第29話 凛子の決心
どうやら美由は長岡でリセットして元気にやっているようだ。携帯では陽気に喋りまくる。俺は凛子のことを報告した。
「やっと恋人らしき人に会えた」
「やったね! どんな人、教えてよ」
「会社員で普通の人だが、まだ仕事に夢中だ」
「紹介してよ。今度の土曜日に行ってもいい? その人に会いたい」
「く、くっ、来るな。その日はデートなんだ、ジャマするな。そのうち紹介するから待ってろ」
「へぇ? 兄ちゃんはマジなんだ。あのさ、兄ちゃんは仕事でいつも女の人に囲まれてるけど、本当はピュアだから騙されてない、大丈夫? お願いだから私みたいに失敗しないで。そうだ、写メちょうだい」
「わかったよ」
俺は凛子と館山に旅行した時にホテルの人が撮ってくれた画像を添付したが、それからしばらく美由からアンサーはなかった。
ある日、凛子から三千円が勤務する美容室に連れて行かれた。先輩スタイリストのアシスタントをしていたあいつは、指名客の来店を告げられて振り向いた。俺たちの前に来て、両手をヘソあたりに重ねて深々と頭を下げた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
へぇ、あの三千円が? 異次元のアンが? 驚く俺を気にせず凛子は微笑んだ。
俺たちを指名客専用のブースに案内した三千円は、サッとカーテンを引いて凛子に抱きついた。
「お姉さん、会いたかったよー」
「よく頑張ったね。すごく嬉しい!」
凛子の言葉にあいつは涙を浮かべて小さな声で、
「お姉さんが私を信じてくれたから頑張れたんだ、嬉しかった。カットは得意なんだよ。バサッとカットすると心がシャキッとして気持いいんだ。お兄さんをベリーショートにしようかなぁ」
「イヤだ、断る。僕はこれから仕事なんだ、ツンツルテンにするな、ほどほどで頼むよ」
「だったら少しだけカットしてウェーブかけたいなあ、もっとセクシーにしたい。そしてお姉さんはノーマルなボブをくびれカットにして、フェミニンに見せようかなあ」
凛子の髪は襟足をレイヤーカットしてメリハリをつけられ、龍志は毛先にウェーブパーマされてモデルふうになった。人生初のパーマだった。三千円は完成したヘアスタイルを合わせ鏡で見せてくれた。
「ほう、悪くないな。けっこう上手いじゃないか」
「はい、ありがとうございます。この画像を店先に飾ってもいいでしょうか?」
OKした凛子にメーキャップを加えて、いっそう艶やかな印象にしてデジカメで撮った。
アンから最上級のお辞儀で見送られた俺たちは顔を見合わせた。
「あのお辞儀は君が教えたのか?」
「そうです。アンちゃんはペコリしか知らなかったの。必ず立ち止まって相手の目を見てからお辞儀はするものよと運動部のノリでシゴいたわ。両足はぴったり閉じる、体は揺らさない、お辞儀だけで半日かかったかな。スポーツの経験がないアンちゃんは体幹がしっかりしてないのよ」
「あいつは君のことをモンスターって言ったがよくわかったよ。しかし今日のモンスターはすごく綺麗だなあ、つい見とれてしまった」
凛子が輝いて見えた。
「龍志さんはいつまで私の恋人でいてくれるのかなあと不安になります。ひとつだけ、おねだりしていいですか?」
「何だろう? 僕に出来ることだったらいいけど」
「あの~ 私と一緒に暮らす気はありませんか?」
「はっ? どういうことだ?」
「あーっ、やっぱり龍志さんは鈍いのね。目覚めたときは隣に龍志さんがいつもいて欲しいの。でも仕事は続けたい、まだ結婚したくない気持ちもあるの」
「うーん、ふたりで暮らすってことは同居か、同棲か? 同棲しても僕とは結婚はしたくないのか?」
「いいえ、そうじゃないの。龍志さんしか考えられないけど、毎日ご飯作って洗濯して掃除機かけて、そんな生活が出来るかなって不安なの」
「君が言う不安はわからないが、僕の仕事は夜だ。君が帰って来たときに僕はいない。朝になると君は仕事に行ってしまう。僕の不安は同居しても互いが休みのときしか寄り添えない、それが不安と言えば不安だ。だがさっき君が言った不安はウソだ。何が不安なのか本当のことを言ってくれないか。僕の気持ちは君と暮らしたい、結婚したい。君は僕を信用できないのか?」
