祠
──これは、ひどい。
祠のある場所まで来た千早が、真っ先に思ったことだ。
日が昇っているときとは比べものにならないほど、瘴気の濃さが違う。こんなにも禍々しく、肺に入れるたびに咳き込みたくなるほどの瘴気は千早も初めてだ。隣にいる伊吹を見ると、彼は表情を歪めて左腕で口元を塞いでいた。
「なんだこれ、こんなにも瘴気が漏れ出してるのかよ!」
違う。千早の考えているとおりであれば、これは今が夜だからだ。日が昇れば瘴気は薄くなる、はず。
封印について喚く伊吹を余所に、千早はスカートのポケットから自身のスマートフォンを取り出した。電源ボタンを軽く触り、待ち受け画面を表示させる。見たいのは現在の時刻。
その時刻を見て、千早は息を呑んだ。
思ったよりも時間が経過している。まだ今日だと思っていたがそれは昨日となり、明日が今日に変わっていた。
だとしても、これは仕方のないことだ。伊吹はどうか知らないが、千早はこの祠までの道程は慣れているとはいえ、暗闇の中で歩く山道は危険だ。明かりも懐中電灯一つしかなく、慎重に歩く必要があった。
スマートフォンを仕舞い、千早は来た道を振り返る。
もう、彼らが動画を撮りに来ているかもしれない。入り口付近にいる祖父達は大丈夫だろうか。
もしも、突破してしまっていたら。
そんなことは考えたくもないが、伊吹の話では彼らはすぐに手が出るとのこと。話し合いで解決できればいいが、この話を聞いている分には望みが薄い。そうなれば、祖父達も無事では済まないだろう。
だとしても、このようなところにスサノオの血も継がない普通の人間が来てはならない。血を継ぎ力をも継ぐ千早と伊吹ですら、ここに長時間いるのは危険だ。
──お願いだから、話を聞いて。帰って。ここには、来ないで。
そんな千早の願いも虚しく、複数の若い男性の声が聞こえてきた。音一つない静かな山には似つかわしくない、不快な笑い声が。
伊吹を見ると、彼も険しい表情で千早が見ていた方向を睨み付けている。
祖父達は止められなかったようだ。怪我をしているであろう祖父の元へ今すぐにでも行きたいが、ここを離れるわけにはいかない。
柄をスマートフォンを入れたポケットとは逆のポケットに入れ、千早も伊吹と同じ方向を見た。
張り詰めた空気が変わっていくのがわかる。まるで、侵食されているかのように。
やってくる。彼らが。
来てほしくなかった。
「はーい。邪魔が入っちゃいましたが、呪われた祠にとうちゃー……くって、まーた、邪魔が入ったようでーす」
「うわ、何ここ。空気重くね?」
「え、なになに? もしかして、こんなところでいちゃついてたの?」
「邪魔しちゃって悪いね! あ、よかったら俺らと一緒にコラボする? 緊急コラボー! っつって!」
蛍光色のパーカーを着た男性が五人。レッド、ピンク、オレンジ、グリーン、ブルー。あの動画に映っていた彼らだ。戦隊ものを意識しているのかと思ったのを覚えている。
機材を持った三人が遅れてやってきた。その三人はメインの五人とは違い、イエローで統一されている。
「おい、ジジイ達はどうした」
伊吹の声ははっきりと怒りを含んでいた。その怒りは、ここに来てしまった彼らへ向けてのもの。
それに気付いているのかはわからないが、レッドとオレンジの服をそれぞれ着た男性二人がこちらに近付いてきた。伊吹に近付くと挑発するかのように少し姿勢を低くし、彼の顎辺りから見上げてくる。
「あ? あのジジイ達と知り合いなの?」
「ボコっちゃったわ、ごめんごめん」
「そん、な……おじいちゃん!」
「おやおや、おじいちゃんだったのぉ? ごめんねぇ? これで許して?」
千早の前にピンクの服を着た男性が立ち、頭を撫で、髪を一房取って口付けてきた。
その行動すべてに腹が立ち、千早は力を込めて払いのける。
「帰ってください! ここは心霊スポットなんかじゃない! そもそも、あなた達が来ていい場所じゃない!」
「いってぇな……優しくしてやってんのにこれはねぇって。躾してやんねぇと、なぁ?」
「千早!」
伊吹が名を叫んだところから、千早には何が自分の身に起きたのかわからなくなった。
気が付けば倒れていて、何故か鉄の味が口いっぱいに広がっていた。右頬もじんじんと熱い痛みを持っている。
「千早! くそっ、何やってんだお前!」
「はいはい、お前も黙れってーの」
千早が呆然としているうちに、伊吹はグリーンの服を着た男性に羽交い締めされ、身動きが取れなくなってしまった。
動かなければ。身動きが取れるのは自分だけだ。呆然としている場合ではないと叱咤し、千早は身体を動かそうとする。
が、動かない。右頬の痛みが、口の中に広がる鉄の味が、恐怖となって身体を硬直させる。
その間にも、残りのメンバーが祠に近付き、叩いたり撫でたりしていた。錆びて何かわからなくなった刀身に触れると、ケラケラと笑い転げている。それがあるから、今でも何とか封印ができているのだ。
何も知らない者達だからこその行為。
だとしても、これは許されない。封印に至るまでに、どれだけの犠牲があったか。どれだけの苦労があったか。
腹の中が煮え返る。千早は声を振り絞って「やめて」と叫んだ。その声に笑い声をぴたりと止め、全員が千早を見る。
「その祠は、ご先祖様達が見守ってきたものです! あなた達の玩具じゃない!」
「うわ、投げ銭あざーっす! しゅきしゅきっ! で、なんて言ったっけ? 玩具じゃないだっけ? 玩具じゃん、こんなの」
リーダー格なのだろうか、レッドの服を着た男性が刀身の真ん中辺りに蹴りを入れる。錆びてしまっているのもあるが、封印が弱まっている今、その衝撃だけでも折れてしまうかもしれない。千早は再びやめるように叫んだ。伊吹も羽交い締めから逃れようとするものの、びくりともしない。
「丑の刻には少し早いけど、やっちゃおうと思いますよーん」
制止を聞かずに蹴りを入れ続けるレッドの服を着た男性。残りの男性達は場を盛り上げようとしているのか、蹴りに合わせて両手を叩く。
何度目かの蹴りが入ったとき、男性の動きが止まった。
千早に視線を向けると口角を上げ、これまでよりも激しく蹴りを入れていく。
「ほらほらほらほらぁ! もうすぐご開帳だよぉ!」
「やめてください! やめて!」
千早の叫びも虚しく、パキン、と音が鳴った。
それは、刀身が折れた音。
その瞬間、すべてがスローモーションのように見えた。
誰も触れていないのに、自然と開かれていく祠の扉。
見えるのは、闇。
けれど、それは確かに、力強く鼓動を打っていた。
「千早、伏せろ!」
彼らの気が緩んだ隙に羽交い締めを振り払った伊吹が、青ざめた表情で千早へ覆い被さった。
ドクン、ドクンと、離れていても聞こえる、大きな鼓動。
息を呑む暇もなく、祠から闇が拡がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます