01 The Johansson's House
2 食事
「運がいいじゃないか」
テオドールの言葉にヴェロニカは眉を潜める。自由気ままで怠惰な吸血鬼時代は共同生活によって奪われた。
「この屋敷の主人は図書館職員で図書館のスペアキーを持ってるんだ。それに、フローレン! 君はとても美しい!」
この屋敷に住むフローレン・ヨハンソンの膝に乗ったテオドールを見やり、ヴェロニカは静かにスープを口にした。ヨハンソン夫人はとろんとした表情でテオドールの髪を鋤いている。遠目に見ると、金色の丸くなった猫だ。猫ならいいのに。猫なら首だけでも可愛い。不遜でも従う価値があるとヴェロニカは思っている。
ヨハンソン夫人はすでにヴェロニカの催眠術にかかっており、首しかないテオドールに驚くこともない。ヴェロニカの食事に少しの血も混ぜてくれている。血は直接に吸う方が新鮮で美味しいのだが、ヴェロニカの未熟な力で眷属が増えすぎても統制がとれなくなってしまう。下手に増やして自分より強い吸血鬼が生まれてしまってもまずい。この身体が子どもであるかぎり、大人の強い力にはかなわないことをヴェロニカも理解していた。無理に吸わなくてもいくらか催眠術がかけられるので十分だった。昼に出歩ける人間は物資調達など利用価値が高い。
ヴェロニカは食事に固形物をあまり欲しがらない。病に臥したときの影響と、血液を主食とした吸血鬼の性質によるものだ。ヨハンソン夫人の出してくれたさらりと飲めるコンソメスープはヴェロニカの身体にもちょうどいいものだ。金の装飾で縁取った皿に透き通った黄金色のスープが美しい。テオドールの前にある生ハムも上等なものだとヨハンソン夫人は言っていた。食卓を囲む皆にではなく、テオドールにのみ語りかけているようでもある。
「それでは、ハムをいただこう」
いつもの癖でヴェロニカがテオドールのためにハムを取ろうとすると、先にヨハンソン夫人が恭しくテオドールの口にフォークを運んでいた。催眠術にかかりやすいようで、手のかかる子供のようにテオドールを愛でている。なんでも言うことを聞くようにしたけれど、テオドールがどんなふうに映っているのかはわからない。左手の薬指に指輪を嵌めたヨハンソン夫人を従えて、女好きなテオはご満悦だ。懲りない男なのだ。
テオドールが食事をすると、どこに消化されているのか判然としない。食べなくても生きられるが空腹は感じるという。腹がないのにどこが空くのか、ヴェロニカにとっても謎である。テオドールなら餓死しても蘇ってしまうのだが、空腹で死ぬのはかなりつらいらしく、三食食事は必須としている。ヴェロニカも血を作るために肉は食べた方がいいと考えており、非常時に梟になって鼠を狩る。テオドールは嫌そうな顔をするが、背に腹はかえられない。背もないわねとヴェロニカは笑いながら丸焼きにしたり、煮たりする。
ヨハンソン夫人はテオドールの口周りを優しくふき取り、幸せそうに微笑んだ。
「デザートもいかがかしら?」
「君の言葉が一番甘いのだけれど、用意した君に応えないとね」
見ていられない甘い空気にヴェロニカは席を立った。日中、ヴェロニカは奥の書斎に身を隠している。この屋敷のカーテンは遮光性が低いのに、やたらと窓が多い。灰になるほどではないが、軽い火傷のようなひりひりとした感覚が不快で、図書館の鍵をもらったら早く出ていきたいとヴェロニカは思っていた。ヨハンソン氏の蔵書は多く暇潰しには困らない。しかし、ヴェロニカは疑問を感じ始めていた。
ヨハンソン夫人の夫が帰ってきていない。図書館職員にもいろいろな仕事があるとしても、まだ一度も姿を見ていないのはおかしいのではないか。ヴェロニカは指を追って数えてみる。ヨハンソン夫人と夕食をともにしたのはこれで5回目になる。田舎の小さな図書館に帰れないほどの激務があるものだろうか。根を詰めている研究職か、出張しているのか。違和感を感じて、ヴェロニカは家の中を確認することにした。廊下を抜け、扉を開けていく。ヨハンソン夫人に全ての鍵を開けておくようにと指示していたので、スムーズに部屋を見て回れた。どの部屋も掃除が行き届いているようだ。