長い沈黙がふたりを支配した。
「そうですね。龍志さんと結婚したいけど怖いのかも知れません」
「何が怖いか、結婚することか? それとも僕が怖いのか?」
「両親は20年以上も仮面夫婦です。私が幼稚園のときに親戚のお姉さんが父の秘書になって、家に入りました。優しいお姉さんでよく遊んでもらいましたが、高校生になって彼女の正体を知りました。親戚のお姉さんではなくて父の愛人でした。外に愛人を囲うと噂になるので同居させたのです。後援会や選挙の影響を考えて妻妾同居をしたんです。母は時々ヒステリックにその人に八つ当たりしていましたが、県議夫人の肩書きにしがみついています。そんな母を見ていると私もそうなるのかと、不安になります」
「君らしくない考えだ。僕は妻妾同居を選択肢するほどの地位と職業には無縁でそんな甲斐性もない。いつまでホストを続けられるかわからないが、結婚しても当分は時間的なすれ違いはあるだろう。君はまだ本当のことを言ってない、ご両親の妻妾同居と僕たちが暮らす、暮らさない、結婚することは無関係だ。違うか? どこかでご飯食べよう。そのあと僕は仕事だ」
龍志は部屋のキーを凛子に渡して仕事に向かった。
仕事を終えての帰宅途中で美由の携帯があった。
「兄ちゃん元気? あのさ、年下だけど好きな人がいるの。兄ちゃんはどうしてる?」
「好きな人って恋人か?」
「うーん、そうかなあ。だいたいこの時間にデートしてるの。でも心配しないで、子供じゃないからさ。それよりさ、兄ちゃんは恋人とはどうなったのよ?」
「ああ、どうなるかわからん。振られそうだ」
「へーっ、兄ちゃんを振るんだ。あの人って、何だかヨロイを着て強がっているとこがない? そう見えた。あっ、彼が来たから切るね」
龍志は不思議に思った。どうしてこんな真夜中にデートするんだ? 夜勤か? まさか水商売の男か? 俺の考え過ぎかも知れないが不安は広がった。美由がどんな男と付き合おうと頭から反対しないが気になった。起きているかわからないが親父に電話した。
「龍志か、こんな時間にどうした? 何かあったか? それとも美由が心配か? 美由なら元気そうだ」
「父さん、変なことを訊くが美由に慰謝料が入ったことを近所は知っているか?」
「知ってるだろう。1千万といえば大金だ。それに田舎のことだ、噂は広まっただろう」
「その金は父さんが管理してるのか? 大金を持った女に男が近づくことはよくある。美由がそうとは思いたくないがちょっと心配なんだ」
「管理はしてないが金は郵貯にしてもらった。500万は3年定期、あとは確か100万の1年定期を3本、残りは普通預金だったと思うが、それがどうした? 何を訊きたいんだ? 通帳と印鑑は美由が持っている」
「そうか…… 美由から好きな人が出来たと聞いたが、あんな目に遭ったから幸せになって欲しいが気になった。父さん、美由の金の動きは調べられるか? どうにかして調べて欲しい。10万単位で引き出されてないかだ」
「わかった。やってみるが、美由はどんな男と付き合っているんだ?」
「どんな男が知らないが、僕の商売上のカンから言えばグレーゾーンだ。父さん、頼む、急いで調べてくれ!」
龍志が部屋に戻ると凛子は眠っていた。起こさないように横に潜り込むと、凛子は目を閉じたまま俺に抱きついたが頰に涙の跡が残っていた。夜明け間近、龍志は爪先から逆流する衝動で目が覚めた。乱暴にキスして起こした凛子と重なり、
「君は僕を捨て去って独りで生きていくのか?」
「いいえ、心の中に潜む邪悪で恐ろしいものと闘っています」
「君が闘っているものは何だ?」
「龍志さんを独り占めにしたい欲望といつかは捨てられるかも知れない絶望です」
「捨てられるのは僕かも知れないのに、なぜ見えない未来を覗こうとするんだ? 考え過ぎては生きていけないと誰かに言われたことがある。君と一緒になりたい気持ちは変わらない」
突然、凛子は龍志の上に重なり、
「帰りたくない…… 本当はずっとここにいたい」
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