すみませーん、隣の高橋です。ちょっといいでしょうか」と声をかけてインターフォンを押すと、疑いもなく進藤はドアを開けた。「朝早くからごめんなさい」、凛子はドアを大きく開いた。龍志が入り込もうとすると進藤は焦ってドアを閉めようとしたが、玄関内に1歩踏み入れた凛子の靴でドアを閉じられない。男は室内に走り込んで裏から逃げようとしたが、窓の外には2人の男が待っていた。

「誰だ! いきなり部屋に押し入って何だ、警察を呼ぶぞ!」

「かまわん、早く警察を呼べ! 君は進藤勉くんだな、美由の兄の龍志だ。俺は歌舞伎町のホストだが、女から金を騙し取ったことは1度もない! 美由の金を売掛金の焦げ付きに補填したのか? 正直に言え! 警察を呼ぶのは俺だ!」

 龍志は手足をバタバタさせて必死に抵抗する小柄な進藤の襟首を吊り上げ、椅子に座らせた。

「騙し取ったんじゃない、借りたんです。それだけのことです」

「何と言って借りたんだ? 自分の借金の尻拭いと言ったのか、はっきり言えよ!」

「違う! ホストを辞めてAIの学校で勉強したいから金を貸してくれと頼んだら、あっさり金をくれた」

「金をくれた? 美由が金を持っているのを知ってターゲットにした、そうだな? 店の経営者は美由に慰謝料が入ったことを噂で知っていた。そいつに唆(そそのか)されたか? ツケを回収できないなら美由の金を狙え、そう言われたか? 正直に言え!」

「まあそんなところです。金は店に払ったから残ってません。警察でもどこでもお好きな所へ突き出してくださいよ」


 ふてくされた進藤が携帯に手を伸ばそうとしたとき、間髪を入れず凛子はその手をパコーンと払い、腕をねじ上げてこう言った。

「恥を知れ、カス! それでも男か!」 

 驚いて凛子を見た龍志は、掃き出し窓のガラス越しに室内を覗いている男に初めて気づいた。ヘルプ・ホストのイサオとタクヤがピースサインでにっこり笑った。ヒロキさんが俺を心配してヘルプに付けたのか……


「今すぐ警察には突き出さない、美由と話してからだ。君が本当の理由を言って美由から金を借りたなら何も言わないが、君がやったことは詐欺だ。わかるか!」

 進藤は俯いて膝の上に置いた自分の手をじっと見つめていた。

 凛子が進藤に話しかけた。

「進藤くん、キミはさっきお金は借りたと言ったわね。だったら借用書を書きなさい! 金額は500万よ。もっとあるのは知ってるけど少しオマケしてあげるわ。書き方は教えるから心配しないで」

 凛子は収入印紙が貼られた借用書を出して、進藤の背後に立って監視しながら借用書を書かせた。時折、デジカメでその様子を撮影した。ハンコは持ってないと言い張る進藤の指を持参の朱肉の上に導き、確実に書面に拇印を押させ、捨印をベタベタと押させた。

 龍志は借用書の文言を追いながら、

「君は働き始めてたった4カ月でなぜこんなに借金があるんだ? 1つは店の方針や売掛制度だろうが2つ目はホストの君に魅力がないからだ。俺は先輩だからよく知っているがホスト稼業は楽な仕事ではない、厳しいぞ。安い酒を高く売りつけて夢を届ける商売だ。夢から覚めて現実に戻った客はそんな高い酒のツケを払いたくないだろう、当り前だ! 君はちゃんと払ってくれる太客が付くように自分を磨け! それが出来ないならホストをヤメロ! 周りが迷惑だ。最後に言うが美由はもう金がない。金は親父が管理することになった。君はまだ出直せる歳だ。女を騙して金を巻き上げるな! おい、みんなご苦労さん、帰るぞ!」


 男のアパートを出て親父に連絡した。

「どうだ、会えたか? どんな男だ?」

「会った。どこにでもいる普通の男だ。騙し取ったんじゃない、借りたと言ったから500万の借用書を書かせたが、金は戻らないだろう。その金は店に吸い上げられている。もう美由に金はないと告げたが、別れろとは言ってない。これは美由が考えることだ。

 僕を心配して職場から若手が密かに応援に来ていた。彼らを送ってから、美由が働いている幼稚園に行く。多分、勤務は4時頃に終わるだろう」

 14:49発の新幹線で東京へ戻るというイサオとタクヤに、龍志は持てないほどの土産や弁当を託したが凛子は、

「龍志さんを心配してくださったボスにこれを見せてくれますか」

 龍志と進藤のやり取りを収めた小型ビデオレコーダーを預けた。ヘルプ・ホストたちは刑事ドラマの撮影みたいで面白かったと東京に去った。彼らを送って、

「親父と美由に聞かせようと僕も録音したが、君はビデオレコーダーを渡したがいいのか?」

 凛子はポケットからボイスレコーダー、袖先から超小型ビデオレコーダー、デイバックから防犯ブザーを取り出した。

「もしヤクザに囲まれて龍志さんがヤバかったら私の出番だと、睡眠スプレーやスタンガンを持って来ました」

 はぁー、スパイ映画に出てきそうな女だ。頼れるカミさんになるだろうが…… ふーっ、龍志は感謝する前に呆れてしまった。


 凛子を連れて幼稚園に向かった。親父は突如現れた大きな女に驚いた様子だった。

「龍志、その人は警察の人か」

「父さん、僕はこの人と結婚したいと思っている。今日は彼女に随分助けられた」

「そ、そうか。龍志の父で一条惣太郎です。これは家内の寿々子です。よろしくお願いします」

「初めまして石川凛子と申します。こんなときにお会いするとは思ってませんでしたが、また日を改めてご挨拶できればと願っております」

 凛子が挨拶していると、美由が同僚と別れて園から出て来たが、両親と龍志に気づいて園内に戻ろうとした。

「待て! 待つんだ!」

 龍志は立ち止まって振り向いた美由の頰をバチーンと叩いた。


「目を覚ませ! お前はあの男を愛してはいない、男もそうだ。ふたりは出口が見えない虚しさで寄り添っただけだ。あの男にお前と付き合うなとは言ってない、それはお前らの問題だ。お前があの男の言いなりを続けると“姫転がし”だ。あいつの借金をチャラにするために風俗に売られる。だがな、客が喜ぶのは10代の女だ、若い体だ。毎日10人以上の男を相手にして、3、4年後に借金はさらに膨らんでお前は朽ち果てる。そんなもんだ。考えてみろ、そのとき親父はいくつだ?

 あの金は宝くじに当たった金じゃないぞ。それをわかっていながらこんな使い方をするとは考えられない! どうしたんだ! 甘えていないで生きる道をみつけろ! こんなお前を見たくない。俺は帰る! 凛子、帰るぞ!」

「兄ちゃん……」

 美由は叩かれた頰を押さえて、足早に立去る兄の後姿を呆然と見つめた。凛子はボイスレコーダーを龍志の父に握らせ、小走りで龍志の後を追った。


 東京に帰る新幹線で車窓を走り去るトンネルと遮音板をぼんやり眺め続ける龍志に、

「龍志さんがもっと好きになりました。もし美由さんが大変なことになったら助けましょう、そのつもりなんでしょ。龍志さんのようなお兄さんが欲しかったと思いました」

「僕も凛子がもっと好きになった。考えてもみなかったあのサポートには驚いて言葉がない」

 にっこり笑う凛子の額にキスして、私も妹になりたいよと言った三千円を思い出した。あの子はしっかり歩いているようだ。あの子にやれて美由に出来ないはずがない。心配でも甘やかしてはダメだ。美由が覚醒するのを待つしかないか……

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