バスルーム、4つのベッドルーム、ダイニング、キッチン。バターの香ばしい匂いのするキッチンの奥に召使い用の小部屋があった。小さなテーブルと椅子は埃を被っている。調度品に拘った他の部屋とは違い、質素な空間だ。こんな狭い部屋では気が休まりそうもない。メイドも逃げ出したのかもしれない。壁には写真やメモが貼られていたようで、いくつかの小さな四角い跡が残っている。部屋の奥にはスチール製の大きなラックがある。工具と錆びた農具に、缶詰や瓶詰めも置いてある。あまり腐らない食品を置いているようだ。物置き代わりにしているため、あまり掃除していないのかもしれない。天井にぶら下がったオレンジがかった電球はじりじりと音を立てて揺れている。その揺れる影によって、ラックの奥の壁の質感が違って見えた。塗り替えて塗料が違うのかと触れてみると、粒の肌触りもおかしい。ヴェロニカが軽く壁を叩くと金属の硬い音がする。
ご丁寧にラックの脚にはコマがついていて移動できるようになっていた。遠慮なくラックを動かして、ヴェロニカは扉を開けた。金庫か身を守るシェルターかはわからないが、隠し部屋というのはいつでも心が踊る。かび臭さも冒険の匂いと言い換えられる。夜目が利くため、ヴェロニカは明かりも持たずに意気揚々と下へと降りていく。歓迎するように、木製の階段は時々キィと鳴いた。怪物なんて、自分以外にそうそういない。ヴェロニカは基本的に怖いものなしだ。宝探し。秘密基地。ダンジョン。そんな言葉を思い浮かべては夢中で足を進めてしまう。
あっという間に地下室に着いた。しかし、お宝はない。代わりに二つの頭蓋骨が台に置かれている。性別はわからないが、少し小さい頭は長い髪の毛があるので女性だろう。いつも喋る生首を見ているので、喋らない頭部というのはなんだか不思議だとヴェロニカは思った。ハロウィンの飾りのように行儀よく並んだ人間の頭は恐怖よりも気の毒さを感じる。
「お宝発見ならず、ね」
一人言を言って階段を上がろうとすると、扉が閉められた。外側には鍵穴も見えなかったのに、カチャリと鍵をかける音もする。扉は押しても引いても開かない。
「やっぱり運が悪いわ」
ヴェロニカはため息をついてから、外に向かって大きな声を出した。
「テオ! ヨハンソン夫人は操れていない!」
何の反応もなかった。扉は固く閉ざされ、さらにラックで蓋をしていることが想像できた。よく考えたら生首に助けを求めても、この扉は開けられない。詰み。ヴェロニカが最近の学んだ若者言葉は詰みと病みだった。
たとえ、少女の身体より小さい梟になっても、外には出られない。とっくの昔に変身の修行は飽きていた。梟に変身できたのは、梟は蝙蝠より可愛くて賢くて強そうに見えたから。蝙蝠より梟がいいという気持ち。ふんわりとした感覚で変身した。変身願望があれば、どうにかなるなる。ヴェロニカの師であり、吸血鬼化したことの発端となる男の言葉を思い出す。変身がなかなか上手くいかなかったのは先生の教え方が雑すぎたせいだと、他の吸血鬼の丁寧な立ち振舞いを見てげんなりしたものだ。丁寧すぎる吸血鬼は座学までしていたし、吸血鬼化マニュアルまで持つ同族までいた。先生を思い出して腹が立ち、上でテオドールがフローレン(仮)とデザートタイムをしてそうなところを想像するとまた頭に来てしまう。
私が無駄に苦しんでいるのに、あの首はいつもいつもいつも。
ヴェロニカが何度も扉を蹴っていると、小さな蜘蛛が足首に触れた。どうやら、隙間はあるらしい。
こういうとき、怒りはパワーになる。
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