第46話 ノワール



 アレックスの出番は第三部の最後だ。これには閣下とその側近を少しでも長く引き留め学園の生徒達を披露したい学園の思惑も関係している。


 とはいっても、生徒も来賓も本日閣下が来臨していることは知らない。騒ぎになるからだ。


 アレックスの出番の筈なのに曲が始まったのにアレックスは舞台に現れない。先程の衣装の件もあって心配で見に行こうとしたその時、シャンと美しい鈴の音が鳴り響いた。


 ただその響きだけで鎮まるざわめき。ただ鈴を鳴らす。それだけの事で今、この場を掌握しアレックスは登場した。


 華麗に鈴を響かせながら、艶やかに颯爽と舞台を進む姿に魅せられる。腰骨の位置まで高く入ったスリットが歩く度に翻り清楚な純白の上衣からちらりと覗く深紅が鮮烈だ。


 舞台中央、辺りを睥睨するように立ち止まる姿に圧倒される。伏し目がちな目元にキラキラと眩く光る長い睫毛が影を落とす、眦の紅と相俟ってこの世のものと思えないくらい神秘的で人在らざるもののような威圧感すら感じられた。


 キラキラと照明の光を反射しながら、ゆっくりと瞳が上向く。


 目元の影が消え、明るい翡翠の瞳が現れる。どんな宝石よりも尊い光、辺りを払う荘厳な雰囲気の中、アレックスが私に向かいいたずらっぽく微笑んだ。


 艶やかなアレックスに息を呑む。


 先程までの緊迫感が一気に和らいだ舞台で、可愛らしくアレックスが月華の舞を舞う。基本に忠実な一般的な月華の舞の筈なのに、とんでもなく愛らしくてそれでいて幻想的で目を離せない。


 重なりあった衣が透けて桜色にみえる衣がひらひらと舞い、美しい鈴の音色が鳴り響く。長い袖が翻り幻想的な美しさだ。


 一番の山場を乗り切った瞬間アレックスに異変が起きた。


 普通はわからないくらいの小さな変化。アレックスの元に向かおうとした私をアレックスが目で制した。



 舞が変わった。いや、アレックスの雰囲気が一変した。


 先程までの愛らしく元気な舞から、しっとりとした雰囲気に変わる。緊迫感がアレックスを変えたのか?



 アレックスがふと閣下を見て、悪い笑みを浮かべた。嫌な予感がする。この顔をしたアレックスには要注意だ。手元にすぐ幕を降ろせるよう魔法玉を精製する。



 アレックスがこちらを見ながら淡い桜色の上衣のボタンに指先を這わせた。桜色のボタンをしなやかな指先で弄ぶ。それだけで身体の血が滾る。なのに、あろうことかアレックスはそのボタンを外した。


 観客席のどよめきがすごい。



 この部分で脱ぐものは多い。多いが、まさかアレックスがするとは誰も考えもしなかっただろう。むろん私も。



 どよめきなど素知らぬ顔でアレックスは二番目のボタンに向かってゆっくり指を這わせて行く。


 客席が固唾を飲んで見守る中、少し困った顔で焦らすようにゆっくりその場でターンした。アレックスの頼りなげな儚い表情に心を奪われる。


 アレックスの綺麗な肢体に沿うように縫製された衣装が美しい。アレックスの動きに合わせて揺れる袖や裾から深紅の衣が覗き、鈴飾りがシャラシャラと音を響かせる。複雑に結った髪に黄金の鈴飾りがうねるように絡み付いて私の独占欲を顕していた。


 牽制にと思ったが役に立ったな、私は心の奥底でうっそりと嗤った。



 ゆっくりとターンし終わったアレックスは客席を睥睨し艶然と笑った。先程までの儚い感じから一変した支配者の顔。閣下を思わせるその表情に後ろの四天王のお歴々までもが息を呑んだのが分かった。


 この人は今、この場の人心を完全に掌握きっている。いや、この先もずっと掌握し続けるのだろう。この人の為なら全てを犠牲にする人間がこの先有象無象に現れるのだと考えて頭を抱えた。


 この人たらしが…。



 舞台上から支配者の表情で、臣下に褒美を与えるように第二ボタンを外した。



 観客席から歓喜のどよめきが聞こえた。たったボタンふたつで老若男女を支配してみせたアレックスが到底手に入れることが叶わない程遠く思えた。


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