時雨太夫 東海道編
艶
小田原の宿
第1話 壱
「暑い」
最初は潮風に吹かれる海岸線を歩いていた。涼しいのは良いことだったが、時雨の長い髪には吹き付ける潮風がうっとおしかった。
そこで街道沿いに戻ってきたのだ。
海岸線に比べて格段に歩きやすくなったのだが、今度は周りの雑木林から聞こえて来る蝉の声が暑さを煽り時雨の忍耐力を奪っていた。
(もう疲れた。今日はここで野宿するかなぁ)
天を仰ぐと青く澄み切った空、凛然と輝くお日様が容赦なく自分を照らしている。歩くのにも飽きてきたし、疲れが限界に来ていた時雨は草をかき分け雑木林の中に入っていく。
そこは街道と違い日影が多く、多少蝉の声がうるさくても快適であった。
時雨は街道から少し奥に入り、少しだけ開けた場所を見つけ木に寄りかかりながら座り込んだ。
竹筒の中の水を少しだけ口に含む。
喉を温い水が通り抜ける。それでも身体中に清涼感が走り抜けた。
(ああ、中山道の方が良かったかなぁ)
時雨は自分の髪をそっと撫でた。吉原では
元々時雨は中山道を通って京都を経由してそこから長崎までの道を進む予定だった。なぜ今東海道を進んでいるかというと、単に海を見たくなったという時雨の気まぐれのせいだ。
時雨は自分の気まぐれを呪いながら、顔を上げ木々を見上げる。
「だれか、誰か助けて!」
雑木林の中に悲鳴が響き渡る。がさがさと草をかきわける音がして数人の走る足音が近づいてきた。
すぐ近くを半裸に着物を着崩した女性が駆け抜けようとし、その後ろから更に数人の男たちが足早に追いかけてきていた。
時雨は眼を合わさないように笠を深くかぶろうとしたが時すでに遅し、娘と目が合ってしまっていた。
「お侍様、助けてくださいませ」
半裸の娘は突然進路を変え時雨に近づいてきた。
時雨の恰好は男装で木に二本の太刀を立てかけていた。当然侍と勘違いされる。
娘は時雨に抱き着く。
その後ろからは三人の男たちがそれぞれの手に得物を持ち、立ち止まった。男たちはぞれぞれ持っている得物を構える。
「お願いいたしますお侍様、お助けくださいませ。わたくしの両親は箱根の宿で温泉宿を営んでおります。お礼はいかようにも致しますのでなにとぞ……」
娘は眼を潤ませながら時雨に訴える。
温泉宿……、時雨はその言葉に一瞬目の色を変えた。身体を綺麗にしたいと思っていた矢先のこの言葉。それだけでもこの娘を助けるには十分な言葉だったのだが、それよりもこの娘の見目。
この娘は見目麗しかったのだ。
「おう、おめえ。 余計な事するんじゃねえぞ」
男たちの中の一人が
「娘は渡せぬな」
そう言うが早いか時雨は一瞬で跳ね上がった。すでに太刀は抜きはらわれ、先頭に立ち近づいてきていた
「か」
男は何かを言おうとしたがすでに声にはならず、鮮血をまき散らしながら前のめりに倒れかける。
そのまま一回転した太刀は男の首筋に消え入った。
それは美しい軌跡を描く綺麗な太刀筋だった。
そのまま少し後ろにいた短槍の男に横薙ぎを入れる。男の短槍を持った手が斬り裂かれる。短槍の男の手は骨ごと断ち斬られ半分ぶら下がった。
時雨はそのまま前に出て短槍の男の首筋に太刀をあてがうと、身体を一回転させ引き斬った。
血が噴き出す前に時雨は男の腹を蹴り、最後の一人の方へと弾き飛ばす。男同士がぶつかり、最後の古びた刀を持った男と絡み合って倒れる。
すぐに近づき倒れこんだ男の首筋に太刀を突き込み止めを刺す。男はびくんと身体を震わせると動かなくなった。
時雨はゆっくりと指で太刀の血を拭うとそのまま
「さあ、お嬢さん。あなたの家へと参りましょう」
時雨はゆっくりと振り返ると木のそばに座っているであろう娘を見る。そこには気に寄りかかり失禁しながら気絶した娘の姿があった。
「あらら、やり過ぎたかな。しかし可愛らしい娘だなぁ。口吸いくらいご褒美でいいかな」
竹筒から口に水を含むと娘の口に軽く唇を当て、水を流し込む。ぴくりと娘の頬が引き
時雨は娘の口から名残惜しそうに唇を離すと、三人の
(娘が目を覚ますまでこいつらの懐でも漁るとするかな)
殺した三人の懐を探り、いくばくかの金銭を手に入れ、無傷で残っていた短槍を手に取る。なかなか使い勝手のよさそうな短槍だ。
時雨は普段使いにこの短槍を使おうと決め、背中に括り付けるとまだ気絶したままの娘の肩に手をかけゆっくりと揺さぶり目を覚まさせようとするのであった。
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