第27話 本当の恋人

 部屋に飛び込んで凛子をバスルームに追いやり、これで我慢しろとスウェットを渡した。Diorのメンズソープの香りを漂わせて凛子が出て来た。バトンタッチして俺はシャワーを浴びたが雨はまだ降り続いていた。タオルを巻いて部屋に戻ると凛子は壁にもたれて座り込んでいた。

「どうした? 寒いのか、気分が悪いか?」

「違います。龍志さんは私が嫌いですか、答えてくれますか?」

「嫌いじゃない、好きだ。正直に言うが君を1日中想ってはいない。だが、今ここに君がいたらこんな話をしたい、君はどんな言葉を返すだろうか? そんなことをふと想像してニヤついてしまう」

「もうひとつ答えてください。私たちは永遠に本当の恋人になれませんか?」

「聴いてくれるか。君を好きだが君の夢と将来を潰したくない。思い出してごらん、僕たちがニセの恋人だった時間はとっくに過ぎた。本当の恋人になれるかわからないが僕はなりたい。質問に答えたが君はどう思っているかわからない。話の途中で悪いが時間だ、仕事が待っている。僕が戻る前に君が帰るなら、この鍵を外のメーターボックスに隠してくれないか」

 龍志は濡れた髪を整えてスーツに着替え、首筋と胸にメンズ香水をプッシュし、ルームキーを置いて部屋を出たが、凛子は壁に持たれたまま両膝を抱えていた。


 龍志の帰宅は遅かった。ケンタにちょっとしたトラブルがあってヒロキさんが仲裁に入ったが、終業後に俺はヒロキさんに相談されて、あーでもない、こーでもないと時間が空転した。もう午前2時過ぎか、こんな遅い時間じゃ凛子は帰っただろう、メーターボックス内の鍵を捜したがなかった。半信半疑でインターフォンを押すと足音がした。

「お帰りなさい。もう帰って来ないかと不安でした」

「いや、それはない。君がいるか気になったがアクシデントがあって遅くなった。待っていたのか」

「そんな言い訳はやめて早く仕事の汗を流してください。お腹は空いてますか?」

「あまり食べたくない」

 それから俺たちはいろんな話をした。故郷や子供の頃や仕事の話は尽きないと思ったが、凛子は急に黙ってしまった。俺を見つめていきなり言った。

「私を本当の恋人にしてくれませんか」

 はあ? どういうことだ? からかっているのか? 迷った俺の手を引っ張り、凛子はドボンとベッドに転がった。

「ちょっと待ってくれ、本当にいいのか? 抱いてもいいのか?」

「私は恋人なんです」

 凛子はスウェットを脱ごうとした。

「待ってくれ、それは僕の役目だ」

 凛子が微かに笑った気配がした。


 カーテンから漏れる光の中で凛子はまだ眠っていたが仕事があるだろう、起こそう。キスすると驚いて目を開いた。

「よく眠れたか?」

「ええ、よく眠れました。龍志さん、ありがとう」

 ありがとうか…… 起きようとする凛子を抱きしめて、夢中で抱いてしまった。


 それから3日経った。凛子が残したワンピースが窓辺で揺れている。あんなことがあって照れくさくて連絡できなかった。我慢していたが凛子からの電話はなかった。3日目の朝、元気な三千円の声で起こされた。

「おはようございます。アンです。電話よろしいでしょうか」

 なんだ? ホントにあいつか?

「どうした、元気か、仕事はいつからだ?」

「はい、元気です。お兄さん、いつものようにしゃべっていい?」

「いいよ、君がマジメに話すからおかしくなったかと驚いたよ」

「今ね。お姉さんとこから帰る途中なんだ。綺麗なおじぎや正しい接客を習ったんだよ。地獄の特訓でヘロヘロになったけど、どんな客でも絶対大丈夫だって自信を持てた。でもさ、お姉さんは厳し過ぎ! モンスターだった」

「凛子さんのとこへ泊まったのか?」

「そうだよ。ご飯作ってくれた。あっ、電車が来た、お兄さん、ありがとう!」

 なんだ、ありがとうって? モンスター?


 凛子は仕事中だろうとメールにしたが、すぐ携帯が返って来た。

「ごめんなさい。電話しようとしたけどが何だか恥ずかしくって。服も借りたままです。いつ会えますか?」

「同じだ、きまり悪くて電話できなかった」

 凛子が小さく笑うのが聞こえた。

「思い切って言うが日曜日にデートしたい、行き先は南房総だ。車で迎えに行くが泊まりだ。君と本当の恋人になったのは僕の部屋だったが、君にふさわしい初めての場所があるはずなのに、悪かったと思っている。もっと君を知りたい、ずっと話していたい。来てくれるか?」

 しばらく無言だったが、連れて行ってください、小さな声が届いた。


 日曜日、凛子はインクブルーのセーターに紺色のスリムパンツと白いスニーカーで俺を待っていた。あのセーターは俺がモデルをやった品だ。好きな色だから記憶にあったがネットで買ったのか? あれはメンズのMサイズか? 想像した龍志は楽しくなった。

 渋滞はなく昼過ぎに千葉でランチにして、時間を惜しむように館山に車を走らせた。海が見渡せる小高い丘に建てられたホテルだが、最上階の部屋から眺める眺望はオーシャンビューだった。

「おいで、一緒に入ろう」

 部屋専用の露天風呂に入ってふたりは大海原に消えゆく小舟を見つめた。アレがだんだん熱くなってどうしようもない。凛子を引き寄せて終わりがないディープキスを続けた。いつ終わるかわからないキスに腕の中で崩れた凛子の頰を軽く叩くと、うっすら目を開けて微笑んだ。

 凛子を抱えてベッドに運んで体中にキスしたが、「ごめん、我慢できない、もうダメだ!」、凛子に押し入った。幾度も突き上げて限界を突破したアレは大きく身震いしてクライマックスを迎えた。その瞬間、凛子から小さな悲鳴が漏れた。

「驚いたか? 夢中になって恥ずかしかったが僕は嬉しい。愛する人を抱く幸せを初めて知った」

 凛子は龍志の胸に顔を埋めて呟いた。

「もう少しこのままでいたい……」

 寄り添う凛子が愛おしかった。抱き合って同じ夢を追うふたりに、「お食事のご用意が出来ました」とコールが入った。


 龍志はスーツ、凛子はワンピースに着替えてメインダイニングに向かった。新鮮な海の幸と山の恵みがコラボされたディナーに凛子は目を見開き、

「最高に美味しいです! すごい山海のご馳走です。龍志さんありがとう!」

 唇にベシャメルソースをつけたままの凛子が可愛かった。手を伸ばして拭こうとした俺の指を捕まえて、

「美味しそうだわ、これも食べてしまおうかな」

 本当に口の中に入れて笑った。つい甘美な瞬間を妄想した俺のアレがビリっと痺れた。

「少し酔いましたか、顔が赤いです」

「そうかな、仕事の酒は酔わないが本当は強くないんだ。オフは缶ビール程度だ」

「だからジムに通ってお酒を飛ばすんですね」

「それもあるが、貧弱な体を鍛えているうちに面白くなった。怠けると体は敏感に反応する。すっかりクセになった」

 何を思い出したのか凛子は頬を染めて俯いた。そんな凛子に気づいた龍志は早く部屋に戻りたくなった。

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